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小説「めしやエスメラルダ」3 工作員ヤンへの鎮魂

(3)「タブラ・デ・グイジャ(こっくりさん)」(前半)

バイトのヤン君が和歌山の政治家狙撃事件の犠牲になって死去するというショッキングなニュースが、突然、めしやエスメラルダを揺るがしてから、もう1ヶ月半になる。

事件から数週間は、常連たちは毎晩、エスメラルダに入り浸りだった。

ヤンと行方不明になったエリサの代わりに店を切り盛りしていた常連のあだなユカタンと平民は、いつものゆるい雰囲気と一変して、店の給仕の手伝いというよりか、ヤン君事件対策本部みたいになって、日々、情報収集を進めていた。

「平民さん、きちんとこの情報の裏とってね」と、ユカタンは厳しく情報を積み上げて、なぜ、あの気さくで皆に好かれていたヤン君がこんな事件に巻き込まれて命を落としたかという謎を解こうと必死だった。

当然、マスコミも犠牲になったヤン君の背景をさぐるべく、彼の人となりを知っている人たちに片っ端からあたって、数多くのバイト先にコンタクトする中で、エスメラルダにも話を聞きに来ていた。

「どどいつを捻るのが上手な、とってもいい子でした」と、ボサノバシンガーのミエが大粒の涙をぼろぼろ流しながら、インタビューに答えていた。

不思議なことに、警察が本国の連絡先にあたっても音信不通で、ヤンにはこれといった身寄りがないことがわかってきた。日本に留学する前の本国での生活の形跡もまったくでてこない。どこからともなく降って湧いたような、謎の人物という感じだった。

一方で、日本の留学先の学校や、コンビニ、牛丼屋、自転車屋、銭湯、サラダ屋、出版社、居酒屋など多々あるバイト先、そして下宿の大家さんにもヤンの評判はすこぶる良かった。

牛丼屋の店長の能田さんという中年のおやじはテレビのインタビューに目を真っ赤にして「あいつはほんとに今どき珍しい、ほんとにいいやつだったんですよ。返事もハキハキ、仕事はテキパキ」と思い出を語っていた。

初老の大家さんの女性も、最後の家賃もきちんといただいていてなにやら実家で急な不幸があったとか丁寧なビデオの言伝てがあったのだと話していて、その几帳面な挨拶のビデオ映像がニュースで放映された。

「おやさん、すみません、急に帰国になてしまたです。12月までの家賃です。ありがとござました」

そう言って頭を下げるヤンの映像が、何度も何度もテレビで流れて、お茶の間の涙を誘った。

公安警察といえば、CIAからヤンが工作員である可能性についての極秘情報を得ていたものの、ヤンが右派政治家の暗殺を阻止するような形で命を失っていることから、その情報には半信半疑で、なんとも背景も動機もわけがわからない事件だとお手上げの感じであった。県警などは、政治家が無事でよかったと胸をなでおろしていた。

行方不明になっていたヤンの彼女のボリビア人のエリサについても、その後なにもわからず、ヘスースは警察にエリサの携帯を追跡してもらったが、既に電波は切れているという。

師走の12月、クリスマス前の頃、めしや店主のヘスースはあることを思いつく。

ヤン君の追悼の夕べをやろう。

ヤン君を知っているめしやの常連みんなと、テレビにでていた生前のヤン君を知っていた人たちを呼んで、美味いタコスを食べてもらおう。そう思った。

それをユカと平民に相談しようと思ったら、さすが事件事務局、既にそういう人たちをリストアップして連絡先を調べ上げていた。だらだらおしゃべりしているようで、やることはなかなか早い常連の二人だった。

ちょうど土曜日となった、12月25日のクリスマスの夜に、その追悼の会を開くことになる。

「みなさん、今日はヤン君のために集まってくれてありがとうございます。さあ、まずは、タコスをたべてください。お店のおごりです」

長髪にあごヒゲで、白いシャツをきているのでますますイエス・キリストみたいなヘスースが、エスメラルダに集ったみなにそう促した。

毎晩のように集っている常連たちと、家が遠いため月2くらいのペースで通ってきている準常連のシンイチ、そしてユカタンと平民が声をかけて集まってもらったヤンのかつてのバイト先などの人たちが店に来ていた。

