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映画『マルホランド・ドライブ』を観て ~やるかたなきは夢であること~

◇ 夢みたいな夢 ◇

あの日より 飽くこともなく見る夢の やるかたなきは夢であること

上記は、映画『冴え冴えてなほ滑稽な月』(自作紹介でご紹介)の中で、とある登場人物が叫ぶ言葉だ。
ちなみにこのセリフ、原作にはない。
この男の登場シーンで、何か呟かせようと考えて作ったセリフだが、実際には呟くのではなく大声で叫ぶシーンに変更になっている。
叫ぶにはあまり適していない言い回しだったため、かなり聞き取りにくく、殆ど気に留められることもなかったろう。

でもこれ、57577の短歌だったなんてことはさておき、実はここで言う「夢」ってのが作品の核になっていたりもする。
物語とどう関連しているかについてはいったん置いておくが、とりあえず私自身、夢については常々思うところがある。

やるかたなきは夢であること。

たとえば眠っている時に見る夢。
どうせ見るなら素敵な夢をと言いたいところだが、ホントだろうか。
結果的には、悪夢の方が良くはないだろうか。
だって夢だから。
覚める運命にある良夢は、覚めざるを得ないだけに辛い。
やるかたない。

なんだ夢かよ。
だから「夢みたいな夢」なんか見たくないんだってば。

というように、素敵な夢を見て夢見心地のまま覚醒し、覚醒しきった時にそれが夢であると気づいて、大いに落胆したことはないだろうか。
取っ払いで貰った厚みのある給料袋も、自分に向けられたあの人の眩い笑顔も、(何かの)ステージの上で(なぜか)拍手喝采を浴びて(わけもなく)悦に入っているイブニングドレスの私も、ぜんぶぜんぶ夢。
それにつけても、この無駄に味わわされる喪失感といったらない。

その点、悪夢なら。
たとえば得体の知れぬ化け物が迫り、それはなぜか全速力でしつこく追いかけてきて、ギリッギリの接近戦までもつれ込んだりもして、もうダメだ、危機一髪、絶望、という瞬間にギャッと叫んだ自分の声で目覚めた時、バクバクする心臓を抱えながら今ある世界を眺める。
ああ、夢か。
そう悟った途端に包まれるあの深い深い安心感。
暗く分厚い雲を割り、天使の梯子(陽光)が降りる瞬間の神々しい風景を思わせる安堵の境地。
ああ、自分は安全だ。
ご先祖様、お守りくださりありがとう。
心からそう思える。

もっと絶妙にリアルで嫌なシチュエーションの悪夢だってある。

人前で恥をかいた、好きな人に嫌われた、嫌いな奴に罵倒された、言い合いで言い負かされた、財布をスラレタ、スマホをトイレに落とした……ってのは、ぜーんぶ夢でしたー
ってなった時に、心からの「よかったー」が出ませんか。

経済不況と感染症の流行が長引き、それにより被った損失に対する補償もまったくされず、雇用も福祉も充実せず、ジェンダー平等も進まず、保守と名乗る連中が古き悪しき慣習、法律ばかり強固に守り抜き、消費税を上げ、法人税を下げるなどして、ひたすら大企業と富裕層に優しく、とことん弱者には厳しいこの日本にありて、中年過ぎて結婚もせず、子供も産まない私のような貧困単身世帯女性は、かなり生きづらい。
「あんたみたいな存在は生産性皆無なんだから、国が助ける義理はないのでね、精一杯自助でよろしく」とうるさくお国に言われながら、特にやりがいもない低賃金労働に勤しむため、私は毎朝うっそり起床する。

そう考えれば、目覚める先の現実世界もよほど悪夢であり。

それはともかく、あり得ないような凄まじい悪夢を見た朝に限っては、あいも変わらず自尊心を削られるばかりであろう一日の鬱々たる始まりのひとときが、とても幸福で素晴らしいものになる。
安心安全な私の寝床に心より感謝。

