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死刑宣告


2024年 5月21日

この世界の誰かに死刑が言い渡される。

明日、誰かが必死になって積み上げてきたものが、全て無に還る。

これまでの訓練や投資…
全てが水の泡となる。

誰かが抱いている夢が、明日終える。


でも、これが投稿される現時点では、そんな誰かは夢を抱いたままである。
何気なく日常生活を送り、SNSにはいつも通り、他愛もない投稿をする

…明日終えるとも知らずに。


明日、死刑宣告をされた誰かはどんな反応をするのだろう。動揺しつつも最終的には死刑を受け入れるのだろうか、はたまた運命に抗おうとするのか、それとも…


死刑宣告
文字にすると確かにインパクトはあるが、この世界全体で見れば別に大したことではない。人間は今この瞬間にも死ぬのだから。


一方でミクロな視点で見ると、誰かの周りにいる人達…あるいは誰かの夢を応援してきた人達は、そんな誰かが死刑宣告されたと知ったらどう思うのだろう。


私には分からない。分からないが少しだけ頭を働かせて想像してみる。

「そんな…まだまだこれからなのに」
「夢を叶えたいって言ってたのに、どうして…」
「これだけの時間とお金を投資したんだから、元本、私に返してよ!」

少なくとも、死刑宣告をされて喜ぶものはほとんどいないだろう。あるのは悲しみや疑問、そして怒りだろうか。

そんな負の感情は、SNSという媒体を通してこの世界に流れるのかもしれない。また、"死刑宣告"なので、もしかしたら大衆に注目されるのかもしれない。けれどすぐに忘れるのもまた大衆だ。

死刑宣告
宣告を受けた張本人は無論、それを知った誰かの周りにいた人や応援した人を負の感情にさせる。

そうして、長いようで短い…否、短いようで長い死刑執行日を待つことになる。

死刑執行日…死刑執行される誰かや周りの人間はどんな姿・感情で迎えるのだろうか…

これは私とて想像もつかない。

が、執行されれば全てが終わる。

それだけは確かだ。


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話題を変えて

フィクションにおける物語は、大抵始まりはちゃんと書く。

「〇〇を始めるぞ!そのためには××しないと!」
「私には△△という夢がある。それを叶えるために、これをしよう」といった感じに。

だが、終わりをちゃんと書く物語はあまりない。
確かに終わりは迎えるのだが、それは便宜上の終わり(いわば『ハッピーエンド』)である。

物語に登場するキャラは、物語が終わったからといってそこで死ぬ訳ではない(基本的には)。

そんな物語の真の終着点…キャラの死に際に関して、私の興味が尽きる事はない。


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2024/05/20 AM 6:20

私はいつもより40分早く起床した。理由は奇妙な夢を見たからだ。

突如として死刑宣告らしきものを受けたかと思えば、死刑執行されかけたのだから慌てて目を開けたのだった。

悪夢を見た事は何度かあったが、死刑宣告されるのは流石に記憶にない。
珍しく脂汗をかいていたのだが、私は不思議とこの夢が神の思し召しのような気がしたので、夢を具現化する事に決めた。

早速書き始め、一旦中断を挟んで夕方からまた書き始め、終わった時刻はPM 7:10

こうして、私の奇妙な夢は拙い文字達によって現実世界に映し出されたのだった。

『えっと…死刑宣告の日付は適当に明日にでもしといて』云々。うん、しょうもない。

しょうもないが、もしこれが正夢だったら現実世界で何か起こるかもしれない。
そう思うと今後しばらくはこの世界を観察するのも悪くないどころか、より一層やるべきだと感じてくる。観察する事で、もしかしたら私の興味が満たされるのかもしれない。


何だかやる気が湧いてくる。注意深く観察しなければ…死刑宣告を。


私って、想像以上に性格や感性が色々おかしいのかもしれない。うん、今更か。

ま、そんな事を呑気に書いている筆者こそ、明日突然死刑宣告を受けるのかもしれないのだけど。

何せ、夢の中で死刑宣告されたのは私だったかのだから。



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