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心照古教〜『大学』を考える〜【二四】

誠実に向き合うには膨大なエネルギーを要する

境界線を引くことの必要性

人はそれぞれ自分の都合で生きています。
どれだけ他人のために動いていても、
それが本当にその人のためになるとは限りません。
なぜなら、働きかける主体のフィルターを通せば、
どうしてもその主体によるジャッジが入り込むからです。

「自分を大事にしないことを誇る」という
見当違いのことをしているうちは、
周囲に働きかける土俵にも立てない。

自分を粗雑に扱うことを良しとする価値観が、
「その人を思って」の行動に翳りを落とすからです。

それは感謝への期待だったり、
相手への優越感だったり、
こういう働きかけは
された側からしたら、むしろ奪われた気になります。

具体的に何を奪われるかを挙げると、
経験とか、学びとか、実感とか、当事者意識とか、
主体である自負心とかですかね。

自分を徹底的に大事にしてはじめて道は拓く

2022年10月4日に、
日野原重明さんのことばと出会いました。
もう年数がふたつも変わっています。
光陰矢の如しってやつですね。
この日、そこから感じたことを自分のFacebookに投稿しました。

「生きがいとは、
 自分を徹底的に大事にすることから始まる。」


「自分のためにでなく、
 人のために生きようとするとき、
 その人は、もはや孤独ではない。」

自己犠牲と貢献の境目がわからずに
身を削っていると気付かぬ内に
周囲にも悪影響を及ぼしていたりしますよね。

まず、自分を満たすこと…

なんかありましたよね
「シャンパンタワー」みたいな法則。

あ、「シャンパンタワーの法則」だ。

語感的に、
自分を満たして余裕があればこそ、
人にも分け与えることができる…

と解釈しているんですが、

今回の日野原氏の言葉は、
ちょっと雰囲気が違う気がします。

快不快や好き嫌い、
得手不得手を手掛かりに
自分を突き詰めて、

自分にしかできないことを
見つけ出し
そこを請け負えば、
人のためになる。


自分をとことん大事にして
見つけ出した仕事は、

誰かのためにもなる。

身勝手だとかなんだとか
動物的な同調圧力に負けず

自分を通した先に
見えて来るものがあるんでしょうね。

当時SNSに投稿した文章

→ 一家仁なれば、


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流記屋
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