佐保山南陵と聖武天皇と光明皇后
奈良市 東大寺転害門から西、鴻池から南のところに佐保山南陵があります。聖武天皇(45代)と光明皇后の陵墓とされています。大きな通りではなく、住宅地の中にあるので、訪れる人も少ないです。
有名な話ではありますが、古墳の天皇陵治定は明らかに間違っていても、明治あたりからほぼ見直しはされておらず、強引に結びつけたな?と思うものが多いですね。こちら佐保山南もちょっと、確実とは言えないようです。聖武天皇ゆかりの東大寺の近くだし、ここかなーくらいな感じで決めたのでは・・・
称徳天皇(46/48)陵と西大寺と同じ感じ。
逆に確実視されてる古墳陵墓は、明日香村の天武(40)・持統(41)陵と文武(42)陵くらいでは・・・
あちこちの古墳を強引に治定をしているのに、若草山頂上という、一等にある鶯塚古墳を宮内庁が治定していないのが不自然やな~。どうしても私は、鶯塚は本当はとっくにわかっているのに、公表しにくい人物のそれな気がするんですよ。天皇になってない人のものではないかと。
光明皇后は、古代史上の見方がかなり分かれる女性に思われます。
藤原不比等の娘・藤三娘(とうさんじょう)であり、繊細病弱な聖武天皇を傀儡にしようとした藤原の女性。
信仰心篤い橘宿禰の母の血を意識し、仏教に帰依しつつ、藤原のやりかたに反感をもつ蘇我の女性。
私は蘇我びいきなので、藤原に面従腹背な蘇我の娘だといいなと思ってます。(宿禰は蘇我系。)日本の古代史は、母系のつながりの強さが見え隠れしますしね。
京都と比べると、ひとつひとつの「見どころ」が離れていて、いわゆる効率よく見て回ることがしにくいのが奈良ですが、この速度感と大きさとが、いいと思ってます。「今日はこの後、xxとxxも行かなきゃ」みたいな観光客の会話を聞いていると、なんかもったいない気がするんよ。
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