2024年7月13日 命の燈明が輝くしごと
昨日(2024年7月13日)、鎌倉に行って参りました。
きっかけ
淡路島に寮を借りて過ごすこと二ヶ月。
もうすっかり
軽率に島外に飛び出すようになっていますが、
今回、鎌倉入りすることになったきっかけは
その3日前に起こりました。
7月10日、
私はここしばらくの間、
自身の“気枯”状態に窮しており
友人の溌剌とした気を直接感じたいという、
割と差し迫った渇望感から
この日にいただいていた休日を利用して、
彼女を訪ねました。
命として在りたい私と、現実の齟齬
私は今年の年始に、
今生をかけて探究する、もしくは貫徹するつもりの宣言をしました。
そのうちの一つに、
「命という在り方をします」というものがあります。
自分の天命に真っ直ぐ取り掛かり、
この人生の一瞬一瞬に、命を十全に発揮して
日々出し惜しみなく誠実真摯に生きていると実感して生きていきたい。
誰からなんと言われようが、
私にとってのこれというものを掴んで、
そこに全霊を投じたい。
…と、こういうことを願って、
実践すると自分に宣言したんです。
あれから半年が経ち、
この間にも紆余曲折あって
「自分の役割」というものが掴めた感覚もあったのですが、
ひとつ、
いま寮を借りている仕事場において、
大きな課題を抱えていました。
…要は、来るとこ間違えたんですよね。
いらんところで消耗して、
七月に入った頃には
まともに「必要なこと」ができているかも
怪しい状態になってきていました。
間違いを正そうと奮起して、
六月の中頃に一度「辞める」という意思表示をしたにも関わらず、
「任期満了」という契約に捉われて
また一月、
今度は「間違っていることに気づきながら現状維持を続ける」という
一番情けない状態になっていました。
この不自然で不健康な状態を
これ以上長く続けたら
望ましくない歪みが生じるという不安もあり、
現状を変えたくて、
五月からたびたび
必要な機会を与えてくれていた友人に
会いにいくことにしました。
そこで、いろいろと打ち明けた結果、
すでに「命の仕事」に取り掛かっている友人の、
直近の仕事に着いてくるか、というお話に進んでいきました。
何気なく言われた「着いてくるか」を本気にして
上記の経緯で、
今の仕事場でのことを清算し、
友人と合流する前日に単独で鎌倉入りした私は
アシスタント兼ライターという名目で、
彼女が今まさに為している「命の燈明を輝かす」仕事の場に
立ち合わせていただくことができたんです。
彼女がそのときやろうとしていたのは、
戦争体験をした方の記憶や、その想いを
次世代に伝えようとするものでした。
彼女は映像作家として、
1945年を生きた方達の、
「戦争での体験を語る姿」を記録し、
なるべく意図を加えず、そのままの姿を
全国の小学生、中学生、高校生、大学生に見てもらうことで
次世代を担う彼らが何を感じるかを問い、
その応えを
1945年の記憶を語る方達に伝える、
メッセンジャーをしてらっしゃいます。
彼女がこの日(7月13日)、
しようとしていることもまた、
その映画を、
多くの次世代に届けるための布石でした。
自分にできることはなにかを考える
私の立場からは、何ができるか
彼女の為事を妨げないために
空気のように傍聴しつつも、
私の中でも一つ、
自分の立場から出発した「“戦争”に対するお役目」に
心当たりが顕れてきていました。
私自身、つい三ヶ月ほど前まで、
「辻政信」さんの御霊を通して
“戦争”というテーマを見つめる必要に迫られていたからです。
私は、
辻さんの成仏を伴走しようと動くあいだ、
この「戦場に常駐する」生き方を貫いた軍人さんに、
自分の感情経験を投影してきました。
彼の、脇目もふらず突き進む姿勢から
彼を駆り立てる焦燥感と、
どうにもならない苦しみを想像して
強い共感を抱いていたと振り返ります。
おそらく私の感受の仕方から“戦争”を見るとなったら、
友人とは別の視点から、
アプローチすることになると感じました。
平たく言うと、
「戦争に向かおうとする人の
心理を明らかにすること」。
愚かな行為であることは
疾うの昔から言われているにも関わらず、
歴史上繰り返されるのは
その時代の当事者となる人々の、
誰しもの中に「戦争に向かおうとする」
