傷つきたい人
それからあの子は何かを言いかけた沈黙を、あぁでもこれは、まぁ、ええか。と言い換え、不要になってしまった空いた口の不自然さを誤魔化すように上唇をぺろりと舐めた。
わたしはわたしでどうしたん?とも聞き返さずに、相槌にも満たない息を吐いて、何もなかったことを強調するためにスマホからは目を離さなかった。
わたしとあの子の間にはどう考えても不自然に揺れたはずの空気があったのに、やはりお互いに何もなかったことを強調するための行動を繰り返していた。
あの子が啜る鼻水の音が五月蝿い。
わたしは暖房の温度を少し上げたけど、そんなことに意味はないらしいことはとっくにわかっている。
私は何かあったの?と無理にだって聞くべきなのだと思う。
わたしが話を聞きたがる人間になって、あの子が繰り返すくだらない悲しみに寄り添うべきなのだ。
そのうちにあの子は震わせた腕で目の当たりを押して、気づかれたいのを気づかれないようにし始めたことにわたしは気づく。
ほら、私。
聞いてあげなよ何度でも。
いつだって私の声はあの子には届かない。
私の言葉であの子はちっとも変わらない。
あの子の心の悲しさが私とは何の関係もない所で消えるまで、私の言葉は居心地が悪そうに宙に浮かされたままなのだ。
私はただ、この瞬間あの子の心の隙間を埋めればいい。
それが今目の前で悲しみに気づいて欲しがるあの子の欲しい優しさなのだ。
嫌いじゃないよ。でも私だって色々あるよ。
あなたのことは嫌いじゃないよ。
でも今のあなたは苦手だよ。
だけど今日も私はバカなフリして何度だって、何かあったの?とあの子の顔を覗く。