志摩旅(2)*英虞湾の間崎島
間崎島は「まさきしま」と読みます。
英虞湾のちょうど真ん中にあって、西の外海から英虞湾に入ってきた船からは、おそらく真正面に見える位置にあります。
賢島から南の先志摩半島にある和具をつなぐ定期連絡船の途中、この間崎島に立ち寄ります。上記の地図の点線が連絡船の航路で、先志摩と書いてあるところが和具の港です。
連絡船は1時間に1便で、賢島から間崎島まで10分、間崎島から和具まで10分の船旅。
賢島を出港した船は、和具に到着するとすぐに折り返して賢島まで戻ります。そしてまたすぐに和具に向かって出発します。
小型の船ですが客室の上にもあがることができて、潮風を全身に受けながら英虞湾を見渡すことができます。この船はこの海に暮らす人の日常の交通手段になっていて、和具の港に隣接する三重県立水産高等学校の生徒も同乗していました。なので屋上にのぼるお客さんは、他にはいなくて、独り占めの贅沢な船旅でした。
この日は雲もすこしあって、風はあるのに波は穏やかで、湾全体を漣が覆っていて、エンジン音をたてながらピンク色の連絡船は白いベールのような航跡の尾を引いていました。
間崎島の港の近くには瓦屋根の家が並ぶ集落があって、小高い森の前に鳥居が見えるのは「天眞名井神社」。
天眞名井という名から、ここに真水が湧き出ていたのではないかと思って探して見ましたが、その形跡を見つけることはできませんでした。でも人が住めるというのは間違いなく「水がある」ということ。
現在の日本では水道が行き渡っていて当たり前のようにどこにでも水がありますが、もともとはそうではなく、水を安定的に得ることができる場所というのは、大切な場所であったに違いありません。そして水がないところにも水が得られるようになったこと。本当はそうしたことをちゃんと知るのはとても大切なことだと思います。
天の眞名井というのは『古事記』の中で、アマテラスとスサノオが誓約をしたときに重要な場所としてでてきます。二人の神が互いの物実を真名井に振り滌いで五男三女の神々が生まれました。
なので、そうした神聖な水が湧き出る場所を眞名井とよんだのでしょう。「眞名井」と名のつく神社や場所は、丹後や出雲など各地にあって、志摩半島の外海側の大王崎の北にも「天之眞名井神社」があります。
海を行く人たちにとって「水の確保」は最重要事項ですので、眞名井がある間崎島は古代から重要な島だったのでしょう。
そしてここからの海と空の景色も、神々しく神懸って見えました。
志摩上空には飛行機がたくさん飛んでいました。
伊勢湾に浮かぶ名古屋空港を離着陸する飛行機のようです。
この日は夕方になる程、雲に覆われて、雲が入り乱れるドラマチックな景色。
ところどころ日が射している海面は黄金に輝いていましたので、晴れた日ならきっと、英虞湾中が黄金に染まるのでしょう。
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