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ELRフェス2024の思い出と私の芸術観について
ABEMAのGWキャンペーンがきっかけでプレミアム登録した私が、「キャッシュバックもあるしなんか楽しそう」という理由で何となく購入した『ELRフェス2024』PPV。
セクシーじゃんけん(?)が流れ続け、定刻。
注意事項が終わり
トップバッターは、カリスマ
(歓声があがる)
(音楽が聞こえた後、ステージ上にライトが照らされる)
らんらららんらん…カリスーマ!
陽気な音楽と共にライブが始まった。
一際目を引いたのは、カリスマの後ろで楽しそうに演奏する月蝕会議の皆さん。
ライブが終わった後で私がELRフェス2024で一番印象に残ったところを思い出してみると、カリスマの曲を楽しく演奏していた月蝕会議の皆さんが一番印象に残ったと答える。
楽しそうに、そして時折演奏する他のメンバーを観ながら演奏する月蝕会議(鳥さんも)を観て、私は楽しさ以上に緊張してしまった。
カリスマが歌った曲は2曲とも童謡をアレンジした曲だったので、無意識のうちに私の幼少の記憶が蘇ったのだ。
正直、私はカリスマではなく月蝕会議の演奏する様をずっと観ていたし、カリスマの出番が終わった後も暫く緊張しながらライブを観ていた…
私が緊張した理由は、自身も音楽をしていた期間があり、舞台裏で待機していた頃を思い出してしまったから。
テーマを変えて、私の昔話を一つ。
私は幼い頃、幼稚園から中学生までの間習い事で音楽を習っていた。
勿論プロを目指すとかではなく、世間一般の習い事感覚で。約10年くらい続けていた。
期間中、私は度々習っていた音楽教室が主催する演奏会に出演した(とはいえこれらは全て賞レース的なものではなく、言わば保護者に対しての発表会的なもの)。
参加した演奏会は大きく二種類で、
一つはソロで
もう一つはアンサンブルである。
音楽を知らない人のために説明すると、
一人で演奏する形態ををソロというのに対し、二人以上で演奏する形態をアンサンブルという。
私はソロ形態での演奏会で楽しかった記憶はないのだが、アンサンブル形態での演奏会はとにかく楽しかった記憶だけが残っている。
アンサンブル形態の演奏会は全部で三回出演した。そのうち二回目と三回目は演奏している様子がDVDに残っていた。
だが私は自分が演奏する様子を一度も観れずにいた。
理由は自分が演奏している様を観るのが恥ずかしかったから。
でも月蝕会議の皆さんが楽しそうに演奏する様子を観ると無性に観たくなり、ほとんど開けていなかった引き出しを開けて演奏会以来10数年ぶりに観てみる事にした。
二回目のアンサンブルは画質が悪かったが、最後に演奏した三回目のアンサンブルは画質も良かった(し、音楽を習っていて一番楽しかった)ので早速観てみた。
規模感は、演奏者が計数百人程度とその保護者の前でだった。
私を含む10人ちょいで演奏した曲は、言わば明るい曲だった。難易度はそれほどでもないがノリノリで弾けるような曲である。
10人ちょいの人達と本番までの流れを軽く説明すると、私以外の演奏者は他の音楽教室の人達で、練習は個々の音楽教室でやっていた。その後何度か合同で練習をやって本番という形だった。
さぞ過去の私は楽しそうに弾いていたのかな、と思って観てみた。10数年前の演奏なので、客観的に観る事ができた。
そしたら驚いた。
実際はその逆で、演奏している私は仏頂面で指先だけで弾いていた。
恥ずかしいとかではなく、単純にこの演奏者を観る価値なんてないと思った。
直ぐに他の演奏者を観る事にした。
そしたら身体を揺らしながら楽しそうに弾くAさんが目に留まった。
私はAさんに魅了された。
仏頂面で楽しくなさそうに弾く私。
一方で、身体を使って楽しそうに弾くAさん。
私は、自分ではなくAさんに魅了された。
そうしたら何だか楽しくなって何回何回も繰り返し観てしまった。他の演奏者はAさん程ノリノリという訳ではなかったが、身体を使って楽しそうに演奏していた。それを観てまた楽しくなり何度も観る。
だが何度見ても、過去の私では全く楽しめなかった。
「楽しんで演奏していた」
と思っていたのは本当だったはず。
だがそもそも、当時の私は心の底から楽しめていたのか。
