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私はレゴが作れない

子どもたち、レゴが好きだ。Youtube大好き現代っ子のレンチビ3歳も、レゴを渡すと1時間でも2時間でもひたすら無心に何かを組み立てている。10歳の長男も9歳の長女も、未だにレゴが好き。普段はそんなに興味を示さないのに、唐突に、しかも常にライバルの二人は同時にレゴブームがやってきて、やっぱり1時間でも2時間でもなにかしら作っては、最終的にパーツの取り合いをして大喧嘩になる。

レンチビは自分で作るのに煮詰まったり行き詰まったりすると、「ママプレイウィズミー」と言いながら、私のところにレゴを持ってくる。(日本に帰国して3ヶ月経った今は、「ママつくってー」に言葉が変わった。)

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ところがだ。私はさっぱりレゴがつくれない。残念だ。無念だ。レンチビご希望の「エアプレイン」も「トゥレイン」も「シップ」も全然うまく作れない。申し訳ない。手を抜いているわけではなくて、本当に作れないのだ。子供が作ってくれた船に、帆を張ることはできるけれど、あるいはエンジンを乗せることはできるけれど、はたまた窓を付け加えることはできるけれど、ゼロから1が作れない。

2020年の1年は、いわば私がレゴが作れないことを、毎日のように突きつけられた毎日だったように、今振り返ると思う。

そう、私はレゴが作れない。

「他者と関わる」

11月・12月と、人類学者の磯野真穂さんが主催するオンライン講座「他者と関わる」を受講した。ロックダウン中に「聖なるズー」を読み、そのアプローチに感動したことをきっかけに、人類学という分野に猛烈に興味が湧いた私。当時まだインドにいながらにして、この講座は絶対に受けたいと一人勝手に申し込み、家族には事後報告。インドでヘルパーさんもいる状態での受講を想定していたのだけれど、結果的に受講時期には日本にいて、子どもたちとバタバタしながら、まだ居場所が定まらない状態で、講座はスタートした。最終的にはリモートワークが始まりながらも私の受講を尊重してやりくりしてくれた夫には超絶感謝である。ありがとう、ほんと。

全6回の講義の中で、自己と他者、家族、組織、日本社会、と徐々に広い範囲に移行しながら、「他者とはなにか」を人類学的な視点で読み解いていく。私が参加したのは3クール目で、1クールにつき木曜コースと水曜コースが設定されているので、要は6回めの講義だったわけだけれど、磯野さんの話はいつも全力で熱量が高かったし、その6回の参加者たちがタテに横に、学びを通じてゆるくつながっている感じもとても良かった。オンラインでもここまで人と“出会え”、そして“つながれる”のか、という驚きもあったし、最終回の講義は、深い共感の嵐で胸が熱くなった。(眠いのに母としか寝たくない末っ子に引きずられて最後あっさり退散してしまったのが心残り)

心に響くポイントはいくつもあったのだけれど、特に印象的だったのは、おそらく誰もが一度は考えたことがあるであろう、自己の唯一性について考えた時。私自身も20代の前半の日記を見返すと、この自己の唯一性を巡って深く悩み揺らいでいたようである。(今はそんなことについて不安に思ったことすらすっかり忘れている。)

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【※以下、講義を受けて自分なりに解釈した内容に基づいて書いています】

自己について、「〜である」という言い方で説明する場合があるけれど、果たして自己は「〜である」で説明しつくせるのか、という話。

「女性である」
「妻である」
「母である」
「36歳である」
「ショートヘアである」
「日本人である」
「主婦である」

思いつく限りあげてみても、おそらく自己を「〜である」では説明し尽くすことができない。そこには、理由はないけれど、説明しつくせない「私がある/いる」という事実が存在している。

この「〜である」の存在か(タグ付けの関係性)、「〜がある」の存在か(踏み跡を刻む関係)という視点で、人間関係を考えてみようというのだ。例えば組織で働くということは、タグ付けの関係性に甘んじるということなのかもしれない。(私はちゃんと組織で働いたことがないけれど。)タグ付けの関係性は、できる限り不確定性を消去し、あるべき姿を皆が共有しやすい。それがいいとか悪いとかではなく、少なくともそうやって組織は作られてきたし、家族や学校やビジネスも、社会はタグ付けの関係の中で秩序的に動いているのだと思う。

一方で「〜がある」の存在でいること、あるいはそれがむき出しになるということは、不確定性を許容し、お互いの唯一性同志をぶつかり合わせる形で関係性を形成するということ。不確実性がある分、苦しみや失敗を伴うけれども、そこにはある意味唯一性のある関係性が生まれ、さらに言えばその唯一性のあるプロセスを経て、唯一性の在る自分が更新されていく

これは本当に頷ける話で、例えば生まれつき病気があって意思表示ができない、自由に体を動かせない我が家のはるるんは、まさに「〜がある」の存在を生まれ落ちた直後から全うしていると私は思う。そうしてはるるんと出会った私や家族は、「〜がある」の存在同志として唯一性のある関係性を描き、そうして私達はいつのまにか、新たな自分がいることに気がつくのだ。

