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近未来SF連載小説「惚れ薬アフロディア」No. 9-2 恋は盲目・愛は瞠目

Previously, in No.1~ No.9-1 (月1更新で全12回程度の予定):

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遅くまで飲み歩いたバルセロナの夜の翌日、4人はナスの車でバルセロナから1時間ほど南下したところにあるタラゴナのバルスへ向かう。

人口3万人ほどの小さな町。人間の塔とカルソッツで有名。ほかにはとくにこれといった観光的見どころのない小さな町。

リュイスが小学生の頃、コロナ禍だった2020年に、まず父親が、そして数か月後にそれを追うように母親が呼吸不全で死んだ。その後、妹といっしょにリオハに住む母方の叔母ところに身を寄せることになるのだが、まだ元気だったバルスに住む祖父母が半年ほどバルスへ二人を連れて行った。

町はロックダウンされていて、両親を亡くして住んだ半年にはなにも楽しい思い出はないのだが、カルソッツの思い出だけが記憶に残っていた。寒い冬のある日、裏庭でおじいさんが葡萄の枯れ枝を集めて燃やして、その上にグリルのような金属の網を置いて葱を焼いてくれた。厳密に言うと、葱ではなく玉葱を細長く改良したもので独特の旨味と風味があった。

本来は、友人や隣人を大勢呼んでわいわいワインを飲みながらの冬の年中行事のはずが、裏庭で静かに、祖父母と妹の4人だけで葱を焼いておばあさんの自家製のナッツやトマトやパプリカなどがはいったロメスコ・ソースをつけて食べた。あまりにもおいしくて食べ盛りだったリュイスは葱を40本も平らげて、おじいさんを喜ばせた。暗い時代の、唯一、明るい記憶。

そんな昔話をしていたら、車は目的のレストランの近くの駐車スポットについた。

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「うれしいな、この店、まだ続いてて」リュイスが言う。
「そういえばおまえと知り合った頃に連れてきてもらったのはここか?」
「そうそう。おまえの前の奥さんのマルタといっしょにね」

さっそく、黒焦げになった葱が目の前の新聞紙の上に山積みにされる。

4人とも既に店が提供するバイオデグレイダブルビニール手袋にエプロン装備である。朋美は、今時、新聞紙なんて存在してたのだろうかと思ってまじまじと見ると、カタルーニャ語で意味不明だが、2005年という日付が見える。なんのことはない過去の新聞の復刻版を模した単なる紙だった。

リュイスが神妙に食べ方を指南する
「こうやって、緑のところを持って、焦げた外側を剥がして、トロっとした中の白い部分を出してね、それでそれをロメスコ・ソースにたっぷりつけて、空を仰いで上から口に入れて一口で食べきる」
「ソース二度つけ禁止ね」とナスがカタルーニャ人にわからない軽口をたたく。

朋美も見よう見まねでやってみる。ちょっと熱そうだったので白い葱をフーフー数回吹いて、ソースをつけて食べる。親鳥がくれる餌を求める雛のように上を向いて口を大きく開けて。

「おいしーい」

ねっとりと、ジューシーで、柔らかい葱に、ロメスコソースがよくあう。昔、シンガポールで飲酒年齢18歳になった時に父親に二人だけで行ったシンガポールの焼き鳥屋で食べて感動した、ねぎまの葱の旨味を思い出した。

ポロンというデカンタのようなガラスの器で、口をつけずにワインを飲むのも、3人の真似をして思い切ってやったら、最初からうまくいって、一滴もこぼさず飲めた。

「朋美、前世はカタルーニャ人だったんじゃないの」とエッダが笑う。

「いま流行りの前世探しか。こないだのカーディフ会議は白熱の議論だったらしいね。どうなんだろうね、あれ」ナスがリュイスに聞く。

「まだイビデンスが十分じゃない感じだな。なんらかの伝達経路があるとして、それがどれほど意味をもつものなのかもわからない。僕らが生きている間にどれだけこの深淵な人生の謎が解明されるかはわからないね」 

ナスが真面目な顔になって言う。「俺はね、前世はわかってる。バルセロナのゴシック街あたりで靴磨きでもやってた子供で、早死にして、童貞のまま死んじゃったんでまたここに呼び寄せられてきたっていう感じ」目が笑っていた。

ちょっと酔ってきた朋美が聞く。朋美はアセクシュアルな気質と関係があるのかないのか、時々、ちょっと無遠慮なことを聞いたりする。「ナスさんは、前の奥さんと別れたのはなにがあったんですか?」   

