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ラララ世界の夜明け(2019.元旦)
諸君よ、夜明けが始まった。
夜明けが「始まる」というのも変な話だが、物事にはすべて起点があって、
夜明けという始まりですら、何かによって、始まる。
新しい時代、新しい感覚、新しい世界。
もう「だいたいこんな感じで」とか「だいたいこんなことを望まれている」から「こんな感じに振る舞う」みたいなこと、「この場ではこうしておいたほうがいい」みたいなことは、TRASHして生きていこう。
なぜならこれまでは「こうしておいたほうがよかった」ことをしても、
何もいいご褒美はこないから。だったら思うままに生きたほうがいい。
「記 of 2018」でわたしは最後に「わたしたちは、誰か、がいなくとも、
生まれながらにして音楽であり、美しい惑星だ」と書いた。
これには補足があって、つまりわたしたちは完全な球体であって、欠けてる箇所などないということを現す。
月が満ち足り欠けたりするのは、見る人の角度によるのであって、やれ満月だ、やれ新月だと騒いでいたって、実は月は、いつだって完全なる球体である。だからつまり、外側の誰かに「何かが欠けている」「何かが足りない」と言われたとしても、それは「お前の角度からは見えないんだよ、なぜならそこに太陽の光が足りないからね」ということであって、我々は、自分自身に欠けたるものを見つけ見直す必要は全くないし、
それらを埋め合う方向の愛を築く必要はない。
なぜなら我々は完全なる球体であり惑星であって、
その引力によって引き合う惑星とだけ、関わっていればよいからである。
つまり諸君、これはラララ世界の夜明け。
我々は今ここに生きていることだけを祝福して、
堂々と生きていればそれで良いのである。
祝、2019。この素晴らしい年の夜明けに。
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