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カット&コピー&ペースト(心の絵)

インスタグラムやフェイスブックで、世界中の人が各々伝えたいと思った景色や場面をネットを通じて大量に見ることができるにつれて、実際に自分自身が見たことなのかそれとも写真で見た景色なのか、自分自身その境がわからなくなってきているように思う。(歳をとるにつれて自分の経験も増えているのでよけいに)

でもそれって写真でなくても絵を見ても同じことで、脳にとって境はもともとないのかもしれない。記憶はいつも実体験と仮想体験(想像の世界)の混ぜ合わせ。俳句や連句をしているときは仮託もするのでなおさらです。
「自由に心のままに何処へでもいける」それが人間が「遊べる」ということかもしれない。

雪舟の時代の山水画が【中国の古典に貯えられた図様単位を個々に分解し、適宜選択、合成して、”心の絵”、すなわち理想郷としてのアイディアルナ山水を組み合わせる方法】をとっていたことを知り「そうか」と思っていたのですが、インスタグラムで見た南の島の本屋さんの写真(こんなに美しい本屋が世にあるんだと、感心していた)のコメントに【These are photoshop edits made using stock images ~】とあって、室町時代の山水画と同じ方法でした。

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『日本水墨画全史』小林忠(講談社学術文庫)

理想の世界のイメージは部分を寄せ集めて境目をスムーズにつなげればできてしまって、イメージは創造を促すので、現実を選んで組み合わせて理想と似たような世界が目指されるのだろう。アートが現実に先行したり、量子コンピュータが真っ先に「組合せ最適化」への道具に使われるのも、そういうことかもしれない。


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