ヘスース自慢の本格タコスが振る舞われ、奥から平民がケースにはいったテカテ・ビールやテキーラ瓶を持ってくると、ユカタンが持病の腰をさすりながらグラスにどんどん注いでいる。

進行役がいるわけでもなく、誰ともなく、生前のヤンを回想する発言が始まった。

喪服のような黒のスーツに白のブラウスを着た、ヤンのバイト先の株式会社のおとでの上司のユキが言う。

「ヤン君は仕事の部下という関係というより、これまでの人生で私の唯一の弟子なんです。

私、趣味で三味線弾くんですけど、ヤン君と、何度もいっしょに、どどいつ演奏で老人ホームをまわったんです。

ヤン君、おじいちゃん、おばあちゃんに大人気でしたね。

ある時、ヤン君、満州生まれのおじいちゃんに、突然、両手をぐっと掴まれて、大声で『申し訳なかった』と絡まれたときはどうなるかと思ったら、ニコニコあの調子で、『どいたしまして』と返したので、大笑い。

あー、ヤン君、会いたいなあ」

ヤンと語学学校の同級生のチリ人のカルロスが言う。
「ヤン君、ぼくが不良にからまれたのを救ってくれました。
カンフーみたいなすごい動きでした。
3人をやっつけた。
ぼくはかれをだいすきでした」

次々と思い出は尽きない。

話は続いた。

はるばる富山県から来たという、初老の女性が、しみじみ語った。
「私、あのとき、じつは死のうと思ってたんです。

主人に先立たれ、店も人手に渡ってしまって、私自身もガンの転移があって。死のうとあの崖に向かう道で、ヤン君とエリサちゃんの車が止まったんです。

それで車に載せてくれて、優しい言葉をかけてくれて。ヤン君が、ひまわりの花をくれました。

それで、死ぬのをちょっとやめよう、もう少し生きてみようと思いました」


常連の白髪・白ひげのマルが明るく言う。
「しめっぽくなっていけないですなあ。
ヤンはいつも明るかった。暗い顔しているの、みたことない。

毎日楽しくて生きてますよというやつでした。

人に言えない、深い闇を持ってたのかもしれないけれど、オレが知っているヤンは、とにかく明るくて前向きの元気いっぱいのヤツだった」

宴たけなわの頃、オーナーシェフのヘスースが静かに言う。

「みなさん。ひとつおはなしさせてください。

ちょっとへんな話です。

実は、私、不思議な霊感がひとつだけあるんです。

でも、それは、あまり役に立たない霊感なんです。

死んだ人が、訪ねてきてくれているのを、感じることができるんです。

でも、話したり、見えたりはできなくて、その存在を、匂いのような、雰囲気のような気配を感じ取るだけなんです。

こんな、オカルトちっくな話がきらいなひとには、すみません。こわがらせるつもりはありません。

私が8才のときにメキシコで母を病気で亡くして、その1年後くらいに、母来てくれたのを感じたんです。それだけです。それ1度だけなんですが。

でもね、今、また、感じてます。鼻が感じてます。

ヤン君、来てくれているんです。

秋の干し草みたいな、稲刈りのあとの田んぼみたいな、香ばしい香り。

これ、生前のヤン君からも感じていた香り。今、嗅ぎ取れるんです。感じるんです。

でも話はできない。

それで、半分は真剣に、半分は信じなくてもおもしろいかなという興味なんですけど、これ、みてください、メキシコから持ってきた「タブラ・デ・グイジャ」なんですけど、日本でなんと言いましたか」

こっくりさん」亜紀代が大きな声で言う。難病の闘病中で体調に波がある常連の30代の女性だが、今日は元気いっぱいだった。

「こっくりさん、私が小学生のときにも札幌で流行ったわよ」とミエが付け加える。

「こっくりさん、ですね。はい。私は8才のときに母を病気で亡くしてから修道院の孤児院にいたのですが、これ、その時に、カトリックの教えには背くことですが、孤児院の悪ガキ友達たちが倉庫でみつけてきたやつなんですけど、たぶん仕組みは日本のと同じです。

