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小説「めしやエスメラルダ」連載 2

(2)  めしやエスメラルダの常連たち

午後8時過ぎてるのに客が自分だけとは寂れた店だなという第一印象だったが、シンイチがチチャロンをつまみにビールを飲みながらタコスを待っている間に、ひとり、またひとりと、常連らしき客がカウンターに集い始めた。

「はい、おまちどうさま。ケ・アプロべチェ」

ボリビア人留学生のエリサがシンイチの前に置いたタコス4種盛り合わせは、ボリューム満点だった。

どれから食べようかと迷っていると、斜め右側に座ってビールを飲みながら雑誌を読んでいた白い鼻髭のおやじが言う。

「それ、うまいよ。俺だったら、左から、豚、鳥、豚、魚といくけどね」

すると、今度は左側の女性が口をはさむ。

「マルさん、なにいってんの。ヘスースのタコスはなんといってもペスカードス、魚からいかないと」

シンイチは苦笑いして応える。

「迷いますよね、これ。どっからいこうかな」

「あ、私、ユカです。メキシコのユカタン半島じゃなくて日本の下北半島出身なんですけど、ユカたんでーす」と色白のショートカットの女性が親しげに微笑む。

「あ、またでた」とその女性の隣に座っていた中年の男性がぼそりと突っ込む。

「その駄洒落、何度聞いたことか。すみませんねえ」

「この人、もっとつまんないあだ名、駄洒落にもできないあだなの。ヘイミンさんね」とユカが中年男をにらみながら言う。

「平民?」

「そうそう、大貧民・平民・富豪の、平民なんでしょ?変よね。ゲーム好きで、ここも前のスナックの頃から麻雀のゲーム機目当てに通ってて、この店になってからもヘスースのタコスにはまって常連続けてるのこの人」

シンイチは、なんだか、昭和のスナックにタイムスリップしたような、不思議な気持ちになった。

「麻雀ゲーム機って、あの100円玉いれてやる喫茶店のテーブルみたいなやつですか?」話に合わせてせっかくなので聞いてみる。

「そうなんですよ」と平民と呼ばれた男は目を輝かせて応える。

「あの、昭和の幻の名機、ジャンピューターがここにあったんですよ。そこの今は普通のテーブル席になっているところに。まだ動いたんです。あれは感動でした」


なんだか、よくわからないが、ひとり寂しく食事するよりよかったなとシンイチは思う。

「今日は亜紀代ちゃん、体調悪いのかな?昼間も来てない?」初老の男が、エリサに聞く。

「今週は、秋の台風で気圧が低いでしょ、それで体調がだめと亜紀代さん言ってました、きのう」エリサが応える。

「そうか。じゃあ点滴デーか」

「その方、なにかの病気なんですか?」タコスを齧りながら、シンイチは聞いてみる。たしかにこの魚のタコスは旨い。絶品。遠い記憶を蘇らせてくれる味。

「なんだかさ、10万人に1人くらいの大変な難病でさ、もう5年も基本は点滴とかで寝たきりなんだけど、調子がいいとさ、昼間寝てましたから元気バリバリですとか言って夜ふけてからここに出没したりするんだよね」

「あーちゃん、すごくいい子よ。明るいし。ああ見えて、実は実家は奈良の牧場で狩猟免許持ってて、元気な頃は鹿を撃ってたらしいの」

「へえ、鹿撃ちですか?」シンイチは年配の女マタギを想像したが、まだ30代前半の元OLだという。

「いろんな常連さん居て、おもしろいですね、ここ。めしや、なんでしたっけ、エスプラネイド?」

「エスメラルダ。スペイン語らしいね。実はさ、最初、ヘスースが店開いた時、潰れたスナックに居抜きで入ったんだけど、あいつが付けた店名が「パパントラ」。なんだかパパラッチみたいでそれじゃ客来ないよって俺さ、アドバイスしたわけ」初老のおやじが饒舌に続ける。

「ヘスースっていえば、スペイン語のジーザス、ジーザス・クライストだろ?それぐらい俺も知ってるんだ。そのヘスースが丹精込めてつくるタコスだ、それは人類を救うくらいのもんだ。なので、店名に「めしや」ってつけろっていったんだ」

「そしたらあいつすぐ解ったね。それは大げさです、私は人類を救えません、タコス作るだけです、っていうんだ」

「マルさん、早くオチを言いなさいよ。こちらの方、ハテナマークよ。失礼ですけどお名前は?」

「あ、シンイチといいます。シンでもいいです。ちょうど営業の仕事で都内の商店街回っていて今日ここで営業だったもんですから。家は1時間くらい離れたところなんですけど」

「それでさ、シンちゃん」初対面なのに馴れ馴れしく呼びかけながら、マスターシュの親父は続ける。「めしやは、飯屋、ごはん屋ということだけど、スペイン語の救世主、メシア、英語のメサイアってことなんよ」

