僕がラグビー登山家になるまで 11歳 | 父の死の話。
「余命はあと少しぐらいだろうと医者から言われている」
そう言った父親は顔を怖ばせながら、いつもは見せない涙を見せていた。肺にあるガンが転移し、もう手術もできない状況であると医者から伝えられていた。
その時まで、非常に苦しいそうな表情で「痛い」とずっと呟いていた父。ここまで父親の身体がガンに侵されているとは誰もが想像はしていなかった。
父親の声はガンの苦しみからか、今にもかき消されそうな声ではあったが、苦しい中でも最後の力を振り絞り、父親の威厳を僕たちに見せようとしていた。それを聞いた僕は自然と涙が溢れていた。パパっ子であった僕は父親と色々な思い出がフラッシュバックした。
オセロが得意だった父親の影響で愛知県内の小学生では誰にも負けないほど強くなったものの、一度も父親を負かしたことがなかった。いつかは父親に勝ち、ギャフンと言わせたいと思っていたが、それが叶わぬ想いになってしまうと悲しい気持ちになったのを今でも覚えている。
その家族会議が終わってから父親はすぐに入院となり、危篤状況になって、1週間後に父親は亡くなった。
心電図の音が徐々に静かになって行く様を見て、ずっと父親の名前を僕は叫んでいた。昏睡状態ではあったが、耳だけは聞こえており、僕が語りかけると、一瞬、ピクっと心電図が動く。最後には会話することもできなかったが、僕の声に父親の心臓が反応してくれたのが不思議と嬉しかった。
今となっては僕も大人になり、悲しくも多くの死に触れる機会もあって、死ぬことは特別なことでなく、生物の最後の営みであるとの思いがある。
しかし、父親の死というのは当時の僕にとっては初めて死の経験であって、物事の見方が全てが変わった出来事であるような気が今でもしている。
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