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襟裳岬

かつて、カラオケがサラリーマンの必須科目だった昭和の時代。

駆け出しのサラリーマンだった僕は、上司にスナックのカラオケに誘われるのが嫌いだった。

残業して、じゃあ飯でもいくかと9時ごろ食事をすると、その後、2次会、3次会とカラオケのある飲み屋にいった。上司のボトルがはいっているような、ママのいるカウンター席の。

ついその前まで、大学のジャズ研にいてジャズ・ミュージシャンだとうそぶいていたりして、当時の演歌中心のカラオケの世界が嫌いであった。でも処世術と割り切って、少しづつ、ちょっとは上司たちおじさんウケのするレパートリーも広げていったっけ。

上には上がいたもので、同期のKくんは、なぜか戦後間もないころの歌のレパートリーがあって、東海林太郎だったかそういう、はつらつとした童謡のような演歌。それを彼が直立不動で歌うと、戦前派の当時50近いおじさんたちはやんややんやの喝采だった。

僕はほんとは、英語でシナトラとか、日本のポップスでもサザンとか歌いたかったのだが、ある時、尊敬する会社の先輩に、いいか、カラオケなんていうのはコミュニケーションなんだから、若い奴は曲選んだりしてないでさっさと軍艦マーチでも歌えばいいんだ、それで場が盛り上がればいい、決して自分が好きな歌を歌うなんていう馬鹿な考えは持つな、と言われる。そうかと思ってふっきれる。

それで演歌を歌ったりしていたんですが、唯一、自分でも楽しんで歌えた演歌?が、表題の襟裳岬だった。

森進一の物まねして、ハスキーな声で歌うとけっこうウケた。

時には、悟られぬように、ちょっとアナーキーにパンクっぽく歌ったりもしていたが、やはりこの歌の歌詞のいくつかのフレーズに、いいなあというのがあったのが好きな理由だったか。

北の街ではもぉぉ、悲しみをだーんろで、燃やし始めてるらしい

悲しみを火にくべて燃やして暖を取る、なんともいいなあ。

捨ててきてしまったわずらわしさだけを、くるくるかきまわして、とおりすぎた夏の匂い、思い出して懐かしいね

あ、この部分はコーヒーカップにの部分に続くところ。捨ててきてしまったわずらわしさだけをとはなんだろう?忘れようと思った思い出をちょっと思い出して、その夏の思い出が懐かしいというのであろうか。

そして、このフレーズ。

襟裳の春はなにもない春です

なにもないのか。そういわれると、一度いってみたくなる。

行ったことはないし、これから行くことはあるのだろうか。バケツリストだと称してUK北端の行ってみたい街エジンバラなんて行く時間と金があったら、襟裳岬行った方がいいんじゃね?と、このT字路sのボーカル伊東妙子がだみ声で滔々と歌い上げる襟裳岬を聞きながら、思った。 ■

ブルースやなあ。。。

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