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いつしか「よみ人しらず」になるまで

昨晩、NHK総合の「The Covers」でユーミンの歌を聞きました。


この番組の中で、ユーミンが「私の歌がいつか『詠み人知らず』になるといいなぁと思っている」ということを話していました。

こないだ、洗顔フォームの香りで「さつきまつ花たちばなの・・」の古歌を思い出したことをnoteに書いていたところでしたので、「ああ、ユーミン、そうなんだ、そうなんだ。うん、そうなりそう、きっと」と思いました。


ユーミンの歌に出会ったのは中学3年の時。
ユーミンのレコードを持っていたクラスメートに、カセットテープにダビングをしてもらったのが最初の最初でした。

今思うと、当時発売されていたアルバムの何枚からからのセレクトだったみたいです。そのテープに入っていた曲を昨夜は思い出して、彼女の編集センスに今更ながら唸っていました。

というより、彼女の編集によって、「わたしの<恋愛世界観>の基礎ができた」と言えそう。なにしろ、高校生のスタートと同時にユーミンのこれらの歌を何度も聞くことになったのですから。

『MISSLIM』 1974.10.5 より
やさしさに包まれたなら、海を見ていた午後、魔法の鏡、たぶんあなたはむかえに来ない
『COBALT HOUR』1975.6.20 より
卒業写真、何もきかないで、ルージュの伝言、航海日誌、CHINESE SOUP、少しだけ片想い、雨のステイション
『14番目の月』1976.11.20 より
朝陽の中で微笑んで、中央フリーウェイ、グッド・ラック・アンド・グッドバイ
『流線形'80』1978.11.5 より
埠頭を渡る風、真冬のサーファー、静かなまぼろし、魔法のくすり、入江の午後3時、かんらん車
『悲しいほどお天気』1979.12.1
緑の町に舞い降りて、DESTINY

中学3年生の卒業式(1980年3月14日)の頃に友人にもらったカセットテープの曲(記憶から)

中でも一番に思い出すのがこちらのフレーズ。
曲名よりも、この歌詞なんです。

男はいつも最初の恋人になりたがり、女は誰も最後の愛人でいたいの

『魔法のくすり』松任谷由実(アルバム「流線形'80」1978年 より)

「最初の恋人」か「最後の愛人」か。
15歳以降ずっと今も、解釈が揺らいで更新されています。


そんなことを思いつつ、フォローしている野鳥好きの方のnoteを読んでいたら、万葉集の歌が紹介されていました。
鳥の写真が一緒にあるので、想像がぐんと飛び立つことができて愉しい。


朝鳥の 音のみし泣かむ 吾妹子に 今また更に 逢ふよしを無み (高橋朝臣)

万葉集 巻第三 483


受験勉強では枕詞を常套句として暗記し「お飾り言葉」のように学びますが、ほんとうは枕詞が描いている情景こそ、その人の心情が織り込まれているように思います。枕詞が誕生した万葉集の歌はそれが全てぐらいに。

ここでは、「朝鳥の」が枕詞となって「音(ね)のみ」を呼び出しています。

朝に鳴く鳥は、その姿は見えず(人は家の中にいますので)、その鳴く音(ね)だけが聞こえますので、「朝鳥→音のみ」という公式が当時の人の共通認識だったのでしょう。

ここまできて、この歌を読んだ人は、朝鳥の鳴き声だけが聞こえる情景を各々の記憶に照らして思い起こします。


ところで、【音】という字は、「おと」と「ね」の2つの訓読みがありますが、古代にはその2つの使い方には区別があった。ということを少し前にnoteで読んだのを思い出しました。(こんな風に繋がるのって、すごく愉しい)

私も、古語辞典を調べてみました。

ね【音】
おと。こえ。ひびき。
おと【音】
①声。響き。②おとづれ。たより。③うわさ。風聞。
こゑ【声】
①人や動物の発する音声 ②特に、よい声 ③物がふれて生ずる音 ④楽器の音色 ⑤発音。アクセント ⑥漢字の字音

*「音(ね)」は元来「哭(ね)」で泣き声のこと。平安時代には「おと」と「ね」の用法に区別があって、風・鐘などの比較的大きい音には「おと」、楽器・人の泣き声・鳥や虫の声などには「ね」を用いた。

