現代版・徒然草【68】(第136段・鼻を折る)
自分の知識をひけらかす人は嫌われると言われるが、鎌倉時代にも、医者の和気篤成(わけのあつしげ)という人が、後宇多法皇の前で得意げになっていたことがあった。
それを、六条有房(=源有房)という人が、見事に鼻を折ったという実話がある。
では、原文を読んでみよう。
①医師(くすし)篤成(あつしげ)、故法皇の御前に候ひて、供御(ぐご)の参りけるに、
②「今参り侍る供御の色々を、文字も功能も尋ね下されて、そらに申し侍らば、本草(ほんぞう)に御覧じ合はせられ侍れかし。一つも申し誤まり侍らじ」と申しける時しも、
③六条故内府参り給ひて、「有房(ありふさ)、ついでに物習ひ侍らん」とて、「先づ、『しほ』といふ文字は、いづれのへんにか侍らん」と問はれたりけるに、「土偏(どへん)に候ふ」と申したりければ、
④「才(ざえ)の程、既にあらはれにたり。今はさばかりにて候へ。ゆかしき所なし」と申されけるに、どよみに成りて、罷り出でにけり。
以上である。
この段は、読点でつないでいるため、一文で終わっているのだが、読みやすくするために、①から④のまとまりに分けた。
①の文では、後宇多法皇がちょうど夕飯を召し上がるときに、和気篤成が法皇の前にいたことが分かる。後宇多法皇がすでに故人だったので、「故」となっている。
②の文に書かれてあるとおり、和気篤成は、「今、運ばれてきた料理の品々について、その品名の漢字や効能について、そらで説明して差し上げましょう。本草(=薬用に関する説明書)に記載されている内容と一点も違わないでしょう。」と得意げに話したのである。
③の文では、まさにその話を和気篤成がしていたところへ、六条有房が部屋に入ってきて、「では、私も一緒に勉強させていただこう」と言ったわけである。
そして、手始めに、「塩」という文字はどの「へん」にございますか?と尋ねたのだが、和気篤成は、「土偏でございます」と答えた。
④の文に書かれてあるとおり、六条有房は、「(和気篤成の)知識のほどが分かった。その答えを聞いたら、もう十分。それ以上聞くことはない。」と言ったので、その場に居合わせた人はどっと大笑いし、和気篤成は恥ずかしくなって退出したのである。
まず、説明書のどの「篇」に書かれてあるのかと聞いたのに、漢字の「偏」を答えたことが見当違いである。
さらには、「塩」というのは「鹽」と書くのが一般的だった(中国の漢字はこう書くが、日本では簡略化された)ので、「おまえの学識のほどが分かった。」と突っぱねられたのである。