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【魔女こいにっき、批評】物語の姿とは何か

2014年に発売された18禁ビジュアルノベルゲーム【魔女こいにっき】

その作中にてヒロインの一人である藤田崑崙は、物語についてこう語っている

『じゃぁ、物語は何? 物語って、どんな姿
 をしているの?
 それはきっと、ドラゴンの形をしているの
 ドラゴンっていうのは、実に不思議なイメ
 ージよね。
 時々の印象も千変万化する
 (中略)
 ドラゴンってやつは、それ自体が一つの
 物語なのよ。描くものによって、なんにで
 もなり得る。壮大で、古より人の憧憬を
 生む。
 誰もがイメージすることはできるが、
 しっかり描こうとすれば、意外と難しい
 どこかに存在していそうで、決して、
 どこにもいない
 そして、物語とは、つまり竜だったのよ』


物語の姿とはドラゴンである。
なるほど、確かにドラゴンなんて現実世界には存在しない。実際に見た人もいない(言い伝えとしてならあるが)。物語等虚構の世界にのみ存在する。

そして物語も形を持たない。要はただの文字列なのでドラゴンのようだという事か、一理ある。

物語とは何か。物語の姿は何なのか。

私はまた別の回答を用意した。

物語の姿とは

魂の器を満たす魔法の液体

だと思う。魔法の液体って…

全く抽象的過ぎて笑ってしまうが、言ってしまえば、物語とは魔法である。以下、少しだけ解説してみる。

私は、人間には質量なき魂があると思っている。魂は生身の肉体とは違い、直接的に身体を害する訳ではない(例えば、肉体は酸素や食糧が無ければ人間は生きていけないが魂は傷ついてもそれが死因になることはない)。

ただし、魂が傷つき過ぎると、身体に影響を及ぼしてしまう可能性がある…ショックで自傷行為をしたり、最悪自殺をしてしまったり…である。

上記の文章で、私は読者に分かりやすいように《魂が傷つく》と表現した。

そこでちょっと考えてみる…魂が傷つくとはなんぞやと。傷ついた魂は回復しないのかとか、そもそも魂の傷とは何なのかとか…うん、よく分からん。

なので私は以降《魂が傷つく》に変えて、『魂の器』と表現する事にする

あれ、痛みは?と思った人もいるだろう。

魂の器には常時"水"が溜まっている。その水が目に見えて大きく減少する=《魂が傷つく》と思って欲しい。溜まっている水が減少する事で傷を表している。

「この魂の器に溜まっている水が完全に干からびた時、人間は生きる意志を完全に失い死を決意する」ここではそう仮定する。

水は常温で放置していたとしても自然に蒸発する。
魂の器に溜まった水も同じで、自然と蒸発する。なので人間は娯楽等で魂の器に水を入れて器を満たしていく。

これが何か大きな不幸な事があった時、魂の器に溜まった水は一気に蒸発してしまう。これは娯楽なんかの水では満たされない。

だからこそ、物語という魔法の液体が必要なのである。こんな抽象的過ぎる液体でしか、再び魂の器を満たす事は出来ない。

では魔法の液体の"魔法"とは何なのか。
残念ながら私にも分からない。

ただ一つ言えるのは、物語とは魔法の液体であるという事だ。


些か不謹慎ではあるが、その例の一つを以下に記したい。 



ニュース等でご存知の方もいらっしゃるかもしれないが、つい先日、競馬界にて藤岡康太騎手が落馬事故で亡くなるといういたましい事故が起きてしまった。勝ち星ランキングトップ10に入る人気ジョッキーだった。この場ではあるがお悔やみ申し上げたい。

藤岡康太騎手が亡くなった同じ週にはG1皐月賞が行われる事になっていた。

そうした中で、訃報のニュースが流れるとXのトレンドには同騎手の名前と共に、
競走馬である"ミスタージーティー"がトレンドに上がっていた。
この馬の主戦ジョッキーは藤岡康太騎手の兄である藤岡佑介騎手で、G1皐月賞に出走予定の競走馬だった。

私が思うに
これは訃報という大きな不幸を知ったファン達が

『天国に旅立った弟(藤岡康太)の後押しで兄(藤岡佑介)が勝つ様を見たい』

という物語を求めた結果なのではないのか(レース結果は10着)。

ちなみに同レースを勝利したのはジャスティンミラノ(騎手は戸崎圭太)だった。

ジャスティンミラノは、藤岡康太騎手が落馬直前に調教に乗っていた馬である。勝利者インタビューにて戸崎騎手は藤岡康太騎手に涙ながらに感謝の言葉を口にしていた。

以下、JRAのHPに掲載されている記事を引用する。

ジャスティンミラノの調教にまたがっていた藤岡康太騎手は、亡くなったばかり。戸崎騎手は「後押ししてくれたんじゃないか」と仲間の死を悼む。想いを乗せたラストスパートで果たした、3連勝、そして皐月賞制覇といえるだろう。

https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/satsuki/result/satsuki2024.html


不謹慎かもしれないが、まさに物語的解釈である。『後押ししてくれた』のかは定かではない。ただ馬がやる気だったからかもしれないし、人間の勝手な解釈かもしれない。

だけど私はこのような物語を何よりも大事にしたい。何故なら生死のある生身の人間だからこそ、このような物語を紡ぐ事が出来るからである。

だからこそ、AIに取られてたまるかという思いが強い。確かに執筆スピードは速いし人間では太刀打ちできやしない。でもAIは死を知らない。死の恐怖を知らない。理由は人間ではないから。

人間だからこそ、物語という魔法の液体を使えるのである。そしてそれは、自分の…そして他者の魂の器を満たす魔法の液体となる。

さて、少しだけ話題を変えて、

創作者(ここでは物書き)とはすなわち、魔法使いではないのかと思う。物語という魔法によって人々の魂を満たすのだから。

でもそれは、言語を操れる人間なら誰しもが持っている能力ではないのか。ただそれを表に出さないだけで。

私としては人々にはもっと物語という魔法を使って欲しいと思う。そうすれば世界は平和に一歩だけ前進し、より良くなると思うから。

結局、ここまで話しても魔法の液体が何なのという具体的な説明はできなかった。でもそれは無理だ。魂には質量がないのと同じで、魔法の液体も質量が無くて分からないのだから。

証拠は何もない。

でも人間には確かに魂の器がある。そしてその器を満たす魔法の液体がある事は確かだ。少なくとも私にとっては物語=ドラゴンより説得力があるように思えてならない。

だって、このように語っている時、私の魂の器は魔法の液体によって確かに満たされていると感じているのだから。

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