にしてもだ。
「覚めた時の気分が最悪だから、良い夢なんか見たくない」なぞとのたまい、悪夢でも見なければ今ある幸福に気づけない自分の極限までねじくれた悲観マインドにはうんざりだが。

ただこの傾向は、そもそも私を映画に向かわせる根本動機になっているような気もしている。

たとえば、落ち込んだ時ほどホラー映画を観たくなるのもそう。
そこで繰り広げられている世界においては、たいてい私とは比較にならないくらい苛酷な体験をしている登場人物が存在している。
ゆえに私はあえて意識的にホラー映画(悪夢)を見て、現実の悪夢を薄めようとしているのじゃないか。
ホラー映画の主人公というのは、もれなく不幸の底に突き落とされるわけで、つまり恐怖と悲しみはセットだ。
悲しみ無しにホラーは成立しない。
そして現我が人生にも恒常的に悲哀は併走しており、いわばノンフィクションの世界も悪夢と言えば悪夢で、ホラーといえばホラーで、そんな薄ら寒い日々を送る上で私には、実人生を超えるほど恐ろしく悲しい体験が可能なフィクションと悪夢が必要なのだ。

だから私は、デビッド・リンチの映画を繰り返し観てしまう。
のかもしれない。

◇ 悪夢以上に悪夢的 ◇ ※以下、盛大にネタバレあり

そう。
悪夢と言えば、デビッド・リンチ。

『イレイザー・ヘッド』、『ブルー・ベルベット』、『ツイン・ピークス』、『ロスト・ハイウェイ』、『インランド・エンパイア』……
と数々の悪夢系傑作はあるものの、やはり私個人としては『マルホランド・ドライブ』が今のところ(リンチ映画の中の)ナンバー1だ。
色んな意味で。

最初はDVDにて観賞したのだったが、見終わってすぐに二回目を再生させ、そこからさらにもう一回と、同日に合計三回連続(字幕→吹き替え→字幕)で鑑賞した映画は、この作品が初めてだったと思う。

一回目の鑑賞後、悲しみの塊みたいなエンドロール音楽を聴きながら、底なしの虚しさにズルズル引きずり込まれていく感覚に陥ったことを今も覚えている。

悪夢と言えばデビッド・リンチ、と先ほど述べたが、『マルホランド・ドライブ』においてリンチが描いた夢そのものは、決して悪夢ではない。
むしろ素敵な、夢みたいな夢。
私があまり積極的に見たいとは思わない夢のような理想の世界を、前半部分で存分にヒロインに見せている。
だからこそ、後半の悪夢(現実)がより悲劇的に感じられるのではないか。
やっぱりね。
素敵な夢を見させておいて、覚めたところで、現実という壮絶な悪夢を突きつけるという手法は、シンプルながらダメージを喰らわせる効果は絶大。
それは、実体験としてよく知っていることは先にも述べた。

だから「夢みたいな夢」なんか見たくないんだってば。
ってなるよそりゃ。

たとえば、作家が不幸な物語を書くにあたって「夢」というアイテムを用いる場合、多くは不吉な悪夢を睡眠時に主人公に見せることが多いはずだ。
まあ確かに、それはそれで恐怖や不幸を暗示させたり象徴したりする意味において一定の効果はある。
現実と夢の境目を曖昧にして、どんどん主人公を逃げ場のないところに追い詰める役割も果たすだろう。
よって、そのやり方も正しいといえば正しい。

ただ、実感として「いい夢見ちゃった時ほど辛いんだよね」ってのが私にはずっとあったから、通常とは逆をいく、そして私の体験にまんま沿った『マルホランド・ドライブ』の構成に、すっかり胸をえぐられてしまったのだ。

ちなみにこの『マルホランド・ドライブ』という映画、一般的には難解映画とも言われている。
ネットで検索すると「ミステリー」とか「謎解き」といったワードも見られるし、ネタバレ考察ブログも多数。
確かに、前半と後半の出来事が一体このヒロインにとって何を意味するのかとか、象徴しているのか、という点を「謎」とするならば、結構細かいところまで深読みする必要があるので難解だ。