『旺文社 古語辞典』


そこで、もともとの文字を知りたくて、講談社文庫の『万葉集』で、原文を確認しました。
この歌の万葉仮名での原文は

朝鳥之 啼耳鳴六 吾妹子尓 今亦更 逢因矣無
(あさとりの ねのみしなかむ わぎもこに いままたさらに あふよしをなみ)

『万葉集(一)』講談社文庫 中西進


書き下し文では「音のみし泣かむ」なので、泣いているのは人に限定されてしまいますが、原文には「泣」の文字はないのですね。

啼耳鳴六」の文字を眺めていますと、(鳥の)啼く音が(私の)耳に鳴っている様子のようなのです。
そして「六」は「む」で推量や意思の助詞で、未然形(未だになされていないこと)について推し量るのですが、自分事なら「意思」となり、他者事なら「推量」となります。

「鳴く(泣く)声が耳から離れないだろう」

やまと歌は、自然の景色に心の景色を重ねてゆきますので、ここでの登場人物たちの「啼く声」「鳴く声」「泣く声」が同時に重なってゆきます。
それは朝鳥や私や恋人(吾妹子)のなく声。
さらに上古の動詞は諸向きなので(二重の意味を同時に持っていますので)「鳴く」行為と「耳が鳴る」状況も重なります。


そして、声の主の姿は見えません。朝鳥も恋人も。私の姿も私には見えない。
朝鳥の姿が見えないのは、そうなのだけど、恋人の姿が見えない理由はこうでした。

今亦更 逢因矣無 (今亦更に逢う因(よし)を無み)」
今更に逢う原因が無いから

この「今更逢う原因がない」すなわち「今更逢う理由がない」というところが、「男の事情」かと思いました。仕事とか世間体とか、心変わりとかが理由。
だから泣いているのは吾妹子(女)のほうで、女のところへ行かなかった男がその朝に「今ごろ女は泣いているだろうなぁ」と思っていると、私は解釈したのです。頭の中が昨夜からユーミンモードでしたし。


でも、事情は違いました。


万葉集のこの歌の前に長歌があるのです。「死りし妻を悲傷びて作れる歌」という題がついていました。

泣いているのは、朝鳥と私とそして死んでしまった妻もきっと。。。

鳥は魂を運ぶ存在でもありますので、耳に聞こえる朝鳥の啼き声が生前の妻の声にどこまでも重なります。

そして、長歌と一緒にこの歌を解釈すると、本に載っている現代語訳が
「朝の鳥のように泣きに泣くことだろう。妻にこれからまたふたたび逢うすべもないので」
というようになることも、わかります。

でも、この短歌だけを取り出してしまうと「逢う原因がない」の受け止め方は、文脈によってどんどん変わってきそう。

中西進が古代の和歌について、こんなことを言っていました。

ひろく古代の和歌のひとつの特性として、歌の伝承ということがある。つまり彼らは歌を記録することなく、口頭から口頭へと歌を伝えつづけたのだから、決して原形を保証することがない。その口誦の時点で、新たな感情にささえられて歌は存在した

『古代史で楽しむ万葉集』中西進(角川ソフィア文庫)


この歌の作者の高橋朝臣の名は詳しくはわからないと万葉集には書かれています。「高橋さん」とだけわかっていたようで、こうしてだんだんと「よみ人しらず」となってゆくことを、少しリアルに感じました。

ユーミンの歌は、年齢によってどんどん感じ方が変わってきています。それは歌詞に余白や含みがあるからかもしれません。その人の記憶や経験が入り込んで交ざっていく余地がある。

だからきっと、ユーミンの歌を聞いた人や歌う人の、その時々の、その時代時代の事情や感情にささえられて、新解釈をされ続けながら、永く永く生き残っていくと思う。
記録技術が古代とは違うので「よみ人しらず」になりきれるかどうかはちょっと?だけれども。。


それにしても1300年前の男の人が、こんな慟哭をストレートに詠んでいたことが、ちょっと羨ましいと思いました。

いえいえ現代だって、昨夜聴いたエレカシの『翳りゆく部屋』の絶唱がありました。

どんな運命が愛を遠ざけたの 輝きは戻らない 私が今死んでも

『翳りゆく部屋』松任谷由実



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