中村哲という生き方 「やさしさの遺伝子」の覚醒
『劇場版 荒野に希望の灯をともす』
先日やっと『劇場版 荒野に希望の灯をともす』を観ることができました。
また、上映後に谷津監督のお話も聴かせていただきました。
とにかく、映像に圧倒されました。目の前に映し出されているのは紛れもない事実なのです。アフガニスタンとパキスタンの厳しい現実がそこにはありました。
しかし、ただの記録映画ではなく、中村医師と谷津監督の相互の信頼関係からにじみ出る「中村哲という生き方」がスクリーンいっぱいに広がっていました。
実は、観る前から、Xで谷津監督の映画のPRをリポストしていました。
そして、中村医師の言葉の一つひとつがあまりにも素晴らしいので、勝手に
「中村哲・学」と投稿したこともありました。
でも、この壮絶なドキュメンタリーを観た時、哲学というより、もっと体全体に響くような深いものを感じたのです。
きっと、「中村医師の生き方」そのものが語り掛けてきたのだと思います。
それは、命懸けの壮絶な実践といったらよいのでしょうか。
パキスタンにおけるハンセン病との闘い、アフガニスタンにおける山岳地帯の無医村での診療、紛争による命の危機、大干ばつによる飢餓からアフガニスタンの人々を救うための用水路建設など。
これらの映像を観た時、ここまで人のために尽くせる人がいたことが奇跡だと衝撃を受け、体が震えたように思います。
中村医師の生き方
映像の中の中村医師は、眼光鋭く、圧倒的な迫力で荒野を突き進むという感じの人ではありません。
ちょっと重そうなまぶたで、目つきもやさしく、小柄で威圧感など全くありません。
そして、とても静かに話します。決して雄弁に何かを語るという感じではなく、柔らかい物腰です。
ところが、診療や手術をしている時の目つきや顔つきは、きりっとしまっています。これは、谷津監督も直接その変化をご覧になったとのことです。さらには、静かな気迫がみなぎっているようにも感じるのです。
ちなみに、私の周りの人では、声がでかい人は意外と気が小さいという傾向がありますが。
実は、谷津監督にお会いできたら聴いてみたいことがあったのですが、その答えは劇中で語れていました。
『裏切られても裏切り返すな』という中村医師の言葉です。
これは世界中共通でしょうが、必ず、ずるい人(私自身もそうでないと言い切れませんが)や噓をつく人はいると思います。きっと中村医師も苦い経験をされたのではないかと思っていたのです。
でも、どうやら中村医師は、裏切られても、なお、その人を信じていたようです。
『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る』という中村医師の言葉からも分かります。
ところで、私もつい最近ですが、職場で裏切られたと感じたことがありました。裏切り返してはいないですが、もう絶対信用するものかと思ってしまいました。中村医師の境地に達することは相当に難しいです。
中村医師の人を愛し、信じる気持ちは、確固たる信念となっていたようです。
『暴力に暴力で返さない』という言葉もそれを表しています。
実際、中村医師が勤務されたアフガニスタンの診療所が、薬を奪うために、武装した集団に侵入されるという事件がありました。その時も、「打たれても打ち返すな」(その集落には身近に銃があったようです)と中村医師は言ったそうです。これほどの覚悟を持つことができる人なのです。そもそもアフガニスタンの人々を信じる気持ちは揺らぐことがなく、医療を受けられないで苦しんでいるのは、みな一緒だと思っていたのでしょう。
当初私は、中村医師の生き方を端的に表す言葉として、「生涯ノブレス・オブリージュを貫いた」と書こうかと思っていました。
でも、「ノブレス・オブリージュ」の意味は、「高い社会的地位には義務が伴うこと」というのが一般的なようです。
ところが、中村医師の場合、ご本人は「高い社会的地位」などと微塵も思っていなかったのではないかと。
映画のパンフレットに、中村医師とパキスタン・アフガニスタンで一緒に医療活動をされた藤田千代子さん(看護師・PMS支援室長)のお話があります。
「中村先生はひとことで言えば大統領であろうが物乞いであろうが、現場で言うと日雇いの作業員であろうがスタッフの医師であろうが、同じように接するですよね。見下した態度が一つもないんです・・・」これが中村医師が現地で受け入れられた理由ではないかとお話されています。
また教育についても、2006年に谷津監督が行ったインタビューで、こんなお話をされています。
『弱い人を助け、互いに助け合って生きることを教える、それが教育だと思うのです。そして学歴が高いとか、偏差値が高いとかは人の優秀性を決める基準にはならないと、私は教育する人に言いたいですね。』
私はこの言葉に、本当に感銘を受けました。まさに、現代の価値観に一石を投じるものです。
実際に私の職場でも、学歴や偏差値が高いとかに関係なく、人間性に優れた人に助けられることが圧倒的に多いことは事実です。世の中のかなりの人がうすうす気が付いているのに、学歴偏重主義はなくなりませんね。
それで、中村医師の生き方ですが、
「信じた清道をひたすらに歩んだ」と言いたいのです。
