おじいちゃんに学ぶ、究極のスルースキルの話。 | 新卒介護士カイゴ録
僕はあるおじいちゃんとマブダチだった。介護士してた頃の話。
その人は仮名Jさん。90越えた元気じいちゃん。
理由は知らんが僕のことはわりと気に入っているようで、会うとよく顔をくしゃっとして「久しぶりだなあ!」と叫んでくる。昨日会っていても「久しぶり」である。
それでまわりの職員に自慢を始める。「あいつとは40年前から友達なんだよ!」
確かにあなたとは友達だが、僕は20代である。
そんなJさんは、いつも笑顔の絶えない人気者の、気のいい認知症おじいちゃんである。
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Jさんの入居しているフロア(僕の担当フロア)は、とにかくクセの強い利用者さんが多く、口ゲンカは日常茶飯事だ。某ラップバトル番組も真っ青なコンプラワードが今日もそこかしこで飛び出す。
人間熱くなると語彙力を失うのは本当らしく、うちで起こるケンカは、だいたい3つの言葉のどれかに絞られる。「デブ!」か「ハゲ!」か「白髪!」である。
Jさんの場合、ケンカはふっかけられる専門だが、よく言われるのは上の3つのワードのうち2つ目である。
当フロアには先制攻撃大好きおばあちゃんがおり、誰彼かまわず出会い頭に罵倒したりする。屈託ない笑顔でとんでもない言葉をぶつけたりするので、おそらく挨拶のような感覚なのだろう。ドSである。
今日もリビングに来るなり、例のおばあちゃんから罵声を浴びるかわいそうなJさん。さぞ悲しい顔をしているかと思うと、なんと穏やかに微笑んでいる。さらにおばあちゃんにゆったりと手までふっている。天皇陛下のような面持ちで。
なんたる広い心。全てを許したもうそのご姿勢に、我々職員は涙を禁じ得ない。
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しかしことの真相はシンプルだ。
Jさんに悪口は聞こえていない。
この方絶望的に耳が遠いのだ。どんなにひどい言葉を吐かれようが、耳元にかじりつくくらいのキョリでないと、Jさんが反撃することはないだろう。
それどころか、おばあちゃんが「こっち向いてなんか言っている」視覚情報のみちゃんと入ってくるため、Jさんは律儀に挨拶を返すのである。
SNSのアンチコメやマウントコメの応酬に疲弊しきった現代人には羨ましすぎる、究極のスルースキル。Jさんがリビングに着席するたびに、これが発動されるのだ。
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もちろん我々職員はケンカは止めに入るし、暴言を言うご利用者は諭したりするし、ケンカが止まらない場合は、区画整備をして参戦者同士を離したり、別々のアクティビティにお誘いしたりする。
決しておもしろがっているわけではないが、どんなに罵詈雑言をぶっかけられても、ケロっとしているJさんを思い出すと、ふっと笑いがもれてしまうのだ。
Jさんはいつも笑っていて、こちらに手を振ってくる。そのくしゃっとした笑顔を思い出すと、色々な悩みなどが、どうでもよくなる。
個性的な利用者さんたちは、ふとしたときに、それぞれ色んなパワーをくれる。Jさんの場合は、究極の癒やしのパワーである。一過性ではなく、心の余分な重しを落としてくれるような。
今日もJさんは笑っているだろう、それなら自分ももうちょっとがんばるか。老人ホーム職員は、ときにこんな感じで、日々の尽きない悩みに対処したりもする。