とはいえ構成自体はごく単純。
要は「夢オチ」だ。
『不思議の国のアリス』や『オズの魔法使い』などと同じスタイルだと思って良いだろう。

ここで、あえて強めに主張したいのだが、私は決して自分が格別勘の良い人間だと自称したいわけでもないし、他の何かを自慢したいわけでもない。
ただし『マルホランド・ドライブ』に限って言えば、この構成そのものを一回の鑑賞ですんなり理解出来た。
その時点で難解という印象はほぼ無く、ただただ「うっそでしょ。今までのこと、全部夢だったんかい!」って腰砕けになり、込み上げる虚しさに息苦しくなった。
それだけ。

そして、前半の「明るさ」と「順調さ」の中に巧妙に織り込まれた幾つもの「違和感」、「奇妙さ」、「不条理感」がすべて、実は夢だったことを裏付けていたことに気づき、リンチすげーと単純に感心したことも覚えている。

◇ 夢の終わりの静寂に ◇

一回目の後すぐに二回目を鑑賞したのは、前半の夢パートでの配役が、後半の現実パートでどう変っているかを確認したかったから。
つまり、夢と現実の関連性についての答え合わせである。

まずは、ナオミ・ワッツ演じるヒロイン自身が、実はベティではなくダイアンだったってことが衝撃だ。
もはや自分が自分でなくなっている。
でも、確かに夢の中では自分の存在すら極めて曖昧で、なのにそこに違和感を持たないところもまた夢の中というもので、そんな「言われてみれば」な「あるある」にも感心させられた。

さらに夢の世界では一人称すら明確ではないので、自分がいない場所で起こっていることまでなぜか知っていたりする。
つまり、この映画の前半の夢部分にもヒロインが関わっていない場面が多数あるが、それも一応彼女の夢の一部とされている。
実はこんなこともけっこう「あるある」で、さすがリンチは芸が細かいなとも思った。

さらに秀逸だと思うのは、夢の中の登場人物を現実に当てはめることによって、ダイアン(ナオミ・ワッツ)が望んでいたことは何か、そしてどんな風に人に扱われたいと考えていたかが、説明なしで丸わかりになってしまうところ。
これはキツい。

潜在意識の中に放り込まれたまま、普段は意識に上がってきていない記憶や願望が、睡眠時に夢となって顕われると言われている。

真に自分が欲しがっているものなど、自分にだってわからない場合が多い。
しかし、ふいに夢でそれを知ってしまうことがある。
悪夢にせよ、幸福な夢にせよ。
そして驚く。
自分に。

ラストのダイアンのつんざくような絶望の叫びとそれに続く銃声。
私はあの瞬間、間違いなくヒロインとシンクロし、虚無感、絶望感を共有した。
まるで自分の人生の終わりを見たような。

そして。

シレンシオ(静寂)。

◇ それでも君は美しい ◇

リンチ映画に登場する女優は、他の映画に出演している時以上に美しく見える。
リンチは、女優を魅力的に映す才能があるのだろう。
さらに、ナンセンスな映像のぶっ込み方の「こなれ感」もハンパ無い。
やはりいずれも、アートを志すことを出発点にしているからだろうか。

女優の妖艶で異様な美しさ。
そこに異形の存在を組み合わせてくるのは、もはやリンチのお家芸。
これらの者を、これまた妙なタイミングで、思いも寄らない方向から投じてくるから、マジで油断ならない。
加えて、鮮やかな赤や青といった色彩のケバケバしさにも目をやられる。
つまりは、全体的に絵画的なのだ。
現実感が希薄だという意味においても。

とにかく、前半に登場するナオミ・ワッツとリタ役のローラ・ハリングの二人の美しさといったら、さすがはリンチと唸る。
たとえ困った状況に置かれていても、悲しみに包まれている時でさえ、二人の瞳の輝きはまったく失われずキラキラ潤んでいる。
すなわちこれが「夢」というエフェクト効果であったことが、後半ヒロインが覚醒してから判明する。

