2024年2月28日 『潜行三千里』を調べる②
辻さんはなぜ潜ったのか
戦後、
辻さんとも交流のあった軍上層部の方達が
戦犯として処刑されていく中
辻さんは「潜行」を選びました。
そのことについて、当時からすでに
「死ぬのが怖くて逃げ回っている」と言われ
ご家族が迫害の憂き目を見ていたようです。
『潜行三千里』には、
潜行中、奥様から手紙が届いたエピソードへの
ご本人の言及があります。
辻さんについてなんの先入観もなかった頃に
後年の評を聞くと、
いろいろと悪様に言われているのが目立ちました。
酷評の書き様をみると、
公を私して私腹を肥やしていたかのような印象を受けたのですが、
彼の人生から
「自らに自分の正当性を証明するための清廉潔白さ」
を感じとっている今の私からすると、
卑怯者というレッテルを貼られる屈辱は、
辻さんにとってもっとも不本意なことだったろうと思われます。
それを覚悟の上でも「潜行」を選んだのはなぜなのでしょうか。
『潜行三千里』では、終戦を告げる玉音放送の以前から、
辻さんが潜行を決意する経緯が綴られています。
当時の状況を詳しく知ると、改めて認識するんですが
戦争をやめるという知らせが届くほんの直前まで、
日本は戦場だったんですよね。
辻さんにとっては「終戦」もまた、
常に先方で控えている乗り越えるべき逆境
という認識だったのかもしれません。
ワーカーホリックのときは、
仕事がないと不安で
常に仕事を探している状態になるし、
せっかく仕事を見つけても
取りかかるとき人に先を越されたり、
誰かに分配されると
ちょっとガッカリするんだよな
と、我が身に照らして
突如「戦場」が終わってしまった辻さんの心情を慮ってみます。
当時の辻さんも、
どうにか「戦場」を続けようとしていたんじゃないかと
想像します。
前田さんによる『辻政信の真実』の続きでは、
辻さんが周囲の人の目にどう映っていたかが
よくわかります。
陸幼時代に猛勉強して「正解」を叩き込んだ弊害かもしれないな
と思いました。
自分の外側にある「正解」を頭に刷り込んで大きく(偉く)なった人は
成功体験を重ねて、自分がそれをマスターしたと思うと、
自分の感覚が本来外側にある「正解」と完全に同化しているという
錯覚を持つんじゃないでしょうか。
そのうち、自分がその場その場で受け取る感覚を
「正解」だと判断するようになって、
本人は常に「正解」を選んでいるつもりなのに、
その実、個人的な意向でしかない選択をしている状態に陥る。
自分の経験に馴染みがないというだけで
他者の特色を「へん」「非常識」と決めつけるのも、
この状態と似ていると思います。
辻さんのもつ危うさは、
「刷り込み教育」のクセみたいなものが底流している、
いまの時代にも見受けられるように思います。
理想に向かう先で自分についた嘘
私は、追悼法会に向けての調査のために
辻さんのストーキングを始めました。
彼が成仏するための着眼ポイントとして
というヒントをいただいていたのですが、
無意識のうちに自分についてしまう嘘…
つまり、本当の感覚と建前を並べる頭とのズレ
がなんだったのかを考えようとすると、
この「辻の大御心」に関係があるんじゃないかと思います。
理想にまっすぐな正義漢というキャラクターが
彼の自己イメージなのかな、と想定しているのですが
なんというか、
「自分が生きるために」戦場を終わらせたくない
という気持ちと
「人生を捧げて国のために」戦ってきた
という自負との自家撞着
みたいなものは抱えていたんじゃなかろうか
と思うんです。
でも、それなら
国のために働いて戦場で死ぬという一挙両得の失踪を
ちゃんとやってのけたのだから、
無念はないようにも思える。
私は辻さんをちょっと英雄視している節があるので
なにか必要があるから、それを「伝える」ために
現れたのではと勘繰っちゃうのですが
「これまでやってのけてきた」というプライド
へのこだわりが
悲鳴を上げる老体に鞭打つことになったという事情も
ありうるよな、と思えます。
私がお世話になっている山寺の住職さんが
タイへ慰霊の旅にでられているのですが、
タイ•バンコクは住職さんが辻さんと最初に出会った場所で、
辻さんが『潜行三千里』の一番最初に潜伏した場所でもあります。
潜行のルートをなぞれば
当時の事情を少しは理解できるのではということで
辻さんの潜行を追ってみようと思います。
続
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