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『博士の愛した数式』
博士の愛した数式 (新潮文庫)
『博士の愛した数式』小川洋子作を読んだ。。
考えさせられる意義深い一冊だった。
主な登場人物は 博士と「私」と「√」そして、未亡人の4人。
博士の「僕の記憶は80分しかもたない。。。」
『神は存在する。なぜなら数学が無矛盾だから。 そして、悪魔も存在する。なぜなら、 それを証明することができないから。』
人生ってなんだろうって考えさせられる内容でした。
そもそも、人の記憶というものは、だいたい一週間で 新しい物に塗り替えられるという。
毎日の変化に対応するために、古い記憶はしだいに、 脳の片隅に追いやられ、、呼び戻そうとしなければ、 忘れてしまう。。わすれなければ、脳はパンク (オーバーヒート)してしまうらしい。
博士は何十年も前に交通事故にあって、それ以来、 80分以上の記憶を残すことができないという。 彼はその事実をわきまえている。
与えられた環境のなかで、博士は、数式を通して、 神の存在を感じていたのだろう。 そのような状況の中で、博士は出会う人に等しく、 数式を介した『愛』とその背後に居られる『神』の 存在を示していたように思えてならなかった。
彼の愛を素直に受け入れることができる人がいかに 少ないことか、、家政婦として「私」が派遣される まで、9人の家政婦が、解雇されていた。。
「私」そして、「√(ルート)」は何故、博士の放つ 『愛』に気づくことができたのか、、
おそらく、「私」と「√(ルート)」の生い立ちの中に、 その秘密が隠されていたと思う。 それは、おそらく 「私」と「√」の父親という存在への憧れの念という
ことなのか。。。
物語は、非常に穏やかで、暖かい雰囲気の中で展開して いく、博士と未亡人の関係、、、、博士がかつて愛した とされる未亡人。。。
謎は多い、、
博士と未亡人の間に、入り込んだ「私」に対して、嫉妬と もとれるような態度で、一度は、「私」を首にしたのだっ た。。。「√」の働きかけによって、博士は、オイラーの 公式と呼ばれる数式を未亡人に示したのだった。
この数式の意味は何か。。。 物語のキーポイントであるのに、最後まで、明確な意味は 示されなかった。
オイラーの公式とは、自然対数の底にあたる『e』、これを 円周率『π』と虚数『i(√-1)』の累乗をしたものに1を 加えると『0』になるというものなのだが、、。
博士が示した、未亡人への思いやりということなのでは ないか、オイラーの公式の整数「1」こそ、未亡人を示 しているのだろう、、
この「1」がなければ、「0」という美しい存在にはな れない。。
数式の証明とは、「神様の手帳に書かれていることを覗 いて、書き写すだけだよ」自分の抱える障害を知って、 世に対していつも謙虚に、振る舞う。。 感謝に生きる 人生とは、こういうことを指すのではないか、、
博士は、重要なことをメモに書きクリップで背広につけるのだった。 「私」や「√」に出会うまでは、数々の 数式達が背広中に貼り付けられていたのが、しだいに、 メモの内容に「私」そして「√」の存在が現れてくる。
象徴的だったのが、クライマックスに、博士が施設に 入所し、80分どころか、もう新たな事柄を記憶でき ないような状況になったとき、数式などのメモは「私」と「√」の思い出のつまったプレゼント(完全数28番 の江夏豊の野球カード)を肌身離さずに生きているとい う姿には何かこみ上げてくるものを感じた。
おそらく、博士自身は、この“もの”の意味を忘れてしまっているのかもしれないけれど、この“もの”が、彼 にとって、非常に重要なことであるということだけは、
唯一の新たな記憶として残ったのではないだろうか。
この野球カードが「愛」であり、「希望」の象徴になり かわったのだろう。。
心地のいい文章で読みやすい。。
おすすめ一応します。。。。。