違うと思った。
それで、しばらく考えた結果
二つ理由があると思った。
一つ目は
『音楽を義務感でやっていたから』
「音楽をやりたい!」と親に言ったのが幼稚園児の時。その時は純粋に楽しかったと思う。
だがその感情は小学校低学年までで無くなったと思う。
音楽を聴くのが嫌いになった訳ではなく、単に練習するのが嫌いになった。
音楽は、曲を上手く演奏できれば楽しいのだが、上手く演奏出来るまでが辛い。
練習しても上手く演奏できない日々が続くとイライラする。イライラするとやがてゲーム等手っ取り早く楽しめるものにハマる。
いつの間にか私にとっての音楽は、先生に怒られないようにちょっと練習するという義務のようなものと化していた。
勿論過去の私はここまで考えることもなく、「練習だるいな〜」と思いつつも何となく音楽を続けてしまっていた。
まあ、すぐに辞めなかったからこそ三回目、小学生最後の年に行われたアンサンブル形態の演奏会に出演できたのだが…
(というか、某動画サイトに上がっている演奏曲のMVを観たのが先生と観た一回だけだった時点で、やはり楽しめていたはずがなかった)。
そして二つ目は
『楽しんで弾く人間を見下していたから』
私はあまり明るい性格ではなく、
感情表現が乏しい人間だった。
それだけだったら別に良い。感情を出す人間と出さない人間がいるのだから。
だが私は当時から捻くれていていて、
「なぜ演奏中に身体を揺らし恥ずかしげもなく笑えるのか」
と、言わないだけで心の底では思っていた。最低な人間だ。
だから仏頂面になるのも頷ける。どうりで楽しんでいるようには見えなかった訳だ。
ここまでは演奏する態度のことについて話してきた。勿論態度だけで音は奏でられないので、実際の演奏についても少し語りたい。
演奏の精度について私自身、あの演奏でミスタッチはなかったと思う。特に難しいパートでもなかったし。
Aさんがどのパートを演奏していたかは分からない。もしかしたらミスをしていたかもしれない。
もし仮にミスをしていたのなら、演奏の完成度だけで判断すると私の方が優れていると言えるかもしれない。
だが、そんな事を気にする第三者がどこにいるのだろうか。
演奏会やライブにおいて、正確性は最優先事項ではないのではないか。
勿論完成度が著しく低いものは問題だが、それよりも演者がいかに音楽を楽しむかが重要ではないか。
そもそもこの演奏会はソロではなくアンサンブルである。全員で一つになって初めて良い演奏と言えるのではないか。
楽しそうな曲は楽しく、
カッコいい・感動的な曲は感情的に、
演奏したり歌ったり踊ったりする。
自分の感情を解き放つ。
これが生の醍醐味だと思う。CD音源や完成されたMVを観にきた訳ではない。
楽しみたいから観る、それに尽きる。
私の演奏以外の演奏も観てみた。小学校低学年と思われる人が演奏する様はそれだけでかわいかったり、10数年前なので、曲が懐かしいなと思ったり…。
そんな中でも一際目をひく演奏者…
Bさんがいた。
Bさんを含む少数のメンバーは、アンサンブル演奏会のトリを務めていた。年齢は私の1、2つ上だと思う。
トリを務めるだけあって、曲の難易度も他の出演者とはレベルが違った。確か曲調はジャズだったか。とにかく難しそうな印象を受けた。
だが私がBさんに魅了されたのは弾いている曲ではない。弾き様である。
何度も髪をかき上げながら、そして他の演奏者の方を向いて何度も笑いながらアイコンタクトをする様(しかも弾きながら!)に、私はAさん同様またも魅了されてしまった。
あまりにも印象に残ったので、演奏者の名前を調べてみた。
調べてみると、現在現役のピアニストとして活動されていた。
私は何だか納得した。
「そっか。音楽を楽しむのも一つの才能なのか」と、思った。練習を楽しめる人はそれだけで才能だと思う。
恐らくBさんは練習すらも心の底から楽しんでいたのだと。じゃないと芸術で食っていけない。
そう私には感じた。
こうも思う。
もしBさんが仏頂面の私に変わって演奏していたら…きっとAさんと楽しく演奏していただろうに、と。
Bさんからしてみれば私のパートは難易度的に簡単過ぎて演奏するには勿体なさすぎる。でも私には楽しそうに弾くBさんの姿が容易に想像できてしまうのだ。
思うに、
