三綱領の典拠
民に親しむ・「新民」の典拠
解釈「民に親しむ」vs「民を新たにする」
こんなエピソードがあります。
元々『大学』は、
『礼記』の一篇だったのを、
司馬温公という方が抜き出して
『大学広義』としてまとめました。
程明道・程伊川という
方達が、この『大学広義』をとても尊重しており、
お二人の学統を継承した朱子さんが、
四書の一つとして世に広めるために
『礼記』の中にある「大学」を秩序立てて改篇したんですが、
その時に「民に親しむにあり」の一文について、
「”親”は十一真の韻で”新”に通じるので、”新”が正しい」と言って
四書の『大学』での表記を代えたんだそうです。
それに対して、王陽明さんは
「なにもわざわざ”新”の字に改める必要はない、
古本大学の通りの”親”でよろしい」
と主張した。
そこで、「新民」説を好む人と、「親民」説を用いる人とで
議論が分かれる様になった…
というお話です。
しかし、「新たにする」も「親しむ」も、
よくよく考えてみると、それぞれにあい通じるところがある。
「新たにする」には、まず「親しむ」必要がある。
例えばの話なんですが、
他人事に構えていて、問題解決に動く気がないことが
日頃の言動の端々から窺い知れるのに、
その問題が話題に上った時だけ
上から目線の妙な口出しをして
こっちのやり方を変えさせようとしてくる
同僚とか、先輩とか、上司とかがいたとします。
言ってることは正論っぽいが、
それができないから苦労してんだよ、
ということに対して、
言い出しっぺの本人も実践する気のない
机上の空論ばかり並べてくる。
イラッとしませんか。
私はイラッとします。
「維新」=小さくじわじわジェネレート
「維新」という話題になると、ふと思い浮かぶ人たちがいます。
その名も「ジェネレーター」。
彼らのやっていることは、言葉を変えれば
「維新」になるのではないかと、興奮を持って見ています。
あんまり語ると長くなるので、今回はこの辺で失礼します。
→三綱領の典拠 「至善に止する」の参考文献