「専門家は個々の関係性のエキスパートになってはならない」

という磯野さんの言葉がとてもとても印象的だった。社会の中で専門性や正しさを掲げる人たちの、ある意味で暴力的な“助言”に感じていた違和感を、うまく表現してもらった気がした。

医者も弁護士も教育者も研究者も、その道の専門家がもつ知識の意味は計り知れない。けれどもじゃあ、目の前に起きていること、目の前で展開される人間関係に、機械的にマニュアルを当てはめればいいのかというと、そうではないと、私は思う。だってにんげんだもの。だって、あなたはあなたでしかなく、その人はその人でしかなく、一つの出会いはその一つしかないのだもの。

例えば育児書を読めば、「子供には〇〇という声かけがいいでしょう、〇〇という声掛けはNGです。」とかのっているけれど、そういうご丁寧なアドバイスに対して、私はついつい「ごちゃごちゃうるせー」と思ってしまう。もちろん育児書の著者は教育の専門家だし正しいことを言っているのだけれど、私の子供の専門家は私なのである。だから、もちろん専門家の研究や知識は参考にはするけれど、何が正しいかどうかなんて、他の誰かに決めてほしくない。

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熱中してレゴを作る子どもたちを、心底すごいと私は思う。声掛けの良し悪しを使い分けたりできるほど器用な人間ではまったくないので、ダサいものはダサいね、と言ってしまうし、よくわかんないものができればよくわかんないね、と言ってしまうし、上手にかけてるなあと思えば、上手だねと言ってしまうのだけど、私が作れないレゴに熱中して、そうして何かしら作り上げる子どもたちのことを、私は心底尊敬するから、腹の底から声が出る。「すごーい!」嘘はない。

それでいいじゃないかと思っている。言い聞かせている。私と子供は親と子である以前に人間同士なのだから。

なぜだ、なんだか泣きそうだ。
これはもしかしたら、私が母親であることを飛び越えて、子供たちと「〜がある」の関係性で体当たりしているがゆえのダメージなのかもしれない。

回避

「もう限界だよ」
インドが3月に突如ロックダウンして以降、ずっと引きこもり生活を続けていた8月の終わり、長女が涙声で言った。

デリーでは3月に突如学校が休校になり、続いて厳しいロックダウンが敷かれて以降、かれこれ半年学校はクローズしたままだった。経済活動は6月から緩和され、8月にはほとんど元通りの人が街に溢れていたけれど、学校は依然としてオンラインのまま。経済活動が元通りになったせいで、感染者は激増していた。たまに教科書配布などで学校に行くことがあっても、少しでも学校内に体調不良者の出入りが発覚すると日程がずらされてしまう始末で、学校再開の目処はまったく立っていなかった。

長女はオンラインのもどかしさにイライラをつのらせていたようだけれど、長男はもはやオンライン授業という名の画面をそっと傍らに置いているだけ。そうして本人もよくわからないコントロール不能の怒りのようなものが常にこみ上げてくるらしく、日に何度も感情を爆発させ、布団に篭り、ゲームや漫画で現実逃避をしていた。末っ子レンチビはドライバーさんと一日中遊んでもらってそれなりに楽しそうだったけれど、同世代のお友達と遊べない切なさがふとした瞬間に垣間見られたし、今後のことを不安気に話し合う両親を見ては、ぎゅううっと抱きついてきては何かを確認しているようだった。はるるんは刺激の少なさからか、一日中うとうとしていて表情はなんだか乏しくなったような気がした。

一日中、子供たちとむき出しの自己どうしで体当たりをする日々を7ヶ月続けた結果、私も子どもたちも、疲れ果てていた。

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「わかった。9月になっても学校が始まらなかったら、日本に帰ろう。」
長女が言葉にしてくれたことで、私は内心ほっとして、そう答えた。
そして9月になっても、学校は再開しなかった。

「帰ろう、日本に。」

声に出すと、なんだか泣きそうだった。

ゼロからレゴを組み立てられない自分が、まるで無力で、無意味な人間のような気がした。私がここにいても、何も作れない。学校や社会の秩序の中でなければ、子育てすらできない。ロックダウン日記と題してFacebookで記録を続けていたけれど、日に日にネガティブな内容が多くなり、思わず後から非表示にしたり削除したりすることもあった。

「帰ろう、日本に。」

日本に帰って、その後どうするのか、結論は出ていなかった。それでもとにかく、一旦この息苦しい不確実な生活から抜け出す必要があった。そうして、できることなら私は自分を何かしらタグ付けしたかった。タグ付けすることで、この社会の一員であることを確かめたいと思っていた。

今思えば、一旦、予測可能な関係性の中で、秩序ある生活と自分自身の存在を立て直したいと無意識に願っていたのかもしれない。

✈ ✈ ✈

9月30日、ガランとしていていつもと様相の違うインディラ・ガンディー国際空港から日本に飛んだ。

2週間の自主隔離後は、とにかくリアルな生活を子どもたちに取り戻してやりたいと、小学校への体験入学を申し込んだ。大人はというと、正常に落ち着いて判断を下せるように、自分たちの心身のリカバリーに努めよう、すなわち何も考えずに本能のままに過ごそう、ということになった。(現実逃避とも言う。)

