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心照古教〜『大学』を考える〜【五】

「調和」を"絶対的な善"の境地と考えてみる

至善にするにあり

「止」という字は説文学せつもんがく的には足形である。
下の一は踵、上は足の指の象形である。
故に歩いて行って、あるところまで進んで行ったその跡である。
これは到達を表す、達することを表す、安立を表す。
「止まる」には相違ないが、「停する」の「止まる」ではない、
「到達する」の「止まる」である。
だから、「しする」あるいは「いたる」と読んだ方がよろしい。
「至善」というのは、悪に対する善の“相対的な善”ではなくて、
いわゆるアウフヘーベン(止揚)という言葉があるが、
とにかくそういう「“絶対的な善”に到達するに在り」というのであります。

安岡正篤『人物を創る 人間学講話「大学」「小学」』

この「絶対的な善」という表現に、ちょっとビビりました。
なぜなら、
善悪を断定するのは結構センシティブだと思っているからです。

これまでに出会った、善悪を語る人の多くは、
自分が優位に立つルールを「正しい」ものとして
それを他者にも適用させようとしているようでしたし、

「自分に都合の良いこと」を「正しいこと」と
錯覚しているように見える人に会う機会も多かったからです。


競争社会の「善悪」と、
和をもって尊しとなす社会の「善悪」は違うと思います。

その上で、
私は「調和」を「善」と考えることにします。


修行時代最後の職場を離れたのは、
ここでは調和が図れないと感じ取ったから
とも言えます。
上司にお小言をいただいた時分には、
割と深刻に追い詰められていたので、
私自身の「譲れないもの」が浮き彫りになっていたんです。

そして、それを自覚した上で
「この会社と“一体化”するために、
自分の譲れないものの方を無くす」
という判断をしたくない﹅﹅﹅﹅﹅と思った。
この時のこれが、
明徳」で「私のパズルピースの形」だ
と思った面もあるんです。

ここには合わないとわかったから、次に進める
と感じた。

「自分だけに備わった能力を特定する」という目標を掲げて
仕事の研究をしてきた成果が、ここで出たと思いました。

「この分野なら常にそつなくこなせる」とか
そういう表面的なものじゃなくて、

無理難題にがっぷり四つで取り組んだ時に現れる、
私自身の弱点や、
それを補うための創意工夫、
回り道で選んだ選択と
そのプロセス全てが
特有の力になっているんじゃないか


というのが、
実際やってみて感じた
「備わった能力」でした。
だから、この形で調和を生み出せる環境を見つけるのが
次のステージ
だと思った。
「大人」には、「家大人」「会社大人」の他にも、
国と我とが一体だと感じる「国大人」がいます。
幕末に奔走した志士の皆さんはこの次元にいると思います。

さらに、スケールを広げていくと
世界と我とが一体だと感じる「世界大人」もいる。

国と我とが一体だと感じる人は国の大人、「国大人」です。
こういう人は、国が悪くなればなるほど、この国をどうしたら立派な国にできるか、どうすれば復興させることができるかと真剣に考えて、それに取り組む。時には命を捨ててでも自分の国を守ろうとする。そういう人は「国大人」です。これも地位は関係ありません。
同じように、世界と我とが一体だと感じる人は「世界大人」でしょう。
孔子や釈迦やキリストというのは、民族や国境や時代を超えて、天のため、国のためにご苦心なさった。だから「世界大人」です。

伊輿田覺『「大学」を味読する 己を修め人を治める道』

ここで、一つ思い至った本の一節があります。

ブッダは「世界」に無関心
ブッダの遺骨をおさめた仏塔が、古代インド人が世界のかたちと考えた卵形をしている事実とは裏腹なのですが、ブッダ自身は、そのなかにわたしたちがいるという意味での「世界」に、まったく関心をもちませんでした。
なぜなら、ブッダにとっての「世界」は、「周辺世界」といって、
自分の感覚器官によって把握できる範囲にかぎられていたからです。
つまり、ブッダにとっての「世界」は、自分自身の心身および直近の範囲内だけだったのです。
ブッダの場合、個に徹して、社会との絆をいっさい断たなければ、悟りは求められないという出家主義の立場を選んだために、「世界」の共有など、路外でした。何しろ、ブッダの遺言は「犀の角のごとく、ひとり歩め!」だったのですから。

正木晃『マンダラを生きる』

自分の周辺世界が、世界そのものというスタンスは、
自分のいる片隅を照らすために全霊をかけることと同義かもしれません。

私はこれまで、
家にも会社にも居場所を見出すことが
できずにいました。

家なき子よろしく自分の居場所を探し回って
うろうろしていたくらいなので、

「国」や「世界」に親心を持って
いられているかと問われれば、答えは否です。

でも、「会社大人」になろうともがいて自分の形を知り、
その環境を拒絶して、
敷かれていたレールから飛び出したことで
全く違う社会があることも知りました。


旅を重ねる中で、出会った方から
「自分が居たいと思う場所をつくればいい」
という言葉をいただいたとき、

自分が一体化するものを、一から作る
というあり方が目の前に来たと思いました。


今の私は、何をやっているのか


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流記屋
知る・学ぶ・会いにいく・対話する・実際を観る・体感する すべての経験を買うためのお金がほしい。 私のフィルターを通した世界を表現することで還元します。