「あ、それがオチでしたか」と笑いながらシンイチは答える。頭の中では、たしかスペイン語は Mesíaで後ろにアクセントが付いていたなと、東方の三賢者が Mesíaの誕生を祝いに来た聖書の話を思い出していた。「めしや」じゃなくて、「メシーア」なんだけどと思ったが口には出さなかった。

「でも、ヘスースのこのタコス屋居酒屋のお陰で、ほんとにここの商店街も息を吹き返しましたよね」平民と呼ばれた中年男がしみじみ言う。

「そうそう、ヘスースはシャッター商店街の救世主よ。たべログ見て、けっこう遠くから若い子たちが食べに来たりする。この商店街特集がテレビに出た時は週末の人出すごかったよな。まわりの店も売上けっこういったらしいよ。まあ、救世主ヘスースの元に集う俺らは、いわば聖なる使徒たちみたいなもんか」

「使徒というか、あたしは、人生が雨でしとしとですけど」ため息をついて、ユカタンがまた駄洒落を言う。

「腰痛持ちのバツ1ですからね」と余計なことを平民が加える。

シンイチが苦笑いしながら最後のタコスをビールで流しこんでいると、奥で作業していたヤンがカウンターの端に座る。

「おー、ヤンくん。君も飲めよ」とマルが言うと、エリサがアサヒビールの小瓶を出す。

「アリガトゴザマス!」ヤンは嬉しそうに笑うと、小瓶を持ち上げて皆に頭を下げる。

「ヤン君、エリサと行った石川旅行はどうだった?」

「良カタデス。ヒマワリ畑モイッタ。夕陽モ見タ」ビールをおいしそうに飲んでヤンは言う。

「でも片道8時間ドライブだったんですよ」とエリサ。

「いいわね、若い子たちは。おばさん、腰痛で2時間以上はだめ」

みんな、ビールや不思議な色をしたカクテルやノンアルっぽいドリンクやら、それぞれいろんなものを飲んでいる。

「で、シンちゃん、Youはなにしにエスメラルダに?」

「あ、厨房機器関係のセールスなんです。都内の飲食店まわって既存の設備のチェックがてら営業したり。ここはセールスに来たんじゃなくて偶然通りかかって面白そうだなって。腹もすいてたので。自宅はA区なんで、ここからは電車で1時間くらいなんですけど」

「あ、それじゃちょっと遠いですね。ここ11時すぎてから盛り上がるんですけど。ギターの流しとか来たりして」平民が言う。

「え、今どき、流しですか?」

「ボサノバ流しのミエさんっていうのがいて、ひととおり界隈の酒場をまわってから最後にここに来て自分も一杯飲むんです。毎週木曜日かな」

「残念、遅い時間なんですね。ボサノバ大好きなんですけどね」

「こないだなんて豪華でしたよ。ミエさんの伴奏で、ヘスースがメキシコ歌謡曲歌ったり、エリサがアンデスの歌ったり。ヘスースは翌日の仕込みもあるから奥から出てくるのはだいたい夜中1時過ぎからなんですけどね。、ヤンくんも都々逸を唸ってたな」

「え、ドドイツ?」

「勉強中デス。日本ノ文化、トテモ面白イ」ヤンが笑う。

「ヤンさんは、音痴なんです。なので、うなるのがいいんです」とエリサが笑う。


楽しいと時間はすぐ経つ。食事とビール一杯と思っていたのが、二杯、三杯となり、テキーラのコーラ割りも飲むと、時計は既に11時を過ぎていた。

「楽しかった。また来たいな」そう言い残して、シンイチはめしやエスメラルダを後に駅へと向かった。


終電ぎりぎりだった。

その後、シンイチはめしやのある商店街に営業にいく度に、二度、三度と、その店によっていた。

しかしながら、いつも終電前には店を出たので、オーナーのヘスースに会うことはなかった。ちょっと厨房から顔だしてくれてもいいのになと思ったが、常連曰く、厨房に入ったら深夜まで一歩もそこから出ないで調理に集中するのが彼のやり方だと言う。

ある日、シンイチが商店街を歩いていたら、古ぼけたサウナが店頭にこんな看板を出していた。

「平日 零時以降朝7時まで1980円」

あ、これならエスメラルダで長居して深夜になっても、タクシー乗ったりホテルに泊まったりしなくてよくて、そんなに懐を痛めることはないなと思う。

そして、とある11月の木曜日、流しがはいる日と聞いていた日に、遅くまで居残る覚悟で店に行ってみる。



「あ、シンさんですね?初めまして」元気な声で話しかけてきた女性がいた。うす茶色の髪を肩まで伸ばして、薄化粧、ボーダー柄のトップスに濃い紺色のボトムスで抜け感のある着こなし。大学生かな?とシンイチは思った。

「亜紀代です、一応常連ステータスの」はにかんで言う。

「あ、マタギの!?」

「いえいえいえ、猟銃免許ありますけど、マタギちゃうねん」と笑う。明るい。


ヘスースはどこで仕入れてくるのだろうか、ウィトラコーチェというトウモロコシを黒くする病気がついたコーンをクリーム状にしたソースの珍しいタコスがメニューにあったので頼む。旨い。ビールが進む。

