『写し鏡』
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電車に揺られる愛美(まなみ)の目の前に、ヘッドホンから音が漏れるほどの大音量で音楽を聴いている若者が座っている。
その横では、座席の上を土足で飛び跳ねている子供と、それを注意する素振りすら見せない親らしい人物。
そして、それらの人物の近くでは、重そうな荷物を抱えた腰の曲がった老人が必死につり革に捕まり立っていた。
見かねた愛美は目を横に移動させる。すると今度は、ドアの近くで地べたに座り込む高校生の集団が目に飛び込んできた。その傍らには、車椅子に乗った人の姿が。近いうちに降りなくてはならないのか、ドアの近くを陣取る高校生の集団を不安そうに見つめていた。
いつからだろう。最近になって、こういう人たちをよく見かけるようになったのは。日本という国は、海外の人達からはやたらと称賛される。しかし、自分が日本人だからこそ分かる。本音と建前を巧みに操り、無表情を身にまとった日本人は非常に腹黒い。ゴミは普通にポイ捨てするし、伝統なんて何かに付けてクレームを入れてくる少数派クレーマーに潰されて枯れていく。なにがおもてなしの国だ。なにが美しい国ニッポンだ。
次の駅で一人の女性が乗車し、座席に座る愛美の前に立ってつり革に捕まる。女性のお腹はふっくらとしている。妊婦のようである。愛美は連日の残業で疲れていた。座席を譲る元気もない。開いていたスマホをしまい、寝たフリをしてやりすごそうとする。その時、愛美は不意に脳へ刺激が入ったような、そんな感覚に陥った。何かの記憶が蘇ってくる。
それは愛美が以前、今は亡き母に聞いた話。母が愛美を胎内で育んでいたある日、母は用事で電車に乗る機会があった。電車は満員で、仕方なくつり革に捕まっていると、突然具合が悪くなってしまった。身体は震え、つり革に込めた手の力が徐々に抜けていく。周りを見るが、大きくなったお腹を持つ身体が震える母を、皆一様に見てみぬふりをしていた。もうダメだ、と思ったその時、一人の青年が席を譲ってくれた。何度もお礼を言いつつ座席に腰を掛ける母。座ることが出来たおかげで体調不良のピークを超えることができ、結果として事なきを得た。あとから話を聞けば、その青年は生まれつき足が不自由だったという。
愛美はこの話をうんざりするほど聞いた。まるでおじいちゃん、おばあちゃんが昔の戦争の話を聞かせてくれるように。今思い出してもうんざりだ。しかし、やけにグサグサと刺されるような感覚に陥るのはなぜだろう。
愛美はもう一度周りを見る。その上で、自分を客観視する。頭を鈍器のようなものでガツンと殴られたような感覚に陥る。今の自分は周り人たちと一緒ではないか?
愛美は寝たフリをするのをやめ、目の前の妊婦に席を譲る。すると、その妊婦は母と同じように何度もお礼を言い、座席に腰掛けた後もまた一礼された。
愛美は嬉しいような恥ずかしいような、よく分からない感情になり、次の駅で降りるわけではないにもかかわらずドアの前まで移動する。そして、改めて元々自分が座っていた座席、今は妊婦が座る座席の周りを見る。
大音量で音楽を聴いていた青年は、鞄の中から何かを取り出そうとしたタイミングで音漏れに気付いた様子だった。青年は直ちに音楽を止めて周りにペコペコと頭を下げていた。さらに、目の前の老人に気付き、そして席を譲っていた。
座席の上を土足で飛び跳ねる子供は、今度はきちんと親に注意されていた。よく見ると子供は手話らしきものを使って親に謝っている。どうやら、あの子供の親は難聴で、先程は子供から目を離していたため、その間は子供が飛び跳ねている音が聞こえず注意が出来なかったのであろう。
もうすぐ次の停車駅に着くというタイミングで、愛美の予想通り、車椅子に乗った人がゆっくりと降り口に向かって進み出す。すると、ドアの前を陣取っていた高校生の集団はそれに気付き、すぐに立ち上がって道を開ける。それだけでなく、停車駅では待機していた駅員と共に、車椅子で降りようとしていた人のアシストをしていた。
それらを見ていた愛美は、一瞬だけ疲れを忘れ、温かい感情が身体を押し浸すような、そんな感覚になった。なんだ、日本はまだまだ捨てたもんじゃないじゃん。
全ての物事は、自分の写し鏡である。たとえば、最近良い人たちが増えたなと感じる時は、それは自分の中にも良い部分があり、それを目に映る他人が演じてくれていると言えよう。当然、その逆も然りである。良い人と悪い人というのは、自分の写し鏡、人の振り見て我が振り直せ、なのである。
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