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言行一致〜天命に応えて人事を尽くす〜【一】

一言主神社へのお参り

昨年(2023年)、和歌山県の橋本市にはじめてうかがったとき、
不思議と、「呼ばれた」と感じた神社がありました。

近くを通りがかった時に、頭の中で自分の名前を呼ぶ声が聞こえて、
「なんで名前知ってるの?」
と警戒心を抱いてビビりながらお伺いしたのですが
(こういうとこ、「自分、ちっちゃいな」って思います)、
実際に行ってみるとただただ淡然としていました。

鳥居と社の間が公園

ネットで調べてみると、
一言主大神様は
「言葉の力を司どる大神」「言行の一致、道徳の守神」とされていて、

何事も道理をわきまえ、
良いことにつけ、良からぬことにつけ、よく聞き分けて
人々の幸福のために直ちに御利益を授け、
一言の願い事でも疎かにせず願いを叶えてくださる

方なんだそうです。

以下、茨城県にある三竹山の一言主神社のHPを引用してみます。

一言主大神(『日本書紀』に一事主神、『古事記』に一言主大神)は
我々の持つ「言葉」の力を司る大神であると云われます。
紀・記の両書ともに雄略天皇条にその伝承を見ることができます。

雄略4年(西暦460年)陰暦2月の春に天皇が葛城山へ遊猟されたとき、
山中に面貌容儀が天皇と非常によく似た人が現れました。
天皇が誰何したところ、その人は
「吾は悪事も一言、善事も一言、言い離つ神、葛城の一言主大神ぞ」(『古事記』)
と応えられたのです。
そして『古事記』では天皇は大神に深く畏み、
伴の家臣たちの武具、着ている装束に至るまで全てを献上し、
また『日本書紀』においては互いに獲物への射掛けを譲り合いながら、
轡を並べて共に狩りに興じたと伝えられています。

「言い離つ神」とは、原文に「言離神」と書き、
これは「コトサカノカミ」とも訓むことができます。
この「コトサカ」とは「事解」とも書き、
言葉によって物事を解決するという意味があります。
つまり、一言主大神は
悪事も善事も一言のうちに解決する力ある神である
とお名告りになられたともいえるのです。

ここから一言主大神は力ある言葉の神、
また何事も解決する万能の神として、
中世には正一位の神階を送られる(延文5年(1360年)葛城一言主神社)など
時の朝廷からも厚く崇敬されました。

【一言主大神の自己紹介】

われはこれ大和國葛城山の東。
高宮たかみやをかる一言主大神なり。
今此處にきたれり。
吾が住所すむところをば人々な御嶽みたけとなあがむ。
吾が本縁ほんえんしめし。一度の参拝さんぱいむなしうせず。
一言の祈願きぐわんをもただすぐすべからず。
あまね利益りやくれてとうごく萬民の災害わざはいすくはむと思へり。
また此三岐みつまたの竹を以て永く契とせよとのり給ふ。

私は大和国ヤマトノクニ葛城山カツラギサン東高宮の岡タカミヤノオカにいる一言主大神ヒトコトヌシノオオカミである。私の神としての由来を示し、私は一度の参拝であっても無駄にせず、一言の祈願であってもなにもせず打ち捨てることはしない。ことごとく利益を与えこの国の人々を災いから救うためにここに来た。すなわちこの“三岐ミツマタの竹”を私とおもって末永くおまつりしなさい。

『一言主大神社略縁起』

ちょうど、自分の「かく在りたい」姿を模索して
少しずつ言語化を試みていたので、
その宣言を聞いてくださるご縁だったのかなと思っています。

「ことば」は私が大切にしているものなので、
ご縁を感じられたことがとても心強いです。

以降、橋本市にお伺いする都度ご挨拶にうかがっています。


→「かく在ります」宣言と、与えられる課題


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流記屋
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