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la la la 79. ”今感じていること”を肯定する(By ラム子)

こんにちは。”シュライン(神社仏閣マガジン)”を更新すると言っていましたが、ちょっとこちらを緊急性を持ってお伝えしたいなあと思って、こちらを更新します。「今感じていること」を肯定する。

まずこちらをご覧ください。バイオリズム、という言葉を使おうとして、バイオリズムってよく使っているけどどういう意味かなあと思って調べてみました。

バイオリズムは、生命体の生理状態、感情、知性などは周期的パターンに沿って変化するという仮説、およびそれを図示したグラフである。「バイオリズム」は「生命」を意味する bio-(バイオ)と「規則的な運動」を意味する rhythm(リズム)の合成語である。【By Wikipedea】

最近わたしの周りで、妹や友人たち皆が、うまく言葉には言えないのだけれどもこういうような感じを抱いているのを、感じています。どういう感じかというとこんな感じ。

「これまで自分は仕事というものは仕事なのであると、当たり前に向き合ってきて、しんどいことや辛いことも、仕事だしね、と一生懸命やってきたけど、最近ふとそれに疑問を持ち始めている。こういう日々が本当にじぶんの人生にとって必要というか(やらなくてはいけないこと)なのだろうか」

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わたしたち生命体にバイオリズムがあるとしたなら、当然地球という大きな「生命体」にもリズムがあります。そして地球という大きな生命体にも「整理状態、感情、知性」があるとしたなら、地球は今、人に例えると「今まで黙っていたけどさあ!!!」っていう状態じゃないかなって思います。

異常な酷暑、あちこちでの地震や豪雨、そして度重なる非常に大きな台風による日本縦断。わたしたち人間が時々、いろんなことをリセットして、全部断捨離したい! と思うように、地球という生命体も、じぶん自身でセルフデトックス(自浄)したいという”感情”の中にいるのではないでしょうか。

エメラルドタブレット、という、古代アトランティスに伝わる、錬金術の極意を現した碑文に「下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし」という言葉があります。難しい言葉で語ると、これは”マクロコスモスとミクロコスモス(大宇宙と小宇宙)の相似ないし照応について述べたもの”ということなのですが、簡単な言い方をすると巨大なマトリョーシカをイメージして欲しいと思います。つまり”宇宙”という大きなものの中に惑星たちが存在しそれは同時に各々が単体の宇宙と言える、そしてその惑星、たとえば地球に存在する生命体、つまり人間も、それだけで十分に一つの”まる”つまり宇宙と言える、そういった概念です。

だとすると、わたしたちの肉体は一つの小宇宙であり、常に地球、そして宇宙という大宇宙と同じであり呼応しているものだということなのです。

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わたしが何をお伝えしたいかというと、つまりわたしたちの日々ーー生命体としてのリズムーーは当然地球のそれと連動し呼応しているから、地球の動きと自分の気分の動きは無関係じゃないっていうことです。

人間という生き物はどうしてだろう、知性を持った時からかな? 自然や自然の摂理に抗おうとしてしまうところがありますよね。だから自然の流れに身を任せて”たゆたって”いくことを「楽」とか「甘え」とか言って否定する傾向がある。だからドバイ(砂漠)の真ん中に雪山を作ったりすることで「不可能を可能にする」と考え、達成し満足したり、嵐だろうと雨だろうと、いつも同じことをする人を「ブレない」と言って称賛したりしてしまいます。なのにみんなジョンレノンの”Let it be"が好き。肩組んで歌ったりして。変な生命体です。笑。

きっと"Let it be" や "Let it go”が大ヒットしたのは、人類がその自然の摂理や、川の流れにあらがって、流される川の中でなんとかそこで留まろうとする日々を送っていることが、そんな小さな石ころのような日々が、無意識レベルで辛いからだと思うのです。(これはわたしの個人的見解)、
だからと言って”Let it be” するのは、何かを放棄したような、諦めたような感覚とセットになっていて「堪えて留まる人間らしさ」みたいなものが美徳として刷り込まれていて、じぶん自身を解放できないと思うのです。
でもわたしは何度も言ってますが、その感覚を刷り込んだのは誰!? って思うのです。それって「生きたいように生きる」ことを「勝手なこと」とし「勝手なことをされたら困る」と考えた人たちが植え付けた感覚ではないでしょうか。つまり支配者たちです。きっと世界はそんな制限をわたしたち人間にもうけてないと思うのです。それは人によって作為的にもうけられ、刷り込まれた概念じゃないのかなあ。

けれど今、地球のこの大きなバイオリズムに連動してわたしたちはかつてないほどに魂的に、肉体的に、揺さぶられています。頭ではなく、心や体が揺さぶられている。
その中で内側から湧き上がってきた感覚、それこそとても”ピュア”であり、聞き逃してはいけない生命体としての魂(根源)の声です。

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あ、故郷に帰ろう。
あ、なんかもう、仕事辞めようかな。
あ、やっぱりあの人が好き。

こんな風にふっ、と湧き上がってきては心の水面にさわさわわわ〜と広がっていく感覚、これを絶対否定しないで欲しいです。よく聞いて欲しいです「感じること」それに間違いも正しいもありません。
感じること、は、それ以上も以下も意味を持たないんです。つまりいつでも”0(ぜろ)”です。道徳的な度数を持ちません。たとえ心の中で”あいつ死ねばいいのに” と思っていたとしても、その湧き上がる感情を否定し裁くことは誰にもできません。世界にもできません、というか世界はそれをしません。なぜならそれも森羅万象の一部だからです。
でも口に出して言えば道徳により裁かれます。笑。

当然わたしたちは社会で生きている人間だから、感じたことをそのまま遂行すると問題がある場合はありますよね。
”あの人には奥様がいるなあ” とか "来月の展示会が終わるまでは「辞める」って言ってしまうと無責任だなあ" とか。
それは考えてよいと思うのです。でもね、わたしが強く感じているのは、
それ以前に、自然に湧き上がる感情を「抱くことすら」罪、と感じている人が多い気がしているんです。

「こんなに恵まれた役職でいい給料をもらっているのにこう思うなんて」
「結婚しようって言ってくれている人がいるのに昔の彼が忘れられないなんて」「大変な暮らしをしてる人がたくさんいるのに好きなことだけして生きて生きたいなんて」

わたしにもありました。小説家なんていう、普通なりたくてもなれない仕事に就き、原稿を待ってくれている出版社があるにもかかわらず「いま小説を書く気がしない」なんて。

でも「感じている」ことを否定してしまっては、生命体は「生きる」リズムを失っていってしまいます。”バイオリズム”が「生理状態、感情、知性」これらのリズムであるとしたら、感情や生理状態にも大いに耳を傾けるべきです。

なので、今感じていることを、せめて感じていることだけでも「否定しない」転じて「肯定する」
湧き上がる魂の声に五感を澄ませて「今のあなた」を知ってください。
それが以前のあなたとは違っても、受け入れていきましょう。日本の気候も、前のそれとは違ってきています。世界は連動して揺れています。地球がデトックスし断捨離を行えば、当然わたしたちの中にも、そういう感情や感覚が湧いてきます。声を聞いて。湧き上がってくる、あなたの声を。

そんなわけでわたしは20年以上付き合ってきたSoftbankを断捨離しようかと思っています。笑。そんな些細なことでいいと思いますよ。些細なことでも20年、1度もやらなかったこと。たとえば。

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それではらるらるらん♪
ラララ世界で会いましょう☆ 

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