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あだ名は「雷神」ドSの女王様(86歳)の話。  |  新卒介護士カイゴ録

「おはようバアさん、今日もデブだねえ!」
 
「コラジジイおはよう、ハゲ散らかしてどこ行くんだ!」
 
これはある方の朝の挨拶。とにかくドSのおばあちゃんがいた。
 
 
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老人ホーム勤務時代の話である。リビングの中央やや奥の特等席に、その方はひとりで鎮座ましましている。
 
 
 
仮名Kさん。なぜひとり特等席が用意されているかと言うと、他のご利用者と一緒のテーブルに着くと、必ずケンカが始まるからだ。
 
 

この方が我が老人ホームの女王。Kさんこそが、以前の記事にも少々登場した、「出会い頭に罵倒おばあちゃん」である。

 
  

 

この触れる者みな傷つける、盗んだバイクで走り出しそうなおばあちゃんは、15ではなく86である。声も非常にデカくて、よくひとりで大声で歌っている。
 
 

ケンカはフッかける専門で、誰彼構わずいらんチョッカイをかけるのだが、自分で始めた口論なのにすぐにめんどくさくなるらしい。ほどなくしていつも、大声でケンカを終わらせにかかる。
 
 

「うるさいだまれー!」
 
 

「もうこんなつまんないことやめましょ!!」
 
 

開戦も先制攻撃なら、退散も先制攻撃。その潔さたるや、なんだかもう清々しい。
 
 

このKさんにいつも振り回されているのが、90代のおばあちゃん、Mさん。
 
 

Mさんも実はかなり口が悪いのだが、先制攻撃はしない常識人だ。だがKさんとは逆に根に持つタイプである。まさしく犬猿の仲といった感じで、KさんとMさんのバトルは一度始まったらエンドレスだ。
 
 

突然罵倒され納得のいかないMさん(そりゃ当然だ)が、とっくにケンカに飽きたKさんに粘り強く反撃を続け、冷めやすいが熱しやすいKさんを小刻みに着火し続ける。
 
 

KさんとMさんのケンカは、僕の担当フロアの名物だった。このコンビは職員の間で「風神・雷神」と呼ばれていた。
 
 


 
 

こんな一見やっかいなKさんであるが、関わってみるとどこか憎めない人だ。
 
 

なんというか、屈託がない。チャキチャキしていてサッパリしていて常に笑顔なのだ。なんならケンカ中も笑顔だ。これはまじである。
 
 

職員に対しても、いつも満面の笑みで、トゲしかない温かい言葉をかけてくれる。僕が毎朝挨拶に行くと、だいたいこんなやり取りをするのがルーティンだった。
 
 
 
「なにアンタ!?また来たの!?
 
 

ヒマなのか!トイレの世話だって!?
 
 

アンタ、トイレ屋か!!笑
 
 

つまんない仕事してんじゃないよ!就職試験落っこちたのか!
  
 

大学出ないからそうなるのよ!!笑」
 
 

大学は出ている、と返すと、いかにも信じていない雰囲気で「どこ大学だ?」と聞いてくるので、僕はいつも、トイレ介助中なら「トイレ大学」とか、お風呂介助中なら「お風呂大学」などと答えていた。
 
 

トイレ大学やお風呂大学は毎回いつも大ウケしてくれる。そのあと決まって満面の笑みで高笑いしながら、こう返してくる。
 
 

「トイレ大学!?バカだねえ!!笑
 
 

あたしゃ東大しか認めないからねえ!笑」
 
 

言葉のトゲさえ慣れてしまえば、快活であっけらかんとしたKさんとのやり取りは、なんだかいつも楽しかった。
  
 


 
 

こんな暴言おばあちゃんのKさんとのやり取りが、なんで楽しかったのか。
 
 

Kさんがいつも元気で笑顔で、というのも大きいだろう。それともうひとつ、僕が思う理由がある。
 
 

Kさんは、相手に悲壮感を感じさせない。
 
 

Kさんは、ストレスによって荒っぽくなることはあっても、深い怒りや悲しみから言葉を発してはいない。
 
 

暴言は怒りの言葉じゃないのか、と言われればそりゃそうなのだが、Kさんのそれは誰かにされた対応への怒りとか、自分の置かれた状況への怒り、という感じではない。
 
 

もちろん、老人ホーム生活のストレスも暴言の原因のひとつと思われる。閉鎖環境の老人ホームは、ある面ではご利用者の自由を極端に制限する。認知症のある方に至っては、ある種の監獄に近い環境かもしれない。
 
 

ただ、Kさんはそうしたストレスをいつも「瞬間発散」してるのだと思われる。
 
 

熱い鉄板に水を垂らすと一瞬で蒸発するように、Kさんはいつもストレスを高速高温で蒸発させている。Kさんと言えど四六時中誰かを罵倒しているワケではなく、よく好きな歌をひとりで大声で歌ったりする。時間があれば、職員に昔の話や家族の話をするのも好きである。いや時間がなくてもしょっちゅう話してくる。バリバリ仕事をしていたセールスウーマン時代の話などは、何百回と聞いたと思う。
 
 

そうして意識的か無意識かしらないが、ストレスを「貯め込む」ことをしないKさんの言葉は、トゲはあっても深い怒りや悲しみの感情は感じられない。
 
 

トゲはあるが、むしろ絶望的に口が悪いが、どこかいつもさわやかな口ぶりなのだ。
  
   
  

(ウチのホームの夏祭り。Kさんも好きだった「よさこい」を踊る直前の我々。)
 
 


 
 

老いるというのは色々なものを失っていく過程だと言われる。体の機能もそうだし、家族と一緒に住めなくなるとか、長年連れ添った人との死別などは、僕たちが想像するにはあまりに途方もない悲しみだ。
 
 

そうして、喪失、悲しみに飲まれてしまうお年寄りは、実際すごくたくさんいらっしゃる。
 
 

しかしKさんは、そういう悲しみを全然感じさせない。僕らはいつも、Kさんから明るいパワーばかりもらう(トゲに慣れていれば笑)。
 
 

kさんは、もしかしたらとても心が強い人なのかもしれない。ストレス発散時の爆風で、まわりの人を少々傷つけるのはよろしくないが、ある程度自力で悲しみを吹き飛ばしてしまえる人なのだろう。
 
 

もちろん暴言はちっとも偉くない。我々職員もよくKさんには注意していたし、罵倒された側のフォローはとても手厚くしていた。ここまで記事を書いてきて、Kさんびいきと思われているかもしれないが、他のご利用者とのケンカ中にKさんの味方をしたことは一度もない。だってKさんがケンカをフッかけているのだから。
 
 

しかし、ケンカをする相手がいないときでも、ひとりで好きな歌を大声で歌ったり、職員と話せるときは、昔の楽しかった思い出とか、娘が来てくれるから幸せだ、というような話題で、自分で自分の機嫌を直してしまう。
 
 

そういう自浄能力は、本当にすごいと思う。Kさんに悩みがないとか言ってるのではなく、苦しみも悲しみも受け止めた上で、吹き飛ばしてしまっているのが、本当にすごい。
 
 

Kさんの不思議な魅力は、ストレスを溜め込まず、いつでもゴキゲンで、サッパリしていて、そして最高に口の悪いKさんでいてくれるところにあった。
 
 

Kさんが他のご利用者と絡むときは、細心の注意を払う。
 
 

その代わりに、我々慣れた職員が、チャキチャキのべらんめえのKさん節を、めいっぱい享受させていただく。
 
 

慣れればとても楽しいものなのだ。
 
 
 
 
 
 
 

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