【語学】3種混合ワクチン
子育てはほぼ終わったんですが、そういえば子供が小さい頃、自分が昔はそれぞれ別に受けてたと記憶していた予防接種が(まあ、自分に記憶がある訳でなく親が連れていってくれてたはずですが)、混合ワクチンというので1回で済むというのに驚き。
注射は痛いので、そりゃ1回で済めば子供も親も楽ですよね。よく考えられた、いい方法だなあと思いましたね。
先日、いまやってる初級イタリア語のDuolingoをやりながらふと思ったんですが、過去に結構年季がはいってやってきたスペイン語と、それなりにかじったポルトガル語、そしてかじって頓挫したフランス語、本だけ買ってみただけのルーマニア語、みんなラテン語系だなあと。それでなんですが、じゃあ、まとめてまず共通の似た部分だけ教えてもらって、そこから各言語のバリーエーションを学ぶという、「混合接種」型学習はできないもんかなあと。
私事、学生の時に「中南米研究」というのが専攻だったので、たしか語学15単位のうち10単位がスペイン語、3単位がポルトガル語、残りを楽そうな優しいアメリカ人がやってた安パイは英語クラス、そしてイタリア語を1コマとりました。
その間、中南米で計6か月バックパッキングふらふら10か国くらい滞在したので会話スペイン語は身についた感じ、その2年後に夏のスペイン2か月を経てメキシコの大学院に、そこで読み書きたたきこまれて、その後7年ほど中南米がらみの仕事をしたので、スペイン語学習では年季がはいって、むしろその間ほかが消えてしまったそんな20代。その後は仕事がかわり、中国に2年、多民族国家シンガポールにはや20年。
20代、いろいろ経緯があってNYのマンハッタンで中南米がらみの事を3年やってから2年学生生活を北のほうのスパニッシュ・ハーレムで過ごしたのですが、自分にとってNYは「スペイン語圏」、よってスペイン語圏在住は旅行的なものも入れると6年弱に。
そうなんですよね、マンハッタン、あるある話。スペイン語がけっこう飛び交っている。道歩いてると、こっちがどうみても東洋人なのに、ヒスパニック系のおばはんがスペイン語で道をきいてくるとこちらもそれなりにスペイン語で応えてやると、驚きもなく、グラシアスといって去っていく、そんなことが多々ありました。まあ、いま思うと向こうはスペイン語しかできない、それで東洋人でも黒人でも誰でもスペイン語で話しかける、通じたらラッキー、そんなことだったんだと思いますが。
話がそれました。それでつくづく思うのは、ラテン語系の言葉、基本的な文法の構造とかが似てて、語彙も微妙に違っても想像がつくようなのが多々ある。だったら、まず、「ラテン語系語学入門」というクラスがあれば、共通項として、動詞の活用、過去形やその過去のバリエーションの考え方(点だの線だの大過去だの過去完了だの)、また、未来形や、ちょっとやっかいで多くの人がくじける接続法・条件法というのがなぜ必要なのかを学ぶ。それをやってから、「各言語の学習」を受ける、そんな学習法があってもいいのではと。それでラテン語系数か国をマスターする。それを、ラテン語系3種混合ワクチンとか混合学習と呼ぶ。
まあ、1000年以上も分化してそれぞれ独自の発達をしていると、似てても似て非なる部分というのが多々ありますが(false friends問題)、それはそれで語学学習の醍醐味、関西弁と東北弁の違いを県民ショーでおもしろがって学ぶようなとこがあり、ベース、根幹となる部分をおさえた後では各論というか各言語でのバリエーションとして覚える。
なんてことを自分で発想したように書いていると、たぶん世の中にはそういう発想がすでにあるんでしょうねえ。とくに、多言語話者を自負する人が多々いる欧州とかで、そういう発想があるのかもしれない。あるいは昔の大英帝国みたいにラテン語から出発して、フランス語やスペイン語学びなさいねというのか。そうそう、英語も、学術用語、法律用語、医学用語とかはラテン語を知ってると結構助かる。
あるいは、日本語を勉強した西洋人が、漢字という切り口から中国語へと広げていくような、文法というか文の構造が似ているということで韓国語へいくとか、もともと漢語から語彙を輸入した歴史から、日本語から韓国語やベトナム語やウイグル語へ行くとか、あるのかもしれないですね。
そんな偉そうな、こっちは英語だけで四苦八苦なのに!と怒られるかもしれませんが、こういう複数軸あると気持ちが楽になると言うのはあると思います。うまい説明のしかたがでてきませんが、たとえば日本人がアメリカ行って、語学もそうですが、自分のアイデンティティとして自分は日本人なのかアメリカ人なのか、2択の疑問に悩む、ときにアメリカ的人格にもともとの日本人としての考えが圧倒されてしまって根無し草になって気分になるとか。そんな時に、自分の母語は日本語、アングロ系の英語を道具として学んでいるだけ。それをドイツ語とかオランダ語に広げるかもしれん、とか。自分のアイデンティティは母国プラス、いくつかマルチなものがあるんですと思うことで落ち着きを得る。決してそのとある外国VS日本という対立だけではないと。そうすると、2つの違う文化の狭間に陥ってもがくということが避けられるのではないかなあ。英語しか話せないが偉そうにしてくるアメリカ人に、こっちは韓国語もちょっとはわかるんだよとマウントをとりかえすとか。こっちのスペイン語が下手だと笑うスペイン人に、ごめん、いまイタリア語がでちゃったとかわすとか。
まあ、ある言語の学習で壁にぶちあたったんで他の言語に移る、でもいいんですが。楽にやりたいもんです。
3種でも4種でも混合語学ワクチン、だれか開発してください。 ■
(タイトル画は、注射で検索してでてきたものから一番いい感じのものを拝借)