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心照古教〜『大学』を考える〜【十】
三綱領の典拠
「明徳を明らかにする」の文献
康誥に曰く、克く徳を明らかにすと。
太甲に曰く、諟の天の明命を顧みると。
帝典に曰く、克く峻徳を明らかにすと。
皆自らを明らかにするなり。
【安岡先生意訳】
『書経』の康誥篇に「国を治めるには先ずわが身を修めなければならない。
そのためには、克く(つとめて)身に備わった明徳の曇りを払って、
本来の美しさを発揮しなければならない」とある。
同じく『書経』の太甲篇にも、殷の名宰相・伊尹の言葉として
「天子の位に在るものは常にきびしく反省し、天命に背いてはならぬ」とある。
また『書経』の開巻第一篇の帝典にも、古の聖天子・堯帝みずから
「克く峻徳(高く大いなる徳)を明らかにした」と述べられている。
このように、唐虞三代の天子は、
みな自ら明徳を明らかにしようと努めたのである。
【伊輿田先生の説明】
この『大学』という書物をつくったとき、曾子と弟子たちは
「これは自分たちが独断でつくったわけではない」と示すために
古い書物の中に書かれていることを引用しました。
彼らがまず言っているのは、「明徳を明らかにする」という言葉が古くからあるということです。それが「康誥《こうこう》に曰く、克く徳を明らかにす」です。「康誥」というのは、『書経』の中の一編で、周王朝の武王の弟である康叔が衛(国)の地方長官として派遣されるときに、周公旦によって授けられた政治の心得を示したものです。
したがって、この『大学』の一節は「もうすでに古典化しているところの『書経』の康誥篇に、“克く徳を明らかにす”といっているよ」という意味になります。「だから、これは我々が独断でいっていることではないのだ」という根拠にしているわけです。
以下、同じような形で、根拠を示しつつ、その大切さを説明しています。
私が心願に据えた「明徳発輝」は造語ですが、
私がやりたいことはここに拠っていると思っています。
つまり、
本来身に備わった明徳の曇りを払って、その美しさを発揮する
ということ。
私が持っているイメージとしては、
自分のためにこの人生に用意された「学び」をちゃんと受け取る。
他者の学びを奪ったり、他者から人生を奪われないためにも、
「小欲」や「ノイズ」という曇りを払い、
良心の鏡をきちんと磨いておく。
そうして研ぎ澄ませた意識に言行を一致させて、世界に働きかける。
そうすると、
自分が請け負った片隅を照らすことにつながる。
これは国の王だけが請け負うことではなく、本来
「庶人に至るまで」…一人一人ができること
なんだと思います。
→三綱領の典拠「民に親しむ・新民」
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