「あ、ダブル不倫ね」エッダもいるのに、あっさりとナスは答える。

「俺がさ善意でね、バルセロナにいた日本人の留学生の相談にのってたらさ、かみさんが俺とその真澄ちゃんとできてると勘違いして、かみさんも幼馴染の独身のやつと遅くまで2人で飲みに行ったりして、俺のほうもなんか真澄ちゃんといい感じになっちゃって、なんか収集つかなくなっちゃったんだよね」

「ナスさん、けっこうダメ男(お)ですね」つい、朋美は言ってしまう。

聞いていたエッダが聞く。「なに?そのダメおって? Dame? Damelo?」  

リュイスが笑う。「エッダさん、それは日本語ですよ。スペイン語の『それ私に下さい』のDameloじゃなくて。ジャッキーみたいなダメな男のことをダメ男(お)っていうんですねえ」 

ぼろくそに言われても、ナスはどこ吹く風、いっしょに笑って、葱の後にでてきたグリル肉や魚をつまんでは、今度はビールを飲んでいる。

      *     *     *

夜、バルスの小さなホテル。

二人は強く抱き合った。いっしょに過ごすまだ三度目の夜だったが、朋美にはすべてが素晴らしく感じた。

以前に感じていた性的なことに対する嫌悪感にようなものも少し薄れて、この人ならいいと思えた。自ら性欲を持つというのと違うけれどこの人なら許せる、そんな感じだった。そして、いっしょになれることに、とても満たされる気持ちもした。

賢者の時間のリュイスが言う。

「朋美、ひとつちゃんと話しておかないといけないことがあるんだ」

朋美はほゎっとした気分の中にいたが、それを聞くと答えた。

「私もお話ひとつあるの」

「じゃあ、僕から。

ドノスティア学会での質疑応答でもいったけど、10数年前にナスの紹介でナスの大学の後輩だっていうマリに会ったんだ。僕は恋に落ちた。僕はもともと惚れやすいタイプだった。そして醒めにくい。

当時マリはパリの大学にいたので、僕は週末になるとバルセロナから訪ねていた。あせらず、ゆっくりと好意を示したつもりだったが、彼女はフレンドリーだけど、奥ゆかしいというか男女の関係には慎重だった。そして、あるとき、彼女が酔って、それで目に涙をいっぱいためながら話してくれたのが、自分はアセクシュアルだと思うということだったんだ。

僕は良く言えば一途、悪く言えばストーカー気質だったので、気をつけながらも辛抱強く自分の気持を伝えた。でも、だめだったんだよね。嫌われはしなかったけど、遊びに行くと時間をとっていっしょに食事したり飲みに行ったり楽しい時間を過ごしてくれたんだけど、距離は縮まらなかった。そしてある日、今から10年前くらいかな、連絡が全然取れなくなった。大学に連絡しても急に辞めたとしかわからず、下宿の大家さんも何も知らなかった。ナスにも頼んで日本もさがしてもらったけれど、何もわからなかった。

それが先月、ナスが彼女と共通の日本人の知り合いが彼女がメキシコに行ったようだという噂を聞いた。それでメキシコのありとあらゆるデータベースを調べたら、ある地方の病院の死亡者リストにマリの名前が見つかった。5年前にガンで死んでいたんだ。さらにわかったのは、パリを離れてから、そのメキシコ南部の山奥の修道院に住み込み手伝いのような形で3、4年住んでいたらしいんだ。

僕はなにも彼女にしてあげられなかった。あんなに好きだったのに。

彼女はメキシコの熱帯ジャングルの山奥で、独り寂しく死んでいった。可哀そうに。可哀そうな人生。可哀そうなマリ」

静かに聞いていた朋美が言う。

「それは、違うと思うわ」

「マリさん、本当に寂しかったら、友達として、人間として好きなあなたに救いを求めていたはずよ。その連絡がなかったということは、彼女にとってその生き方が自分で選んだ、迷いのなかったものだったからよ。

彼女の優しさが、あなたを誤解させたくない、いまはあなたの恋の熱が冷めていくまで離れていようと音信不通にしたということはあるかもしれないけれど、あなたがそばにいないから独りぼっちで寂しい人生だったということはないと思うの。

カーディフ会議のニュースみたでしょ?輪廻転生かなんだか知らないけど、前世までのなんらかの経験の積み重ねから今世をどう生きていくかっていう青写真のようなアルゴリズムが働いてるのよ。彼女にとっての今世は、そういう人生を生きるように予めデザインされていて、アセクシュアルなジェンダーの人として、山奥の修道院で現地の人たちと交流しながら、有意義な人生を送ったと思いたいわ。そのジェンダーは罰じゃないし、病気は罰じゃないし、あなたに連絡がなかったからといって、山奥だったからといって、独りぼっちで寂しい人生じゃなかったのよ」