アルファベットだけど。3人が指で支える石が動いて、文章とかを綴るものです。

これ、どうでしょう、3人どなたかで、やってみませんか?」

すっと、ちょうど3人の手が挙がる。

常連の亜紀代、平民、そしてマル。

元気いっぱいの亜紀代、既にかなり酔っている初老のマル、飄々といつもどおりの平民。不思議な組み合わせではあった。

ヘスースがゆっくりとボードに向かって言う。

「ヤン君、いますか?」

すると、3人の人差し指で支えられた石がずるずると動いて、スペイン語でSí、NoつまりYES、NOと書いているところの「Sí(はい)」で止まる。

石は、今度はアルファベットをひとつひとつ辿っていく。

止まるごとに平民がそれを読み上げ、ユカタンが小さな黒板に書き出していく。

ほ・ん・と・の・な・ま・え、
ち・し・ゃ
に・ゃ・ぞ・く

マルが首を傾げて言う。「ヤンは偽名だったのか?チシャという本名? 「にゃぞく」ってなんだろうな」

「中国の少数民族のひとつなのでは?」と平民がつぶやく。

ヘスースが聞く。「どこにいるの?」 

た・ぶ・ん、て・ん・ご・く
ひ・ま・わ・り・さ・い・て・る

すると、唐突に、富山から来ていた初老の女性が言う。
「お願いします。私にひとつ質問させてください。

そちらは、今いるところで、あなたは幸せですか?」

石が動き、再び、「Sí(はい)」で止まる。



シンイチはひとり冷めた気持ちでそれを眺めていた。

昔、マリア信教の奇跡の泉について聞いた話を思い出していた。

そして、ひとり思った。

奇跡なんてものは存在しない。

奇跡は、それにすがる傷を負った人たちと、その人達を救うことで自らも救われようとする人たちとの共同体が作り上げる幻想にすぎない。そんなことを言った人が昔いた。

こっくりさんも、ヤンの思い出で心がいっぱいになっている3人の「潜在意識」が都合よく、作り出している答えをなぞっているだけにすぎないということか。

ヤンが答えているというより、亜紀代、平民、マルの3人の感傷的な潜在意識が描く、ヤンが答えるであろうという模範解答にすぎないんだろう。くだらない茶番ではある、と。

そして、目の前にあったテキーラをストレートで飲み干した。

それから、さらにいくつか質問がでて、石が止まってしまう質問もあったが、ほぼ、それなりの答えが綴られ、驚きの声があがったり、目頭をおさえる人がいたりして時間がたっていった。

どどいつ先生のユキや、ボサノバのミエなどは、こっくりさんからじっと目を離さず、答えがでるたびに、号泣していた。


平民は自分の指を石にあてながら、密かにこう思っていた。

これが、ヤン君への鎮魂。

死んでどこへいったかわからんけど、安らかに、幸せになっているとみんな祈っている。そんな答えがこれで綴られることが、この追悼式なんだな。

ヘスースが、おやっという表情をして、すぐに深刻な深い悲しみの表情をみせた。

こっくりさんボードからひとり距離をおいて傍観していたシンイチは、ヘスースのその悲しみの表情に気が付いた。

とても驚いた表情のヘスースが右手を上げて、皆の注意を引いて、つぶやく。こっくりさんの3人も、手を石から離して、ヘスースのほうを見つめる。

「不思議です。もうひとり、ヤン君のほかに、もうひとり来ているんです。

柔らかい、上品な高原のアルパカのセーターのような匂い。優しい香り。

よく知っている人です」


そしてヘスースはスペイン語で聞く。

「… エレス・ツゥ、エリサ?
  エスタス・アキ?(君なの、ここに居るの?)


すると、亜紀代がひとりで手持ち無沙汰に人差し指をあてていた石が、すっと動く。

Sí(はい)


( (4) タブラ・デ・グイジャ(後半)エリサへの鎮魂 へと続く)

https://note.com/rubato_sing/m/m331ed6890383





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