いつもの常連が集う。なるほど、木曜日は常連の全員集合なのか。エリサも作業を終えたヤンも加わって、静かに盛り上がっていく。


そして11時半頃に、弾き語りのミエが、白い帽子にミニ・ギターをかついで登場する。

「エリサちゃん、まずは私に冷えたテカテを一杯ね」といって、よっこいしょとカウンターに座ると、帽子を脱いだ。

「ミエさん、お疲れですね」亜紀代が話しかける。

「あーちゃんの闘病に比べたら、こんなのなんでもないわよ。でもさすがに5軒まわるとけっこう疲れる」

斜め前に座ってラム・コークを飲んでいたシンイチは聞いてみる。

「ボサノバシンガーの方ですか?」

「あ、こちら時々いらっしゃる新しい常連のシンイチさんね」

横にいたユカが紹介する。

「初めまして、ミエです。ここの界隈でボサっとノバってます。でも今日は疲れたのでまずは、ヘスースのタコスで燃料補給」

「それよりも、ヤンくんの都々逸、もう一回聞きたいわ。ひとつひねり唸ってほししいわ」とミエがヤンに言う。

「ミエサン、駄目デスヨ。三味線モナイシ」

「聞きたいな、ドドイツ」とシンイチも言う。

「ジャ、新常連シンイチサンノ為、コナイダ作タノ」


スデニ1年

上手二ナラズ

トテモムツカシ

日本語デス  

(ベベベンベん、とミエがギターの低音を鳴らす)

手編みセーター

アルパカ毛糸

ボクもアンデス

ニオイなる

(ベベベンベん)

「拍手!ひゅーひゅー」平民さんが盛り上げる。

「ヤンのドドイツでたら、エリサのフォルクローレ聞くしかないでしょ」とユカ。

「フル伴奏、いいわよ」とタコスを食べ終えたミエが、ギターを抱えて言う。


エリサが、はにかみながらも、よく通る高音で歌い出す。

メルセデス・ソーサの "Todo Cambia" 
「すべてが変わる」

….. Cambia todo cambia

….. 変わる、すべてが変わる

そう唄い終わった頃に、厨房からオーナーシェフのヘスースが顔を出してくる。


「ヘスちゃん、お疲れ」亜紀代が言う。

こなさん、みんばんわ!」ヤンよりはスムーズだが訛のある日本語で、ヘスースが常連みんなに挨拶する。

「そんな、昭和のギャグを教えたの誰だ?マルさんか、ユカタンか?」平民がじろっと常連を見渡す。

「オレオレ、俺俺サギ」とマル。

そんなやりとりを笑ってスルーしながら、ヘスースが言う。

「エリサの歌とてもじょうずですね。いつも心が洗われます」

日系メキシコ人、20代半ばということだがもっと年上にも見える。不思議なオーラがあるな、とシンイチは思った。長髪で、あごひげがあって、たしかにちょっとキリストみたいな感じもした。

どこかで会ったことがあるような、既視感もあったが、日系メキシコ人には知り合いはいない。

ヘスースは、コの字型のカウンターの中で、シンイチの前に歩いてきて右手を出しながら言う。

「はじめまして。シンイチさんですね?シェフのヘスースです」

「はじめまして」

なぜかあえてスペイン語がすこしできるのを隠して、シンイチはその手をぎゅっと握る。

料理人にしては、柔らかい、華奢な手をしていた。

ある11月の秋が深まった日、おかしなことに、ラテン系にしては几帳面なエリサが無断欠勤して、ヘスースが携帯に連絡しても返事がまったくない。メッセージも未読のまま。

ヤンの携帯に電話しても、留守電につながるばかり。

困ったヘスースは、2人が不在の間、常連のユカと平民にホール・フロアというと大げさだがカウンターでの客対応を一時的に頼むことにする。 



(3)「こっくりさん(タブラ・デ・グイジャ)」へと続く

"Todo cambia" by Debarro  メルセデス・ソサの「すべては変わる」cover

「すべては変わる」(メルセデス・ソサ)
(部分抄訳)

・・・・・
Cambia el sol en su carrera
cuando la noche subsiste
cambia la planta y se viste
de verde en la primavera
太陽も軌道を変える
夜の間に
草木も変わり
春になれば緑になる
・・・・・

Pero no cambia mi amor
por mas lejos que me encuentre
ni el recuerdo ni el dolor
de mi pueblo y de mi gente
でも私の愛は変わらない
どんなに遠くに私がいても
思い出も痛みも変わらない
私の故郷と家族との

Y lo que cambió ayer
tendrá que cambiar mañana
así como cambio yo
en esta tierra lejana
そして昨日変わったものが
明日また変わらないといけない
私が変わるように
この遠く離れた土地で

Cambia todo cambia
変わるすべてが変わる



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