道なき道をゆく(パプア滞在記③)
「本当にこんなところに学校があるんだろうか?」
肢体不自由、目が見えない、言葉が喋れない次女のパプア・ニューギニアでの学校探し。
私たちの車は怪しい雰囲気の道を走っていた。
夫がこちらに住み始めてすぐに中古で購入したホンダのCR-Vが、とんでもなく揺れる。周囲には裸足で歩く現地の人たち。外国人が乗ってるのがわかってリンチされないだろうか、とヒヤヒヤである。
車、ひっくりかえってるし……。
「あ、看板が見えた!あれじゃない?」
“Red Cross Special Education Resource centre”
それが一つ目の目的地だ。確かに看板がある。
角を曲がって進むが、怪しさは変わらない。
「レッドクロススペシャルエデュケーションセンターはどこですか?」
路端でブアイと呼ばれる嗜好品をかじっているおじさんがに尋ねると、「すぐそこだよ」と笑顔で教えてくれた。
ちなみにブアイは、植物ベースの嗜好品で、噛んで吐き出して楽しむのだが、軽い酩酊感と共に口の中が真っ赤になる。おじさんの口元も真っ赤だった。
言われた方向に進むと、確かにあった、赤十字の学校!
たのもー!
いくらネットで情報収集しても、実際の情報が違っていることは大いにあるし、事前にメールで問い合わせても返事はのぞみ薄。こういうところではとにかく実際に行ってみるのが一番、ということはインド時代に学習済みだ。
事情を説明すると、中から先生と思しきおじさんと、事務局の人とおぼしきおねえさんが出てきて、なんだかすごく歓迎してくれた。
教室には自閉症の子達が何人かいて、おじさんの話によると、通学できる子はするし、週に何回かはコミュニティセラピーと称して地域に出ていき、リハビリしているという。(それ以外もいろいろ話してくれたけどなんて言ってるのかようわからななった)しかし、次女のような身体障害のある子は見当たらない。
バギーに乗る次女の様子をみた事務局のお姉さんは、「この子にはたぶんここよりチャシャヤがいいと思うわ。チャシャヤとここも連携をとっているのよ」と別の学校を紹介してくれた。
みんなで記念写真をとって、おねえさんが紹介してくれた「チャシャヤ」へ。
“Cheshire disability centre”
実はここ、もともと選択肢の一つとして今日の突撃候補に入れていた。
看板が見えたところを曲がって車をとめると、校庭らしき場所で子どもたちが遊んでいるのが見えた。車椅子の人や片足がない人もいるようだ。
事務所に声をかけると、まず案内されたのはリハビリセンター。敷地内にリハビリセンターと学校があり、前者ではアセスメントと理学療法や作業療法のトレーニングを受けることができる。アセスメントが出れば、それを元に学校にも所属できるという仕組みだ。
施設内にはスロープもあり、ここなら次女も無理なく過ごせそう。
まずはリハビリセンターでアセスメントのための予約をとり、学校へ。
「ハロー、リトルプリンセス!」
先生たちがにこやかに迎えてくれた。
聞けば、ここは別に障害児のみを受け入れている訳ではないという。障害のある子もない子も一緒に過ごすことで、お互いに良い影響が生まれる、と、先生。
お昼までだったのでちょうど授業は終わり、ランチを食べ終えて帰る子どもたち。賢そうな男の子が、今日の授業で作ったというアルミホイルの人形を誇らしげに見せてくれた。
最後に一応足を運んだのは、外国人や富裕層の子どもたちが通うインターナショナルスクール。
それまでの2箇所と違い、大きな柵で囲まれた立派な建物。部屋にはエアコンがきいている。事前に夫が問い合わせを送っていたのだがそれには回答がなかったため、門前払いかと思いきや、耳にお花をつけた上品なスタッフがとても丁寧に話を聞いてくれた。そして、「チャシャヤがベストだと思うわ」。
というわけで、ハルの所属先はチャシャヤになりそう。まずは来週、リハビリのアセスメントを受けて、学校にも無理のない範囲で通うことに。
インドでエアコンもなく雨漏りがする特別支援学校に通っていたことを思い出す。まるでわからないヒンディー語の歌をきき、インドの食べ物を持ち寄ってパーティーをして、同じような障害児を持つ親同士で謎に踊った。
インド、ニューデリーの特別支援学校についてはこちら▼
次女のおかげで、街のディープな部分に触れることができるのは、どこの国でも同じようだ。
(つづく)