辻氏が理想として唱えた「中立論」。
奇しくも、「中立」の文字が題にある著書が
地元の図書館に所蔵されていました。
この『自衛中立』を典拠に、
彼がどういう理想を掲げていたのかを読み解いていきます。
今回は、結論と思われる第六章を引用して、
彼の世界観を読み解いていこうと思います。
『自衛中立』
第六章 獨立日本の進路 一、自ら中立を守れ
辻氏自身の目に映る日本も、
この中國人同志と同じ見解を
抱かざるを得ない状況だったと書かれています。
私はこの「遺児達は軍人にと熱望した」という文言を読んだ時、
「戦勝時代を懐かしんでいる」ようにも受け取れると気づき、
こういう部分を拾って「戦争の頃は良かったとでもいうのか」と
勘繰る人もあったのかもしれないと思いました。
辻氏の名前を知ってから、
最初に通覧したwikipediaで、
以下の情報を見たのを思い出したためです。
当時の私は、この表現から
「局所的な成功体験を重ねたことによって
道義的な意味で倒錯した価値観を持ってしまった人」
を想像したのですが、今は違う見方をしています。
確かに
「(国を守るためならば)
私は再びあの過酷な戦場に戻ることも厭わない」
と、胸を張って言いそうではあります。
また、「自衛中立」を目指して
突き進んでいたわけですから
「兄弟親族の縁もないような
他所の国に頼らずとも、
私たちには、まだ自分の国を守る手立てがある」
というようなことを
相対したアメリカの方にも
言っていたのかもしれません。
これを聞いたアメリカの方からすれば
敗戦に懲りず「まだまだ戦えるぞ」と言っている
ように見えたのかもしれない。
私は、
本書で書かれている警句の数々から
辻氏の主張はあくまで
「世界という舞台で見ると、
日本という一つの国が
今後も危機に晒される可能性は
減ることなく、ずっと残っている。
そんな状態で丸腰になるのは正気の沙汰ではない」
ということだと受け取っています。
辻氏は「国を守るために戦う」ことを
自分の役目と定めて
生きてらっしゃったのだと思います。
武力面で「国を守るため」になることを
請け負って、
自分の主体性を持って考え、実践することを
自分に課していたんだと思います。
終戦というのは、
「戦いが終わった」という意味ではない。
こちらの戦力が尽きて、
抵抗できなくなったというだけで
周辺世界が危険であることには何ら変わらない。
それが、辻氏の実感だったのではないでしょうか。
そして、この危険な世界で生き抜くために
協働しあう相手は、
「ビジネス」と言って
いつ裏切るともしれない他人ではなく
自分の手の及ばないところを補い合い、助け合える
”家族”であってほしい。
…ということかな、と私は想像します。
これは余談になるかと思うのですが、
この本を借りられた先人の誰かに、
「一、傍線、書入、落書を止めませう。」
という制止を振り切るマルジナリアがいらしたようです。
傍線を引かれていた箇所は、
以下の檄文でした。
公共のものに書き込みをするのはやっちゃダメですが、
辻氏の言葉に高揚し、奮起する若者も多くいたことと思います。
天は自ら助くものを助く。
サミュエルスマイルズの『自助論』が
幕末期から愛読されていた日本ですから、
こういう心がけへの共感は、大きかったのではないでしょうか。
第六章 獨立日本の進路 二、自衛中立のための軍備
「自衛中立のための軍備」の項では、
当時巷で騒がれていた「再軍備」についての議論をまとめ、
問答的な形式で辻氏の意見が述べられていました。
辻氏の論旨を総まとめにした文章を抽出してみると、
以下の通りです。
そして、最後には再び、扉文が添えられていました。
辻氏は、本書の中で
という表現をしていました。
それが辻氏の信念なんだろうと思います。
次回は、『亜細亜の共感』をテキストとして、
東亜連盟を提唱する一員となった経緯を
探ってみたいと思います。