僕がラグビー登山家になるまで 27歳 | ジンバブエへ赴任した時の話。
2012年1月。僕がジンバブエに赴任した時というのは、自国通貨が廃止され、米ドルに移管されて2年後のことである。
そのため、ハイパーインフレであった経済混乱が一息つき、苦しくもあるが復興への希望に満ち溢れていたタイミングと重なる。
国内でのジンバブエのイメージはどちらかというと、悪いイメージしか持てないかもしれないが、予想に反して、ジンバブエは素敵な国であった。気候が良く、人も気さくで、行った人は誰もが良い国と言う。旧ローデシア時代、イギリス人が丹精込めてこの国を創り上げたこともあり、最後の最後まで手放したくなかったと聞く。
僕は首都ハラレから北西30kmグエビ農業大学に赴任することとなった。
そこの校長先生が、かつて農業大国であったジンバブエを取り戻すために、ITを導入すれば生産性も向上し、教育の現場も活性化されるのではないかとの仮説を持ち、日本政府に要請した。それを受けて、僕が来たのである。僕は大学でコンピュータールームの構築や、シラバスの策定、講義資料の作成と実際の講義、学生や同僚たちのPCのメンテナンス等を行なっていた。(その時の様子についてはこちら↓↓↓)
学生たちはだいたい、僕よりも年上であった。一度働き、お金を貯めた後に大学に学びに来ている方が多かった。
来て早々、震災から1年ということもあり、福島に住む祖母のために動画を同僚の先生や学生を巻き込んで作成した。
作戦通り。学生たちの心を掴みからガッチリキャッチできた。
僕が赴任して半年後のこと。
グエビ農業大学の敷地内に中国のODAによってCATDC(China Aid Agricultural Technology Demonstraion Center In Zimbabwe)が建設された。中国からのドネーションは新築校舎と最新の農作機械が20台程度。
パッと見て、なん十億円もの支援を受けているように見えた。僕はその校舎で僕は働くわけではなく、旧校舎の窓ガラスが壊れたボロボロのコンピュータルームであり、新規校舎は中国のもので僕は中に入ることも許されなかった。いつもは頑固な校長先生も赤いネクタイをして、中国の政府官僚に擦り寄っており、同僚である先生達は最新型の農作機械に目を輝かしていた。学生たちは赤いポロシャツが支給され、開校式の中で花や紐を持ったりと中国とジンバブエの交流の演出に一役かっていた。
学生たちがアルバイト代としての水とクッキーを貰って嬉しそうにしている姿を見て僕が寂しさを感じている最中、一人の学生がそんな姿の僕に気を使って以前教えた『I love you I need you ふくしま』を歌ってくれた。
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