介護士をやめた理由
夜勤明けの僕は海に来ていた。ある人に声をかけられた。
その人と僕は不思議と話が合った。しばらく2人で海外を歩いて、他愛もない話で盛り上がり、連絡先まで交換した。
相手はおっさんだった。
・
僕は以前介護士をやっており、ハードな夜勤をこなしていた。
新人時代は若気の至りで、夜勤明けでも帰らずに遊び歩いていた。といっても、ひとりで気ままに電車で好きなところに行って、ただ街歩きをしていただけなのだけど。
【若気の至りの詳細↓】
介護士1年目の夏。夏と言えば海でしょうということで、僕は関東近郊の海を制覇しようと思い、夜勤明けで行ける範囲の海に片っぱしから行った。湘南、熱海、九十九里に銚子の犬吠埼。たまに話題になる銚子電鉄にも乗ってきた。
9月のある日、いつものように夜勤をこなした僕は、まだ行ってない海に行って夏を締めくくろうと思い、湘南の西のはずれ、大磯駅に降りた。
・
大磯の海岸線付近には、海岸と町を分け隔てるように高速道路が走っており、ところどころに高速をくぐるトンネルがあった。
そのおっさんにエンカウントしたのは、トンネルの中だった。
歩き疲れたからか、少しトンネルで休憩したのがいけなかった。トンネルにおっさんがいたのは認識はしていたが、おっさんが仲間になりたそうにこちらを見ていることには気が付かなかった。
やがて目が合う。おっさんの頭上に「!」マークが飛び出る。ポケモントレーナーに捕まったゲーム主人公のように、その場にロックされる僕。近づいてきたおっさんは口を開いた。
「よく来られるんですか?」
・
小一時間が経っただろうか、僕は会ったばかりのおっさんと、驚くほど軽快なテンポで会話をしながら、大磯の海岸を二人で歩いていた。
おっさんはボウズでメガネで、うっすら無精ヒゲも生えていた気がする。「ウホッ、いい男!」とは思わなかったし、正直全くタイプではない。そういえば僕はゲイでもない。
おっさんと話して分かった事実は3つ。1つ目はおっさんが僕と同じ大学を出ていたということ。大磯の変なおっさんだと思っていたが、自分の大先輩であった。
2つ目は、おっさんが僕と同じ介護経験者だということ。昔医療系の偉い資格(医師ではない)を持っていてバリバリ働いていたが、色々あってうまくいかず、少し前に介護の仕事を始めたということだ。
3つ目は、おっさんが僕と同じくヒマを持て余しているということ。おっさんは介護もうまくいかず、現在求職中らしいのだが、悩みを忘れたくて、ただぼんやりしたくて気づいたらよく海まで来ているということだった。
これは前の年に就活でがっつり鬱になり、よく海に来ていた僕と全く同じ状況であった。というか今も仕事で軽度鬱であり、逃げるように海に来ているので、おっさんと僕の境遇は大して変わらなかった。
20くらい歳の離れた我々は、同類、いや同志であった。
僕が、この明らかに社会を上手くサバイブできてない感溢れるおっさんに、シンパシーを感じたのは紛れもない事実であった。そして、僕自身のたどってきた、同じくサバイブできなさ溢れる人生について考えた。
【大磯の海岸】
・
大磯のおっさんは、僕をバス停まで案内してくれた。さらに日を改めて、大磯のオススメの定食屋を紹介してくれると言う。
そんなわけで、僕はおっさんと連絡先を交換し、大磯の街をあとにした。
僕は昔から友達が少なかった。そもそも同世代との付き合いがなんとなく苦手だったと思う。僕は小中9年間、自分から誰かを誘って遊んだことがほぼなかった。
大学時代、近所にあった国際NPOがきっかけでボランティアをするようになり、しばらくすると僕が付き合う人は子ども、老人、外国人のどれか、みたいな状況になった。でも不思議とそれが心地よかったし、それまで感じていた人付き合いへの苦手意識は、そこではあまり感じなかった。
自分がうまいこと付き合えるなと思った人たちは、なんとなく社会の真ん中を担う層じゃない人たち、要はマイノリティだとか社会的弱者だとか言われる人たちだった。人助けをしたいとかいう高尚な理由でボランティアをしていたのではなく、あくまで友達に会いに行っている感覚だった。介護の道に進んだのもその延長。
非・メインストリームの人間といるほうが、落ち着く。介護職を選んだ理由だ。自分も、ある種そうしたマイノリティ側の人間だとは思う。
ただ、福祉関係の人が陥りがちな傲慢、思い上がりのパターンとして、「自分が助けることができる(社会的)弱者を常に求めていて、弱者を相手にすることで安心したい」というのが少なからず存在する。自分の下を見て安心する的なやつだ。
あんまり強弱とか上下とかで人を表したくないが、ニュアンスを伝えたくてあえて使うことにする。社会のメインストリーム、いわば強者と仲良くするのが苦手な僕が、マイノリティ系の人たちと仲良くするのは、この"弱者を求めて安心したい"、という側面もあると思う。直視したくないけど。
介護をやめた理由は、そうした思い上がりが自分の当たり前になりそうだったからだ。
福祉の仕事にまみれて3年、「弱者の側面がある」だけの人を、本当に弱者として、上から目線で扱い始める可能性が出てきていた。5年、10年とこの仕事を続けたら、多分僕は虐待をする気がした。
相手が自分の思い通りにならないと、とてもイライラする、そういう瞬間が増えていた。相手も人間なのに、相手の意思はないもの、相手の意思を気にしない前提での仕事が多くなった。そうしないと時間的に回らない現場ではあったのだけど。人手なんか足りた試しがなかったし。
全ての介助に全力で抵抗する認知症のおばあちゃんを、殴られながら、やっとのことでトイレに座らせたあと、そのおばあちゃんを殴りかえしそうになったことがある。この頃には、そろそろ介護をやめないといけないな、と思った。
僕はこれまで通り、世のじいちゃんばあちゃんと仲良く付き合いたいから、福祉の世界どっぷりをやめた。社会的強者と付き合うのが苦手だから社会的弱者と付き合って、結果弱者をいじめるみたいな、最低な状況にはなりたくなかった。
体力的な面や金銭的な面もあったが、介護をやめた理由の大半はそういうことだった。
・
今僕はスーツを来て営業をしている。強者同士の勝負のコミュニケーションが展開される世界だ。僕がそれまで浸かっていた、弱者同士の癒やしのコミュニケーションとは真逆の世界。
もちろん突き詰めると、どちらのコミュニケーションも相手を思いやることが一番大事にはなる。しかし、コミュニケーションを突き詰めるために必要なスキルが、両者では全く異なる。
僕はこれまで避けていた、メインストリームの人たちともちゃんと付き合っていきたいと思う。強者の世界から逃げるのをやめれば、また僕と同じような変な人たちと、まっすぐ仲良くできるような気がしたから。弱者の世界を知っている僕は、弱いまま強くなりたい。しょうもない差別はしない、でも自立して強い大人になりたい。うまく説明できないが、そんなニュアンスだ。
ビジネスを覚えて、ちゃんと自分の力でお金を稼ぎたい、というのもある。稼いだら将来、僕とか大磯のおっさんみたいな変な人たちのコミュニティを作るのが夢だ。
サークルとかシェアハウスとか、居酒屋とかカフェみたいな場でもいいし、会社でもNPOでもなんでもいいけど僕は僕みたいな変な人のためのコミュニティを作りたい。
秋になったので大磯のおっさんのことを思い出したら、思いがけず色んなことを考えたので、メモ代わりに残しておこうと思った。