なぜなら、夢から覚めた後の現実パートの二人には、見事に艶がないから。

特に、ベティからダイアンに戻ったナオミ・ワッツの変容ぶりは凄まじい。全体の比率としては、ベティの尺の方が圧倒的に長いのに、観賞後に残像として残るのは、血色の失われた乾燥しきったダイアンの顔ばかり。

しかし、そんなやさぐれきったダイアンの醜悪さもまた、その剥き出しぶりの天晴れさにともない、じょじょに魅力的に感じられてくるから不思議だ。
じわじわと。
何かクセになる味わいというのか。
私は、夢の世界の美しい優等生ベティ以上に、嫉妬に狂い過ぎて艶も潤いもすっかり失ってしまった不幸なダイアンに愛着がある。
もし救える手段があるならば、取り返しのつかないところまで彼女が突っ走ってしまう前に、どうにかしてあげたいという気にすらなる。

そう。
リンチの映画は、それが絵画的であるからこそかもしれないが、醜さすら魅力的に映るという特性があるのだ。
たとえば、『イレイザーヘッド』のスパイク(未熟児)にせよ、『エレファント・マン』のメリックにせよ、夢から覚めて現実という悪夢に打ちのめされるダイアンにせよ。

◇ 『マルホランド・ドライブ』に憧れ過ぎて ◇

せっかくなので最も好きな映画について語りたいと思いつき、これを書くためにかなり久しぶりに『マルホランド・ドライブ』を鑑賞し直した。

それにしても。

何度観てもダイアンは当然救われないが、この映画をきっかけにナオミ・ワッツ自身が女優として名をあげたことは嬉しい。
ダイアンが強く願っても叶わなかったことが、彼女を演じた女優によって報われているという良い意味での皮肉。
リンチ仕込みかどうかはわからないけど、その後の活躍に見るナオミ・ワッツの不幸演技が私は大好きだ。
これからも是非、果敢にド不幸な女性を演じていっていただきたい。

それはともかく。

実は、白状してしまうと『冴え冴えてなほ滑稽な月』のストーリー(原作:『デッド・エンド・ヘブン』)は、この『マルホランド・ドライブ』に大いに大いに影響を受けていたりする。
たとえば、主要登場人物が女二人であることや、前半と後半で急展開することや、そして「夢」がキーポイントであることなど。

つまりは、

やるかたなきは夢であること。

ってことが、結果的にテーマになっているというわけで。

とはいえ、現実、現実って言うけれども、じゃあ現実と夢の違いって何なのだという話もある。
確かに。
時々思う。
いつかどこかで、今とは全然違う場所で急に目覚めるんじゃないかとか。
ま、そんな『マトリックス』みたいなことが自分の人生に絶対に起きないとも限らないんだし、ならば夢の中で幸福になるのも現実のそれと同じで、逆に現実の幸福だって夢のそれと同じなんだと。

今夜くらいは素敵な夢がみられるよう願おうか。
皆様も良い夢を。

おやすみなさい。

(END)

【あらすじ】
ある真夜中、マルホランド・ドライブで車の衝突事故が発生。
ただ一人助かった黒髪の女は、ハリウッドの街までなんとか辿り着き、留守宅へ忍び込む。
そこは有名女優ルースの家だった。
その直後、ルースの姪ベティに見つかってしまう。
ベティは、とっさにリタと名乗ったこの女を叔母の友人と思い込むが、すぐに見知らぬ他人であることを知った。
何も思い出せないと打ち明けるリタ。
手掛かりは大金と謎の青い鍵が入った彼女のバッグ。
ベティは同情と好奇心から、リタの記憶を取り戻す手助けを買って出るのだが...…。

(『マルホランド・ドライブ』Wikipediaより引用)
『マルホランド・ドライブ』
2002年(日本)公開/145分/アメリカ合衆国
監督:デビッド・リンチ
脚本:デビッド・リンチ
出演:ナオミ・ワッツ ローラ・ハリング 

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