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VOL.1/Stay Hungry, Stay foolish(By Steve jobs)

こんにちは。ポッペンバッザーグシリーズの始まりです。
なんか新しいものなのに続きナンバーなことが気になり、[la la la]じゃなくて[Poppen]にしてみました。”ぽっぺん1”とか”ぽっぺん2”とかもはや意味不明だけどちょっとこれでやってみようと思います。笑。 
スタートはこれ 、言わずとしれたスティーブジョブスの名言、
Stay Hungry, Stay foolish.

シリーズは”ぽっぺん”になっても、前マガジン「不器用さんに贈る古の魔女の智慧」とテイストを変えないように丁寧に行こうと思っています。
歌手のテイラースイフトはライヴでライヴらしいパフォーマンスをするのではなくCDの再現に注力しているそう。アレンジを変えてしまうと、皆が繰り返し聴いて親しんでくれた音楽と変わってしまって、時にファンをがっかりさせてしまうから。
実は自分にもそういうところあって、長くフォローしていて毎日拝読していたマヤ暦のTwitterがあるのですが、ある時から仕様が少し変わってしまい、それがわたしには急にわかりにくく感じてしまって、次第に毎日みなくなってしまったことがありました。人は変わっていくし、その時これだと思うことに向かっていくのでいいと思っているのですが、でもとにかく急に読者を置き去りにしてしまわないようには気をつけたいな。

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さて。帰省した時はなるべく両親と過ごす時間を大切にしていて一緒に映画を観たりします。その日すでに「ムーンライト」という結構重たいものを観ていたのでさらっと観れて面白いものをということで「スティーブジョブズ」を自宅で母と観ました。映画としてはそんなによくないという話を聞いていたのだけれど、ジョブズ信仰者のわたしとしては観ておきたい映画であったので。実はタイトルに据えたこの名言は映画の中では登場しなくって、
映画を観た後に(そういえばジョブス自体のストーリーについて深堀りしてこなかったな)と思っていろいろ検索をしていて見つけた言葉です。

Stay Hungry, Stay Foolish.
この言葉自体はジョブズのオリジナルの言葉ではなく「全地球カタログ」という彼にとってのバイブル(聖書)からの引用でした。

またわたしがジョブズ信仰者だからといって「どうでしょう、素敵な言葉ですよね!」といった意味でもありません。
「飽くことなく、愚かなままで」
この言葉って普通にわかるし、そうだなって思うし、ジョブスのような人生(自分で作って成功に導き株式公開したような会社から、自分がスカウトした人間よって追い出されて、その後どうにもならなくなったからということでまたappleに呼び戻され、その後皆もよく知るipodやiPhoneで世界一の企業に返り咲かせた)を送ってきた人が言うと重みもある。

でもじゃあ、わたしたちはどう生きるのか。
そうだなと思ってStay Hungryしていくか。
いやでもそうも言っていられないと思ってQuit foolish(バカを辞める)していくか。わたしが大切だと感じていることは、日々に流されないで、それらを1つ1つ拾い上げて、自身に問いかけ、細かく決断して欲しい、ということなのです。

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なんていうのかな時流の変化をすごく感じているし、
その時流にただ飲み込まれ淘汰されていくのはラララ的ではないなって感じています。例えばなんですが、ジョブズの死後、90年代に日本のニュース番組にジョブズが出演してインタビューを受けている映像を見たのですが、
ジョブズはそこでそこから10年ほど経って発売するiPhoneの構想を話しているんです。でもキャスターはジョブズが何を言ってるかわからないんです。

キャスター「新しい携帯電話を作られるというのは、携帯電話に何か便利な機能が足されているというようなものですか?」
ジョブズ「いや違うんだ。電話なんだけど、それは”電話”という概念のものではないんだよ。うーん、なんていうかそれは”ライフそのもの”なんだ。僕は”ライフそのもの”をポケットに入れて持ち運べる、そしてすなわちその日々こそ”ライフ”であるような、そういうものを作ろうとしている」
キャスター「・・・はぁ。でもそれは”電話”なんですよね」

キャスターは”電話”がなぜ”ライフ”に繋がるのか理解できない。
スタジオにいる誰もが理解できないし、当然だと思う。
でも未来の今からその番組をみると「ああiPhoneのことね」ってわかる。
「片手に持ち歩けて、便利というか家に忘れたらすっごく困るし、もはや生活になくてはならない、人生そのものといっても大袈裟じゃないものなーんだ」って今クイズを出したら70パーセントの人が「スマホ」と答えると思う。

つまりわたしが何をお伝えしたいかというと、その時自分が感じているフィーリングや感性が、その時の時流とずれていて、周りがピンときてくれない、八方塞がりのような場合があるということ。でも、以前は「ぬるい」と揶揄された振る舞いが、今では「ぬるい」と言った人間がハラスメントとして言及されたりするような昨今、多数決社会の少数派だとしても、その「感じていること」がいつか未来の常識になることがあるのだから、自分自身を疑うことだけは辞めて欲しいと思うということ。