引き金があるからだと思います。
終戦後も戦場に生き続けようとした辻さんや、
私を、彼へのご縁に導いてくださった、
修羅道救済担当の十一面観世音さま。
私が幼少期からずっと抱えていた世界観。
なにより、今なお私を苛む、
「自分の領域を侵害される」という感受。
繰り返される“戦争”を、
二度と繰り返さないために
その、
「うっかりすると向かいかねない」
戦争への流れから
逐次軌道修正していく必要を
今を生きている私たちが、
当事者として受け止めるために
私に何ができるかを考えていく中で、
「もしかしてこれかな」
というものを掴みつつありました。
新たな役目につながるこの感受は、
長年、私を「窮屈」に閉じ込めてきたものだった。
暴力の根源には、
「永遠に不変の安心」を求める心がある。
私はこの日の朝、友人と合流する直前に、
noteで「今日のおすすめ」に上がっていた記事を読み、
この「暴力の原因」が、
自分にとても心当たりのあるものだと身に迫って感じていました。
私は前半生、
怒り(恐れから出発した第二感情)をガソリンにしつつも、
利己的に振る舞うと村八分にされる
という生存本能のために、
自分自身を「他者のためになる」ことに使おうと意識して過ごし、
表面上は好ましいとされる、
自身がした献身が
「“のうのうと生きる”他者へのあてつけでしかない」
という感覚をずっと抱いてきていました。
私のなかに渦巻く暴力性は
たしかに今も存在していて、
その発現に至らないのは
私がただ、
ほどほどに非力で、
気力及ばず、
セリグマンの犬よろしく
無抵抗に慣れた時間を過ごしていたからに過ぎない。
ふとした時に、
こういった虚しさを感じていたのが、
つい三、四年ほど前までの自分です。
「向かうとこ敵だらけ」という感受
幼い私が、周囲にいる他者の
何気ない言動の端々から何を感じ、
脅かされてきたのかを特定しようと
振り返ると、
「骨抜きにされる」「無力化される」
「抑えつけられている」「歪められる」
ということが浮き上がって来ました。
ただ、
それをする周囲の人々に「悪意がない」ということは
理性の上ではちゃんと理解していて、
また、
軽率に「〇〇のせい」と決めつけるのは
幼稚で浅薄な行為だということも学習していたので、
そういう出来事が起こる都度、
周囲の事情を汲んで静かに受け入れていました。
それを繰り返すうち、
私自身も、
“骨抜き”に甘んじる一人に陥っていたと思います。
改めて考えると、
この「無力化される」と感じるような教育の仕方は、
戦争の歴史にもつながる、
国を挙げた政策が背景にあったとも思えます。
こういうことに考え至ると、
不安と恐れが湧き、
誰に対して向けることもできない怒りと
「力を取り戻さねば」という衝動に
繋がっていくんですよね。
ずっと言えなかったこと
こういう次第で、
私の目には、たびたび
他者が「私を損なうもの、損なおうと画策するもの」
として映っていました。割と、ながいあいだ。
これまでにも、その時のご縁で、
「仲間」のような感覚をもつ人たちは確かにいました。
それでも、
自分のそういう感受の仕方を
打ち明けるようなことはできませんでした。
だって、
「私には人が敵に見える」というのは、
突き詰めると
「私はあなたを敵だと思っている」
というのと同義じゃないですか。
相手だって「人」なんだから。
だからこれまでに出会った
「“ひとり”として向き合いたい」人たちにも、
思ったことをすっかりそのまま伝えることは、
ずっとできなかった。
それが窮屈で、
そのままの自分でいられていないと
感じる所以だったのかもしれないな、
と、熱く語る友人の傍らで沈思黙考しておりました。
実践し続ける彼女の、僧伽の友でありたい
ながく自分を窮屈にしていた感受の仕方ですが、
誤魔化さずに自分自身の感覚として受け取り
表現していくことで、
私一人だけの問題ではない
大きな命題につながっていくのであれば、
このコンプレックスのようなものは
私の「役割を担うための道具」に反転するんだと、
この日の出来事を通して気づきました。
この日の貴重な一瞬一瞬を
しっかりと咀嚼して
自身の力に変え、
ここから、天命に携わる人生をはじめて行こうと思います。
2024年7月14日 拝