20世紀の歴史と文学(1971年)
何年か前まで1ドルが120円台だったのが、今や1ドルが150円前後になって円安を嘆く人がいるが、1971年までは、1ドルが360円の時代だった。
第二次世界大戦の期間中、自国が戦争の被害に遭うことがほとんどなく、なおかつ国内に潤沢な金を保有していたアメリカは、戦後復興を目指すヨーロッパ各国や日本に対して経済援助をしつつ、金・ドル本位制のもとで、ドル紙幣を世界中に流通させた。
アメリカは、金1オンス(=31.1グラム)の価値を35ドルに設定し、自国の通貨の信用を担保した。
日本をはじめ各国は、ドル紙幣と金を交換することが可能となり、また、固定相場制によって「1ドル=〇〇」という形で自国の為替レートが定められた。
当時は、日本が1ドルが360円だったのに対して、イギリスは1ドルが0.3571ポンド、フランスは1ドルが3.5フラン、西ドイツは1ドルが4.2マルクだった。
イギリスが通貨の価値が高く、日本はヨーロッパの主要国と比べてあまりにも低すぎるのがお分かりだろうか。
さて、日本もヨーロッパ各国も、戦後復興が順調に進み、特に西ドイツや日本は高度経済成長の波に乗れたのはご存じのとおりである。
ところが、アメリカは1950年代の朝鮮戦争に加えて、60年代後半にはベトナム戦争のために軍事費の支出がかさみ、自国の金がどんどん流出していくことになった。
潤沢にあった金の在庫が、国外に流通しているドル紙幣の量より少なくなる事態に直面し、当時の大統領だったニクソンは、8月15日に突然、ドルと金の兌換停止を発表した。
これが、世界各国に大きな影響を与えたため、「ニクソン・ショック」と呼ばれた。
8月28日、日本はそれまでの固定相場制から変動相場制に移行し、この日に1ドルが342円になった。
年末にかけて1ドルは320円にまで動き、12月18日には、アメリカのスミソニアン博物館で結ばれたスミソニアン協定によって、一時期、日本円は1ドル=308円に設定された。
なお、スミソニアン協定の締結に参加したのは、日本のほか、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・イタリア・カナダ・オランダ・ベルギー・スウェーデンの9ヶ国の蔵相だった。
だが、スミソニアン協定はほどなくして崩壊することになり、2年後の1973年に、日本は完全に変動相場制に移行することになったのである。