美味しいものを買い込んで料理をして、公園でたっぷり遊び、先のことは語らずに、ただ日本での穏やかな時間を過ごした。何かに耐えるように、ただ朝になるとコーヒーを淹れて、時間を過ごした。

なんだか不思議な時間だったと思う。立ち止まって、次の一歩をどこにむかって踏み出すべきか、じりじりと片足を空中にさまよわせているような、人生の中でもちょっと特殊な時間。これまでの自分たちの生き方を振り返り、これからの自分たちの生き方を静かに問う。答えは急がずに、声に出すことなく、それでも家族として一緒に寝て起きて、ただガリガリと、毎日朝が来ると豆を挽いてコーヒーを飲んだ。

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そうして刻一刻と月日は流れ、なんの結論も出ないまま、やがて夫の有給休暇が終わりを告げた。

「世界ははじまりに満ちている」

磯野さんと、亡き哲学者である宮野真生子さんの往復書簡を書籍化した「急に具合が悪くなる」の中で、宮野さんが最後、強調していた言葉である。

「世界ははじまりに満ちている」

いったいどういう意味なのか、講義を受けた今は理解できる気がしている。

講義の中の磯野さんの言葉と、「急に具合が悪くなる」の中の宮野さんの言葉を借りて言うならば、
「予測不能な領域(偶然)に直面したときに、そのタイミングを見極め、それを力強い情熱的自覚と勇気をもって掴み取り、情熱的に自分を投じていった時、それは運命に転化することがある」
のだという。
だから、予測不能がいつでも起こりうるこの世界は、根源的な出会いのはじまりにに満ちていて、それは同時に、その出会いを選択する新しい自分との出会いの可能性でもあると、宮野さんは書いている。

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ここからは完全に私個人の考えなのだけれど、「〜がある」の存在としての自分を生き、はじまりのタイミングを捉えて世界に踏み跡を刻むためには、「〜である」の自分をちゃんと(?)いくつも重ねる必要があるような気がしている。「〜である」の存在(いわば固定のタグ付けされた自分)と、「〜がある」の存在(動的にラインを描いて世界を生きる自分)、そのどちらもが、はじまりを見落とさずに捉え、他者と出会い、新たな自分に変化していく上で重要なのではないだろうか。

予測不能、不確定なことだらけだった2020年がもうすぐ終わる。「〜がある」の存在としての自分を問われ続けて、今は「〜である」の自分を補強したいときなのかもしれない。

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写真は、新たな夫婦のはじまりとなった日、深夜に食べた鍋とおにぎり。(かっこよく言ってみたけれど、今回のコロナ禍での身の振り方や子育て観、生き方をめぐって壮絶な議論と言う名の夫婦喧嘩が繰り広げられ、まるで食欲がわかなかった1週間を経て、ようやく話し合いが持たれ、ホッとしてお腹が空いたタイミングに夫がお鍋を温めてくれた、ほろ苦くも文字通り温かい1ヶ月半前の思い出。)

子どもたち(と私も)がリアルな生活を取り戻せるよう、ひとまず日本で生活を立ち上げると決めた。何かの決断をする、あるいは選択をするということは、決まった自分があるからその選択をするのではなく、それを選び取った先で自分の生き方が決まってくるということだと考えられると、本の中で宮野さんは言う。

私達家族は、この決断の先、どんな自己になっていくのか。恐れがないわけではないけれど、とどまることなく歩いていくしかない。私達は私達でしかない。

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私はレゴが作れない。決まった四角いパーツを組み合わせて何かを作り出すという行為が、どうしても苦手だ。

レゴは作れないけれど、シャボン玉を永遠に吹いていられる。何度ふいても、一度として同じ膨らみ方はしないし、一度として同じカタチで空中に出ては行かないけれど、ひとたび吹き口を離れてしまえば、完全なる球体になってふわふわと空中を浮くシャボン玉。ときには草の先に乗り、時には風に壊され、時には空高く昇っていく。その美しさと儚さと唯一性の虜になって、何度でも口から出す空気を加減しながら、空中に飛び立っていくシャボン玉を見つめる。

0から1を作ることは苦手だけれど、0から1を作る子どもたちを見るのは楽しい。目の前に生まれ変化する数々の有機的なものを、見つめて、唯一的に向き合っていくことが好きだなあ、と思う。

必要な「〜である」を重ねながらも、完結したタグ付けの関係のみにとどまることは、私には不可能だとつくづく思う。これまでの自分の歩んできた道を振り返ってみても、これから先を思い描いても。

エネルギーは使うけれど、「〜である」自分を確認しながら、子どもたちとも、他人とも、「〜がある」の自分で出会い、生きていきたい、これからも。
はじまりを、見逃したくない。

新しい年が始まる。
「はじまりに満ちた」新たな1年。

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私はレゴが作れない。
でもシャボン玉を永遠にふいていられる!

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