同時に八方塞がりであっても中心の自分は輝いているのと同じで、
八方全部が解放されている、ということがないことも知って欲しいのです。

この「ラララ世界」は大きくはスピリのカテゴリのマガジンであるし、時間や軌道や引き寄せについてもこれまで多くの記事を書いてきています。その根幹にある考えというのは「世界というものは自身の中から生み出される」というもので、ようはあなたの感じ思うままに世界は創造されるから悩み事があるなら悩みのない世界に即座にシフトしていこう、というもので、
わたしはこれを根本的に奨励しているし信じています。でも精神世界と現実世界が1秒で重なるのは難しい。ドラえもんの鏡の中の世界のように、チャンネルを変えるようにシフトしたとしても、そこでまた新たな課題というものに出会う。課題そのものがない世界は存在しないと思うのです。でもそれを「苦難」と思うか「課題」と思うか「ギフト」と思うかはメンタルの問題になってきますよね。なのでメンタル的には八方全部が解放されるということはあると思います。ただ”社会”というものや”人生”というものを客観的に見た場合、八方全部が解放されている、ということがない場合もある、ということは「今を生きる」「現実世界を生きる」みんなにお伝えしたいのです。

例えばジョブスは自分の奥さんが妊娠した時「それは俺の子じゃない」と突き放し、そこから何年も娘を娘として認知しなかった。
そこにはStay Hungry Stay Foolishを貫ける天才が同時に併せ持つ「人間としてのゆがみ」があります。

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他者と関わる時、なんとなく人は、その人の「光が当たっている側面」しか見えなかったりします。でも月や地球の太陽が当たっている裏側半分は夜であるのと同じように、物事には全方位をカバーするアイテムなんてものはないのだとわたしは思っています。
これは、どんなやつにも不幸があるんだぜとか言っているのではなくって、だからこそどんな環境であっても「光のある方へ」生きていく人間に価値があるしそれを讃えたいということなのです。
だからジョブズのような稼ぐ旦那が欲しいということと、その旦那に子供の運動会とか遠足とかお迎えとかも全部やってくれるという「父」としての側面を併せ持ってほしいとかいうのは両立できない願いだったりすると思うのです。もちろん両方できる人もいる。でもそういう人は例えば前妻との間の子供にも愛を注いでいたり、違う課題が出てくるかもしれません。

そんな時、とどのつまり絞り込んで考えたら「自分は本当は何を求めているのか」をタイトに自身に問うことが重要だと思うのです。
自分が本当に求めているものが何かわからなかったら、漠然とそうやってたくさんを望んでしまって、漠然と全部が満たされない感じがしてしまうからです。

例えばわたしには愛する人がいて、もう長いですが、
世間的にいうとちょっと、相手がおかしいか、わたしが相手にされていないか、そういう解釈をされてしまう環境にいて、だから他人にその人のことを話すことをしません。もうこのようなことが4年近くになるので、わたしもその間にいろんなことを考え、時に同じところを逡巡(しゅんじゅん)したりもしたのですが、いやはやとどのつまりは「自分がどうしたいかなんだな」って思いました。世の中の恋人やカップルたちを見ていると、すべての人たちが恋愛映画のような熱く絆の深い物語の真ん中にいるように思え、自分が本当にそれらの物語すべてから「はぐれている」ように思える。
けれど事実はそうではなくって、例えば映画の「キャロル」のように、何不自由ない暮らしをし夫と腕を組んでクリスマスプレゼントを選んでいる貴婦人が実は世間には許されない自身のジェンダーに苦しんでいたりもするわけで、本当のことは、その人にしかわかりません。
わたしが4年間考えて、よくをいえば叶えたいことはたくさんあるけど、
とどのつまりこれを一番大事にしたのだと気づいたことは、
「自分の愛す人を自分で決める」ということでした。
つまりこのことには「相手が自分を選ぶ」ということは含まれていません。
もちろん「兼ね」られたら最高だし、そうあるように生きていくけれど、
「今」この時も最低限、自分が自分で愛す人を決めその人を愛すということは譲らないということ。

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すごく不思議なんですが、じぶんが本当に求めていることを絞りこんで導き出し、これは絶対に譲れないということをその瞬間から貫くと、なんだかすごく「じぶんを生きている」ような感じがして「すこし強くなれたような気がして」日々は満たされていきます。
満たされているよ、完全ではないけどね。そんな感じ。

そういった意味で今日取り上げてみました、
Stay Hungry, Stay Foolish.
あなたは、何を貫いて、何を譲らないか。
ちょっと自身に問いかけてみよう。
八方塞がりでも中心(わたし)は輝いているし、
全方位が解禁ということは実は存在しない。全部の方位が開いた時は、実は上や下にはいけないかもしれないし、それらすべてが解放された時には時間がないかもしれない。
だからこそ今、どう生きるのか。

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それでは、ラララ世界で会いましょう。

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