批評 パステルナーク「詩の定義」

詩の定義  パステルナーク

それは――ふいに激しくほとばしる口笛
それは――おしつぶされた氷塊の割れる音
それは――木の葉を凍らせる夜
それは――二羽のうぐいすの決闘

それは――甘い しおれたえんどう
それは――豆のさやのなかの宇宙の涙
それは――楽譜とフルートでかなでるフィガロ
あられのように うねに落下してくる

いつも 深い海水浴場の底で
とてもものものしく 夜をさがすということ
そして おののく濡れた手のひらのうえの
生簀まで 星をもってくるということ

水のなかの板よりも平たいのは――蒸し暑さ
大空は 榛の木のようにかたむいた
この星たちは 笑いとばしてやるのがふさわしい
けれど 宇宙は――人気ひとけないところなのだ

批評

ロシアの詩人パステルナークによる「詩の定義」と題された詩である。詩の定義を詩で表現するというのは、かなり難しい部類のことだと思われるが、果たしてパステルナークはどのように表現したのか。

第一連はすべての行が「それは」という形で始まり、いずれも詩のある特徴を暗喩によって表現していると思われる。

それは――ふいに激しくほとばしる口笛

口笛は一人でゆったりと吹くことの多いものだが、それが「ふいに」「激しく」「ほとばしる」というのだから興味深い。自分の意志ではなくなかば痙攣的に吹くことを強いられる口笛、ということだろうか。それが「激しく」「ほとばしる」のだから、過激な運動であることは間違いない。しかし一方で、それは一人が奏でる「口笛」にすぎないのである。

それは――おしつぶされた氷塊の割れる音

この行でパステルナークが何を念頭に置いていたのかは分からないが、私は諏訪湖の御神渡りを思い浮かべた。冬の諏訪湖では、凍りついた湖面が膨張と収縮を繰り返すことにより、大きなひび割れを生じることがある。「おしつぶされた氷塊」は詩の言葉やイメージの暗喩だろうか。それらがぶつかり合うことにより、大きな音と共に氷塊が割れる。そのときに詩が生まれる。

第二連は第一連とは違って、各行のイメージがやや関連している。

それは――甘い しおれたえんどう
それは――豆のさやのなかの宇宙の涙

「しおれたえんどう」、そのさやの中には「宇宙の涙」が入っているという、幻想的な想像である。しおれたエンドウ豆という日常的なモチーフの中にさえ、「宇宙の涙」という壮大で神秘的なイメージを発見できる。詩人とはそういうものかもしれない。

第三連はこれまでとは書き方が大きく変わり、連全体で一貫した一つのイメージを打ち出している。

いつも 深い海水浴場の底で
とてもものものしく 夜をさがすということ
そして おののく濡れた手のひらのうえの
生簀まで 星をもってくるということ

海の底で砂を掻き分け、「夜」をさがし、そして手の上に「星」を持ってくる。ここで説明のない「夜」と「星」が詩のことを指しているのだろう。しかし疑問はある。この主体は、「夜」を「いつも」さがしているのである。深い海水浴場の底、それは夜のような場所ではないのか。そこでわざわざ「夜」をさがすのだ。それも「いつも」さがすのだ。そして濡れた手のひらはなぜ「おのの」いているのか。何に「おのの」いているのか。不安を持ちながらも「夜」と「星」を探し続けるという姿勢そのものが詩であると言いたいのか。

第四連の最後は、なんだか楽しげにも読める。

この星たちは 笑いとばしてやるのがふさわしい
けれど 宇宙は――人気(ひとけ)ないところなのだ

地球には人間が数十億も住んでいるが、宇宙のほとんどすべての場所には人間はいない。そういう意味では、宇宙は「人気のないところ」である。そういう場所では、笑い声がとてもよく響くのかもしれない。

詩の出典

パステルナーク(1972)『パステルナーク詩集』(稲田定雄訳・世界の詩集18)角川書店

2022/10/29 初稿