お好み焼きで天下取り
ある日の路上、本屋に行こうと歩いていたわたしは、予報外れのにわか雨に襲われた。
傘は持っていなかった。でも、コンビニで買うのは癪だった。コンビニに並ぶビニール傘って、人の不幸を待ちぶせしているみたいで嫌いだ。これまで何本買って、何本無くしてきたかわからないから嫌いだ。
だから買うぐらいなら雨に打たれる、と決然と歩き続けたわたしだったが、ニ三分も経たないうちに、己の思想に欠陥を見つけてしまった。濡れるのって、普通に不快なのね。
やっぱ傘買お。コンビニって便利! と転向しかけのわたしだったが、視界の先に、一軒のお好み焼き屋を発見した。これ幸い、と緊急避難的に店内へと駆け込んだのである。
入ってみると、客は一人もいなかった。
カウンター式の大きな鉄板といくつかのテーブル席がある店内に、背筋のしゃんした気丈夫そうなお婆さんと、バイトっぽい金髪の若い女の子が手持無沙汰に立っていた。
一応、一人利用でも大丈夫か確認し、オッケーだったのでカウンター席に座る。
しんとした店内。テーブルの古びた木目と床の質感に年季を感じつつ、ぱらぱらとメニューをめくるわたしは、内心とてもご機嫌だった。
久しぶりのお好み焼き屋にテンションが上がっていたのである。
お好み焼きって、パーティー食だ。みんなで鉄板を囲んで、ワイワイはしゃぎながら食べるものだ。だからお好み焼き屋は、一人で入っていい場所じゃない。そして、継続的な人間関係の構築が不得手な私には、一緒にふらりと飯を食いに行けるような友はいない。
だからわたしの人生とお好み焼き屋は縁がない。
でも今回は違う。なにせ、急な雨が降っている。雨宿りついでになかば仕方なく、みたいなことである。一人でもお好み焼き屋に入る正当な理由を持っている!
わたしは「広島焼き海鮮スペシャル」を頼んだ。豪勢に牡蠣が入ってるらしい。ウキウキしちゃうね。さらに、わたしの鋭い眼光は壁に貼られた「サービスタイム アルコール半額」の文字も見逃さない。レモンサワーも追加してウキウキしちゃうね。
するとお婆さんが「自分で焼くかこちらで焼くか、どうします?」と尋ねてきた。どうやら選べるタイプの店らしかった。
えっ。それなら自分で焼きたいかも……、と一瞬思ったものの、それはこの静まりきった店内で、お好み焼きのプロ中のプロのお婆さんと女の子を前にして、ひとり、「焼きの腕前」を披露するということである。
そんなん緊張しちゃう……。ので、「お願いします」とひとこと答えた。
お婆さんは鉄板に油を引きはじめ、女の子はレモンサワーを持ってきた。やる事のないわたしは、飲みながらお婆さんの調理姿を眺めていた。生地を円状に広げ、キャベツを乗せ、別の場所ではイカや海老を炒めたり、そんなんしてるのをずっと見ていた。
観察の結果、わたしはある事実に気づいてしまった。こう、思ってしまったのである。
「お好み焼き屋ってすっげえ楽。絶対おれでもできる」
というのも、調理の全工程が「食材を冷蔵庫から出して鉄板で焼く」でしかないのだ。強いて言うなら、キャベツなどの食材は仕込み時に切っているのだろうけど、そんなん楽勝がすぎる。
なにせ、料理で一番時間がかかる「煮こみ」の作業がないのだ。
これがフレンチだったら、メインデッシュのソースのために、大量の食材を何回も濾しながら長時間煮込まなければいけない。和食だったら出汁を取るために、ラーメン屋ではスープがそうだ。
なぜ、そんな手間のかかる作業をしているのか。それは料理において、ソースや出汁やスープが、まさに味の決め手となる一番大切な部分だからだ。
一方、お好み焼き屋はどうだろう? 全体の味を決める、肝心のソースはどうしている?
もう調理も佳境に入ったお婆さんが、わたしに答えを教えてくれた。
オタフクソースとキューピーマヨネーズかけてる!!!
味の決まり手「市販品」。仕込みのゼロ距離射撃。わたしの家の冷蔵庫にすら常備されてるアレ。
「どうぞ」と笑顔で差し出されたお好み焼きを、わたしは食べ始めた。
考えてみれば、ソースやマヨネーズを自作しているお好み焼き屋なんて聞いたことがない。お好み焼きなんて、どんな具材を入れようと、ぶっちゃほとんどソースの味なのに。
わたしが思うに、これはお好み焼き屋が、目の前のお婆さんが手を抜いているという訳ではない。たぶん、日本の国民全員が悪い。
というのも、日本人の舌には、お好み焼きとは「あのソースの味」という常識が刷り込まれているのだ。口に入れた時の「これこれ!」という感じを求めてしまっている。
まさに今の私がそうだった。お好み焼きは、めっちゃ美味しかった。
これがもし、凝りに凝った高級自家製ソースでもかけられようものならば、「こんなのお好み焼きじゃない! この店ぜんぜんわかってない!」とわたしはひどく憤っていただろう。
突然、わたしの脳内に強烈なインスピレーションが走った。お好み焼きイノベーション。この調理の手間のない楽な料理で、かつ競合他店を蹴散らす革新性を持つ、成功への秘策が頭に閃いた。
お好み焼きはもはや国民食だ。そして、お好み焼きと言えば「大阪」と「広島」の二大巨頭である。
わたしの冴えわたるビジネスセンスは、ここに未知の大海を、広大なブルーオーシャンを捉えている。
東だ!
大阪は関西で、広島はそのさらに西。東日本の名物お好み焼きが存在しないのだ!
これはおそらく、東京が同じ粉ものというジャンルで、「もんじゃ」という奇妙な料理を食べているせいだ。普段どんなに都会センスぶっていても、あの料理には東京人の歪んだ本質が現れている。
当然あんなものは全国で通用せず、ほそぼそと東京で食べられるばかりだ。そうして、東日本にお好み焼きのエアポケットができたのだ。
これはチャンスだ。アホな東京のおかげでチャンスである。
勇気を持って、さらに東へ! 「東北風」と銘打ったお好み焼き屋を始めてしまえ!
たとえばあなたが街を歩いていて、「秋田風お好み焼き屋」と掲げられた看板を見かけたらどうだろう。「おやおや?」と気になってしまわないだろうか? 一回は入ってしまわないだろうか? 絶対に入るはず。
実際の料理に関しては、秋田名物の何かでもテキトウに焼いて、テキトウに入れておけばよろしい。お好み焼きは、最後にオタフクソースさえかければ大丈夫だから。
強いて懸念があるとすれば私が秋田に縁もゆかりもないということだけど、それもたぶん大丈夫。わたし、佐々木希さん好きだし。かわいい。いや冗談ではなく、有名になってテレビ取材でも来たら、大真面目な顔でそう言えばいいのだ。
世は末世、道徳なきネット社会。大事なのはモラルや常識ではなく「オモロさ」である。「佐々木希さんがかわいくてファンすぎて、お店つくっちゃったんですう。ピースピース!」とか言っておけば、ノリで許されるはず。佐々木希さんも店に来てサインしてくれるはず。
ぼろ儲け。楽してぼろ儲けだ。
お好み焼きを食べ終わった私は、会計をし店を出た。予報外れの雨は止んでいて、空には太陽が光っていた。まるで私の未来のように。
今日は本屋に行く予定だったけど、酒を飲んだしお腹もいっぱいで、なんだか眠くなっちゃった。
だから家に帰って、ぐーすかと寝たのである。
(終わり)