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一瞬の感情・意志のジレンマ


感情や意志は我々の内面において常に変化し、深く根ざしているものである。だが、それらが「一瞬のうちに成立し得るか」という問いは、一見簡単なようで非常に複雑な問題を孕んでいる。

この問いを「一瞬の感情・意志のジレンマ」として捉えると、我々は感情や意志の本質と、それらが成立する条件について考察する必要に迫られる。
このジレンマは、感情や意志が「持続性を伴うもの」であるという前提と、「一瞬の短い時間でも成立し得るかもしれない」という直感的な認識の間で生じる葛藤を含んでいる。

感情の成立条件としての時間的持続

 感情は一般に一定の持続性をもって我々の意識に現れるものであるとされる。
 しかし、スポーツ観戦中に選手が得点した瞬間の喜びが、次の瞬間に選手の怪我を見て悲しみに変わる場面を想像すると、感情が極めて短い時間で変化する場合があることが分かる。だが、果たしてこの「一瞬の喜び」と「一瞬の悲しみ」が、本当に「感情」として成立しているのだろうか。感情が成立するためにはある程度の持続が必要であると考えるならば、極めて短い時間で移り変わる感情は、その本質において「感情」としての認識を伴うものとは言い難いのかもしれない。このジレンマは、「感情とは瞬間的にも成立し得る」という直感と、「感情は持続的であるべきだ」という考えの間で生じる葛藤を顕著に示している。

意志の成立条件とその曖昧さ

 感情と同様に、意志もまた一定の持続を伴うものとされるが、果たして「一瞬の意志」も成立し得るのかという問いが生じる。

 たとえば、Aさんがスマホを見ながら「明日〇〇に行こうかな」と一瞬思ったが、その直後に家族から話しかけられ、忙しさの中でその意志を忘れ去るケースを考えてみよう。その意志は、短時間のうちに意識から消え去り、その存在が薄れてしまったが、後にふと思い出されることで「一瞬だけ存在していた意志」として認識される。この例が示すのは、意志の成立条件が時間的な持続に依存せず、時に瞬間的なものとして捉えられる場合もあるということである。このように、一瞬であっても意志が存在し得るとするならば、「意志は持続的でなければ成立し得ない」という考えが揺らぐのである。

無意識における意志の発生とその認識


 一瞬の意志が成立する可能性について考察する際には、無意識の働きも重要な要素となる。人間は夢の中で、意識が薄れている中で意志を持つことがあるが、この意志は意識的なものであるとは限らない。無意識において一瞬の意志が発生し、後に意識に浮かび上がった場合、果たしてそれは意志として成立していたのだろうか。夢の中での意志が明晰でないとすれば、無意識に発生した意志もまた、意識的なものとして扱うことはできないかもしれない。このように、無意識における一瞬の意志の存在は、意志が本質的に意識に依存しているかどうかを問い直す契機となる。

解決の試み:記憶と認識による一瞬の意志の正当化

 このジレンマを解決する一つの手がかりとして、記憶と認識の役割に着目することが挙げられる。たとえば、Aさんが「明日〇〇に行こう」と一瞬考えた意志が、日常の忙しさの中で忘れ去られたとしても、後にふとした瞬間に「一瞬だけ存在していた意志」として認識される場合がある。この場合、意志が短時間で消え去ってしまったとしても、記憶の中で「一瞬の意志」として認められることになる。この視点においては、意志が持続していなかったかどうかは問題ではなく、その意志が記憶として後に浮かび上がることで、存在していたとみなされるのである。こうして、記憶の働きによって「一瞬の意志」が成立し得ると考えることができる。

結論

「一瞬の感情・意志のジレンマ」は、感情や意志の成立条件に対する我々の認識の曖昧さを明らかにするものである。感情や意志が成立するためには一定の持続が必要であると考えながらも、それが瞬間的である場合でも存在し得るかもしれないという矛盾に直面する。このジレンマの解決策は、感情や意志を単なる持続的な現象としてではなく、記憶や無意識の働きを含む広範な認識の一部として捉えることである。したがって、このジレンマに対する理解は、意識と無意識、持続と瞬間性の間で生じる微妙な境界に立脚していると言えるだろう。


この思想は今の私の思想ではないのだが、一応供養しておく。

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