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【短編】美化され動画編集されていく記憶

まだまだそんなことを憂う年ではないのだが、最近、古い知人と再会して昔話してると、そういえばあの人はこないだ亡くなったよ、と、知己のある人の死を知らされることが増えた気がする。

寿命をまっとうして逝かれた後期高齢者の知己のケースも多々あるのだが、自分より年下のケースもあった。5年ほど前に、ある仕事関係の知人と20年ぶりにあったら、その人はいたって元気でいっしょに痛飲したのだが、いろいろ話すなかで、そういえばという話いくつかができて、絶句した。

Oくんという40代後半の同じ職場だった後輩が心不全で亡くなったと。仕事が原因なのか、家庭の問題なのか、いろいろ悩みを抱えていたようで、ここ数年「心を病んでた」が、今年にはいって亡くなったという。心不全という死因には幅がある。子供が2人、上の子が大学生だという。

僕がOくんという人物をよく知っていたかというと、そうではなく、その職場に在籍中は同じ部所になったことはなく、いっしょに飲みに行ったということもなかった。ただ、Oくんがアメリカの東海岸に1年会社の派遣留学した年に、僕も会社の仕事でニューヨークにいたので、一度、独身生活していた僕のアパートに泊まりに来たことがあった

20年以上も前の話である。もはや詳細は記憶から剥げ落ちて、断片的なところしか覚えていない。でも、不思議なことに、いくつかのシーンだけ、ちょっと美化されて演出されたような映画の映像みたいに、はっきりよみがえってきた。

90年代の当時はEメールも携帯電話もなかったので、おそらく、Oくんが職場に電話をしてきて1泊泊めてくれということで、郊外の大学町から車を運転してきたのだと思う。

記憶にあるのは、Oくんの運転で、彼のおさななじみだという日本から旅行でニューヨークに遊びに来ている女性と3人で、ブルックリン橋を越えて、倉庫街をちょっと迷いながら、橋のたもとのマンハッタンがみえるバーにいったこと。橋をわたって、ちょっと治安の悪い倉庫街をまよっているあたりから、動画映像として記憶に残っている。

夜にはマンハッタンの夜景がきれいにみえる橋のたもとのバーで、黒人のおじいさんがピアノを弾いていた。

たぶん、バーとしてはえらく早い時間だったのか、客がほとんどいなくて、僕ら3人だけだった。

女性は、Oくんの実家の近所のおさななじみで、家族同士よく知っていて、犬の散歩でよく会っていたという昔話をしていた。僕にはそんなおさななじみはいなかったので、いいなあ、と思ったのを記憶している。いいなあそういうの、と二人に口に出していったのかもしれない。と、「いいなあそういうの」と言っている自分が編集されて記憶のシーンに登場してくる。記憶は曖昧である。

たぶん僕らはピアノのすごい近くに陣取っていて、ピアノの演奏が休憩になったとき、きっかけはどうだったかまったく覚えていないが、そのピアニストと僕ら3人でちょっと話をした。ピアニストは、白髪で白いごま髭の、俳優のモーガン・フリーマンみたいな、低くていい声でゆっくりしゃべる人だった。そして、明らかに盲目の人だった。

たぶん僕が「素晴らしい演奏でした」とかいったら、「どういたしまして」とか返事があって、会話が始まったのだと思う。

「どこから来たんですか」と聞かれて、「僕は住んでるんですが、この女性は日本から、こいつはコネチカットのほうからなんです」

「はるばるきてくれてありがとう、ここはいいところでしょう」、そんなたわいのない会話をしたはずである。たしかに、そこからは夕日につつまれたローワー・マンハッタンがブルックリン橋ごしに見えて、素晴らしい眺めの場所にあるバーだった。盲目のピアニストがその眺めを見たことがあったのか、わからない。

ピアニストが、チャーリー・パーカー作曲の曲をいくつか続けて弾いていたのを思い出し、「チャーリー・パーカー、いいですね。好きなんですよ」というと、「そうですか、それはうれしいね、遠くからくる人たちのほうがジャズのことをよく知ってて」と。

Oくんとその女性は、マンハッタンの夜景がみえる薄暗いバーでの、盲目のピアニストとそんな会話をしたことも含め、その夜はニューヨークを満喫したはずである。たぶんどこかで夕食もしたはずなのだが、このバーの記憶以外まったく記憶から剥げ落ちてしまっている。

それから1年後くらいに、僕がその職場を辞めたので、Oくんとはとくに接点もなく、あっという間に20年以上が過ぎた。

ふと、一瞬、あのときの女性がもし、Oくんとその後結婚して、奥さんという可能性はあるのかなという考えが脳裏をよぎった。

いや、おそらく違うだろう。もしそうだったとしても、今更、あのときブルックリン橋にみんなで行きましたねと昔話をしにいっても、弔問にもならないなと思った。

代わりに、もしかしたらこれで失われてしまってまた記憶にもどってこないかもしれないこの話を文章にしておこうと思い、揺れるフライトの中、パソコンを取り出して書いてみた。 2015.7.15

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