ここでの清道は辞書にある意味ではありません。
勝手ながら、「清らかな道」という意味にさせていただきました。
「正道」は、人それぞれの価値観で変わってしまい、それによって争いになることもあります。そうではなく、周りに惑わされず、純粋で潔い生き方が「清道」です。あくまで個人的な見解ですが、私はそう思いました。
『変わらずに輝き続けるのは、命を愛惜し、身を削って弱者に与える配慮、自然に対する謙虚さである』という中村医師の言葉からも分かるのは、生涯、命と自然に対して限りない愛情を注がれたということです。
何十万の人々の命を救った用水路建設は、まさに「清らかな水の道」ではないでしょうか。
日本の生活に慣れた人がアフガニスタンへ行けば、不便に感じるでしょう。その中に身を置くことで、中村医師はより物事をシンプルに考え、人間の本質をとらえていたのだと思います。
谷津監督のお話
谷津監督はご自身の苦労については、ほとんどお話されませんでしたが、間違いなく、単なる撮影ではありません。紛争や飢餓の中、命の危険を感じながらの21年間です。まさに中村医師と苦楽を共にし、闘って来られたのです。だからこそ、中村医師の珠玉の言葉を紡ぐことができたのだと思います。
以下は監督による中村医師へのインタビューです。
『とりあえず戦闘が無い状態を平和と言う人もいます。しかし、本当の平和とは人の命を大切にしながら、人々が互いに思いやり、助け合って生きていける状態のことだと思うのです。』 2006年4月、中村医師は自身が考える「平和」を私にこう語りました。とても大切な想いです。
このように、中村医師はとてもシャイな方だったようですが、谷津監督には安心して心を開いて、ご自身の想いを語っていたのだと思います。
上映後の谷津監督のお話です。
完成した用水路に注水された時、カメラの端に映る中村医師が泣いているように見えたそうです。その時、監督はこう思ったそうです。中村医師は、病気のため、10歳で亡くなられた息子さんが天国からずっと見守ってくれていると思っていたのではないかと。そして、「やっと用水路ができたぞ」と天に向かって語り掛けていたのではないかと。
仕事を優先し、医師でありながら、病床の息子さんの傍にいてあげられないという葛藤と闘い、「代われるものなら代わってあげたい」という想いを胸に抱きながら、アフガニスタンの人々の命を救うために用水路建設に打ち込まれたのだと思います。
だからこそ、用水路に初めて水が流れるのを見て、きっと込み上げてくるものがあったに違いありません。
家族を失った喪失感は、経験したものにしか分からないかもしれません。私も監督のこのお話を聴いて上映中こらえていた涙が溢れ出てしまいました。
監督は、「中村医師は、民族の違い、国の違い、宗教の違いも越え、なぜアフガニスタンの人々と深い絆を結ぶことができたのか」と自問されたとのことです。
その答えは、「良心や真心といった、人にとって本当に大切なものは、あらゆる違いも超えて共有するものだから」この言葉が導き出されたそうです。
そして、最後に監督は、私達観客へこう投げかけられました。
「剥き出しの暴力に世界が戦慄する中、私達はどの道に進むべきなのか?」
私たちにできること
今日は9月11日です。そう、あのアメリカ同時多発テロから23年経っています。テロから始まったアメリカのアフガニスタン空爆により、用水路建設中の中村医師も危険にさらされました。
そして、今この瞬間も無慈悲な戦闘によって、たくさんの人が犠牲になっています。しかも、何の罪もない無抵抗の子供たちもです。
ニュースで亡くなられた方の写真がその方の名前とともに、街頭に貼られているのを見ます。
そして、思うのです。
「命には名前があり、顔があり、人生がある」と。
決して大勢の中の一人ではない、それぞれの人格があるのです。
中村医師はこんな言葉を残しています。
『地味とも思われがちな相互の思いやりこそが、辛うじて世界の破局を食い止めているのだと思い当たります。』
中村医師の生き方は、私達人類が本来持っているかもしれない「やさしさの遺伝子」を覚醒させてくれると思います。
これがこの映画の素晴らしさに他なりません。
平和を願うことは当然ですが、身近なところから一つずつ、自分のためではなく、誰かのためになることをやりたい、そう思っています。
中村医師は永遠に届かない雲の上にいますが・・・
☆ちょっと一言
この映画を観たのは、ポレポレ東中野という映画館です。
「人間って何だろう」みたいなことを考えたくなる映画を上映されています。地下にある素敵な映画館です。
1階のカフェ、「Space&Cafeポレポレ坐」のアイスカフェラテお勧めです。
ポレポレ東中野:オフィシャルサイト (pole2.co.jp)
映画の最後に流れる、モーツアルトの「アヴェ・ヴェルム・コルプス」を聴きながら書き始め、ブラッド・メルドーの「アプレ・フォーレ」を聴きながら書きあげました。
Après Fauré - YouTube
☆お礼
映画『劇場版 荒野に希望の灯をともす』のXから、谷津監督のお言葉を引用させていただきました。素晴らしい映画を本当にありがとうございました。