あ、、
あれ??
諸々全てのエネルギーの本質が、存在を喜ぶ愛であるならば、その反対の性質の愛である
破壊、憎しみ、分断、拒絶といった
バランスはどこでとる?
カタカムナのアムナ、カムナの話を以前目にしたことがあるが、
カムナはアムナの喜びのために裏を引き受ける役目。
その、カムナにあたる部分が。
ひょっとしたら、、実は、、
逆に、、
私たち表層意識なのかも知れない。
https://twitter.com/qnd3phpi3ton026/status/1310690451926597633?s=21
今朝ニャアさんがおっしゃっていた、
憎しみの相手を思えば思うほど、愛が注がれてしまうというコメント。
これはきっと、昨日私が記事で書いた、
あらゆる存在の大元のエネルギーの性格が、存在を認める愛でできてるっていう結論と繋がる。
だから、表層の私たちがどんなに憎しみをぶつけたとしても、本質的な性格から向けられた意識からは、愛しか注げない仕組みになっているのかも。。
そして、それに対応する、
裏側の、加害者から受けたエネルギーに傷つく事象を、
実は表層に出ている私たちが受け止めている、
それだけのことなのかもしれない。
ふっと、、そう思った、。
もし、そうゆう仕組みならば、、やっぱり、
思いを向けるほど、苦しむのは表層の自分なんだから、
必要なだけ相手を恨み、悲しみ、それを自分の中で召した後は、すっぱり忘れた方が、本当に自分のためになるのかも。。
縁がチョッ!(千と千尋より)の魔法は、自分のカムナを大事にするためにも必要だね。