リュイスは黙って聞いていた。そして言った。

「ありがとう」

「支離滅裂でごめんなさい、それに言い過ぎた」朋美は言う。

「あ、私のほうの話ね。

人格分裂みたいな話。

本当は治験のプロセスで言っておくべきだったかも。

私ね、3人姉妹の長女で、家では親にはいいお姉さんを演じなくちゃいけないし、学校でも優等生だったから、いい子を演じてきた。でもその頃、悪い言葉で罵りたいような気持になると、頭の中で声がしたの。

その声の主はとても強くて、言いたいことをずばっと言ってくれた。看護士になってからも、わざとじゃない振りして胸をさわってくる年寄りとかいるとね、このエロじじい!とかののしってくれるの。私はその人格のことを、いつの頃からか忘れたけど、悪い私っていう意味で、朋美じゃなくてワル美、英語だと邪悪な美、Evil Beautyって密かに命名して、心の支えにしてきた。

それがね、アフロディアの接種を受けて最初の1、2か月くらいはむしろ前より攻撃的なことを言っててうるさいなと思ってたら、その後、いままでほぼ1年近く、ワル美がでてこなくなったの。

それだけの話なんだけど、治験で話していない後ろめたさと、接種を止めた今、それがどうなるのかしらと思って。

あなたに会えて、あんな暴言を言う役割の人格の必要がなくなったのかなんて、思ってたのだけど」

「へえ、分裂した人格がより独立して激しくなっていったケースは2、3聞いたけどね。それがなくなってしまったというのはなかったな。

いずれにしても、ごめん、そういう精神・心理学的なのは専門じゃないんだ。僕の専門は脳神経内科なんだ。どうやって薬で脳内ホルモンをコントロールするか。でもね、話してくれてありがとう。なにか困ることがあったら、なんでも僕を頼って話してほしい」

二人は再び抱き合った。

     *     *     *

カタルーニャでの休暇からの帰りのフライトで、朋美はふと思って、自分の携帯の検索履歴を確認してみた。

もしかしたら、ワル美が勝手に私が意識してない時に暴走してたりしないかしらと。

以前のような変な、自分が検索するはずのない単語の履歴をみるということはなかった。

不思議なことに、これまでいつもオンにしていた履歴記録自体が、オフの設定になっていた。

     *     *     *

クリスマス休暇から帰って年末の夜勤をこなしていると、リュイスから朋美にメッセージがはいる。

来年2月14日に、カタルーニャ、エウスカディ(バスク)、カムリ(ウェールズ)が緩やかな協力体制設立に合意して、その頭文字をとって「CEC共同体」の記念カクテルパーティがビルバオの郊外で開催される。

リュイスの友人でもあるカタルーニャ首相が、リュイスとその significant otherを招待してくれている。めったにない機会であり、また、会場がなかなかエキゾチックな場所なので、ぜひ朋美に来てほしい、と書いてある。

その会場の島だという、やたらスペリングがいかついバスク語を検索してみる。

Gaztelugatxe、ガステルガルチェ。険しい岩山の教会の写真がでてくる。

不思議なことに、既視感を覚えた。映画ででも観たのかしらと思う。

リアス式で入り組んだビスケー湾の、石橋で陸とつながる岩の島。絶壁の岩の島の上にある教会とその横の狭い広場が今回のカクテル会場だという。セキュリティ上から各首脳に加えてゲストは総勢50名以内であり、各国7組のペアのみだという。

かつての朋美だったら気後れして遠慮したくなるような集まりだったが、リュイスといっしょなら大丈夫と思い、朋美は「YES」と返事を打った。■

(No.10 「邪悪な美(アムステルダム)」に続く)

今後の連載予定(あくまでも予定、変更ありうべし):
No.10 「邪悪な美(アムステルダム)」
No. 11 「絶壁の教会(ガステルガチェ)」
No. 12 「エピローグ」


おまけ: ガステルガチェ(城の岩山)

Source: MOMADICT.ORG  https://nomadict.org/the-northern-way-and-the-special-san-juan-de-gaztelugatxe/

(スペインのバスク自治州のビルバオ北部のビスケー湾にある島。石橋によってイベリア半島本土と結ばれている。頂上には、9世紀または10世紀に建造されたとされるサン・フアン・デ・ガステルガチェ礼拝堂がある。TVシリーズ「ゲーム・オブ・スローンズ」のロケ地としても有名)

この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとはこれっぽっちも関係ありません。医学的な知識はまったくでたらめで、SFなので政治的な内容はまったくの妄想で幾ばくかの根拠もありません。

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