何を演奏するかではなく、どう演奏するかの方が重要である、と。今更ながらそれに気付かされた。
現在の私は音楽をやめている。
その代わり、物書きとして生きていけたらな…と思いながらこのような文章を書いている。
一つだけ、分かったことがある。
それは
『楽しそうな人は何をやっても楽しく感じる。つまらない人は何をやってもつまらない。』
楽しそうな人は、自然と人が寄っていく。一方で、つまらない人に人は寄り付かない。
ノリノリで演奏していたAさん。
仏頂面で演奏していた過去の私。
同じ曲を楽しい感情を持って演奏しているのに、第三者が見たいと思うのは圧倒的にAさんだろう。
理由は簡単
Aさん楽しそうだから。
私はつまらないから。
私は今、つまらない人間である。
それは芸術と私との間に一線を引いていたからだ。
「楽しんでいる私を観てそれを他人に馬鹿にされたらどうしよう」
そのような一線を引いていた。それはELRフェス2024を観るまで、心の奥底で抱き続けてきた一線だと思う。
その一線のせいで、私はつまらない芸術(音楽・物書き)ばかりを産み出してしまった。
それどころか、自発的に楽しく芸術活動する人間を言わないだけで見下していたのだ。
違う。
そんな態度では私の芸術で第三者が楽しめるはずがない。
私自身が芸術とゼロ距離で楽しんでこそ、初めて第三者の人間を楽しませる事ができるのではないかと。Aさん、そしてBさんはまさにゼロ距離だった。
ゼロ距離で楽しんでいる様を馬鹿にする奴は好きにしとけば良い。楽しんでくれるファンを楽しませればいい。
とはいえ、すぐに楽しい人間になるのは難しいと感じる。
だからまずは、楽しそうに芸術活動をしている芸術家を尊敬するところから始めよう。
そして私は芸術に対して、純粋な気持ちで向き合おう。音楽を習い始めたいと自ら言った幼稚園児の頃を思い出して。あの頃は音楽が楽しかったはずだから。
その頃をもう一度思い出そう。
義務感で音楽をやってきた過去の自分は、これからの私を観て嗤うはずだ。
だったら楽しむ様を観せてやれば良い。
君は、やがて間違いに気づくのだから。
こうして意識を変えたのは良いが、
今はまだつまらない人間である。何をやってもつまらない。
だが私は、自分の面白さを信じている。性格は大分捻くれてはいるが、そこは引き下がる訳にはいかない。
小難しいことを考えているのは、常識を疑っているから。無意識のうちに従っている社会のルールは本当に正しいのか、逆に見過ごされている物事に面白さはないのか…
そんな事を日々悶々と考えています。
やはりつまらないなぁ…。
いや、それでも!
私の面白さは自分が心の底から大切だと思う人に影響されたものだから、自信を持ちたい。自信を持たないとその人の面白さを否定する事にもなるから。
それだけは絶対に避けたい。
だからこそ自分の面白さを信じて、純粋な気持ちで楽しみながら物書き等の創作活動に取り組みたいなと思います。
…ちょっと人より過去に囚われすぎですが、まあいいや。私はそういう人間なのです。
さて、ELRフェス2024の話に戻ると
正直、カリスマが終わってからトリを務めたももクロまでの間の記憶があんまりない。
無意識のうちに緊張していて、そしてふっと緊張が解けた後は、まるで自分の演奏が終わった時のように時がすーっと流れていく感覚でした。
観客として観たライブで緊張した事なんてなかったので、初めての感覚。
そういえば、どこかの誰かがイヤホンズと自称していましたが、私もそうだったのかもしれません(苦笑)。
私自身、三回目のアンサンブル演奏会の演奏順は三曲目だったので、
イヤホンズの気持ちは少しは理解できる気がします(ホント何様なのか)。
注意事項が終わり、前奏者が会場を盛り上げる。もうね、真っ暗な待機場所で心臓バクバク、緊張しますよ。
最後に
ももいろクローバーZさんは神様です。
パフォーマンスは言うまでもありません。
そしてとても謙虚だと感じました。
どのアーティストよりも、お辞儀が長く、そして深い。ライブが押していても関係なく。
長くて深いお辞儀が、特に印象的でした。
そのような謙虚さが多くの音楽関係者やファンに好印象を与えるのでしょう。実際に私も好きになりましたし。
末長く応援したいなと思います。
ちなみに、ももクロの玉井詩織さんはカッコいいなと思いました。
おしまい。