見出し画像

後悔のない死へ。

「どんな人生を過ごしたいのか」を決めるためには、「どんな死を迎えたいか」を明確である必要があった。それが私にとって「後悔なく死を迎えたい」であった。


人生に対する責任

「あなたの人生なんだから、あなたが決めなさい」と言われて育ってきた。「勉強をしなさい」とも言われたことはないし、「高校も行きたくないなら行かなくていい」と言われてきた。

そして両親はその言葉の後に「親が言ったことに従って、親のせいにされても困るからね。」とも続ける。つまりその言葉の裏には「人生に対する責任」があった。

そんな私にとって人生とは、自ら切り開き、自ら責任を取っていかなければならないものだった。それはもちろん良い側面もあったが、とても苦しい側面もあった。そんな私を小学生の時から支えてくれたのは「終わりなき旅/Mr.Children」だった。

そして私は小学生の高学年頃から、漠然とではあるが自分の人生や将来のことを考えるようになった。私たち世代は気候変動や少子高齢化の問題などの諸問題と向き合わなければならないこと。そして終身雇用や年功序列などが崩壊し、これまでの生き方や働き方では通用しなくなること。

そして高校・大学へと進学し、実際に自分の人生の方向性を決めなければならないタイミングが訪れた。

どのように死を迎えたいのか

そこで私は始めて真剣に人生の終わりについて考えた。「どんな人生を過ごしたいのか」を決めるには、「どのように死を迎えたいのか」を考えなければならなかった。

そして私は自分の奥底に強い願望が宿っていることを知った。それが「後悔なく死にたい」であった。息を引き取るその瞬間に「満足だった」と最後を迎えたい。後悔だけはしたくない。

それが私の人生の指針であった。

では、どんな人生であれば後悔なく死ねるのか。それは私にとって「どんな課題解決に取り組むのか」にあった。

私は人生とはバトンの渡し合いだと思っている。これまで先人たちが様々な課題を解決し、そのバトンを引き継いできてくれたからこそ、今の人類文明があり、私たちはこれだけの恩恵を受けることが出来ている。

つまり私が、私たち世代が、どんな課題解決に取り組んで、次の世代に渡すことができるのか。それが私にとっての人生の意義であった。

では私は、私たち世代はどんな課題の解決に取り組む必要があるのか。

先述したように私たち世代は多くの社会問題を抱えているが、私はそれらの問題の本質はもっと深いところにあるような気がしてならなかった。

どの課題を解決してもモグラ叩きのような一時的な対処療法的にしか感じられず、この延長線上ではどの課題も根本的に解決できると思えなかった。

人間そのものが根本から変わる時

そんな時に出会ったのがノジェスさんであり、認識技術であった。

彼は今の時代を「天動説から地動説へのパラダイムシフト以上のパラダイムシフトが起こる時代」であると言った。

そしてそれは「"人間と人間の宇宙が実在する"という基準点から、"人間と人間の宇宙が実在しない"という基準点へのパラダイムシフトである」という。

そしてそれは「人間の"認識の変化"によって、"言語の変化"によって、"教育・学問の変化"によって起こる」という。

そしてこの問題は「全ての問題の根本原因であり、本来は"人間が最優先で解決しなければならない課題"」であが、これまでの人類はこの問題を発見して、解決することができなかった。ゆえに人類は未だに悩み、苦しみ、争い続けていると。

「社会は人間によって作られる。人間は教育によって作られる」。であるから、人間そのものが根本から変化することで、社会全体が根本から変化することができると。

私はこの話の内容もさることながら、それを語るノジェスさんのあり方にとても惹かれた。

これまで出会ってきた誰もよりも大きく深い世界を語っているにも関わらず、これまで出会ってきた誰よりもエゴを感じられず、彼がそこにいるようでいない。そんな不思議で奇妙な感覚を持った。

そして私はノジェスという人物と、彼がその問題の解決策として体系化した"認識技術"というものに興味を持ち、それを学び始めた。

世界を成り立たせる不変の法則

そしてその出会いは、私の人生を大きく決定づけた。

その教育コンテンツに触れることで、彼の語っていた内容がただの抽象論・理想論ではなく、とても具体的・現実的であることが分かった。

そこでは、これまで人類が生み出してきたあらゆる知識・概念・学問を融合させ、たったひとつのシンプルな原理によって全てを解き明かしていた。彼はこの世界の全てを成り立たせる不変の法則の数式化・言語化に成功し、それを教育体系化していた。

まるでニュートンが重力方程式によって、アインシュタインが相対性理論によって、この世界に対する理解方式・認識方式をガラッと変えてしまったように、それらの根底に宿っている全ての変化を司る1パターンの法則を発見し、それを共有可能にしていた。

それは「自分も自分の宇宙も無い所」から、どのように今ここの「自分と自分の目の前の世界が成り立っているのか」を一貫性を持って、とてもシンプルに理解可能にするものであった。

私はそれによって始めて、私も人類も「何も知らずに生きてきた」ことが分かった。

私たちは知らないだけだった

私はそれを知ることで、大きな変化を得た。

先述したように私にとって人生とは、自ら切り開き、自ら責任を取っていかなければならないものであった。それは例えれば、光のない暗闇の洞窟の中を必死にもがくようなものだった。

根底に不安と孤独が常に付きまとい、強いプレッシャーに晒され、それを周りに見せないように必死だった。

しかしそれらが認識技術によって、自分も自分の宇宙も無い所から今ここを認識できるようになることで、解消されてしまった。

それらの問題は自分のせいでもなく、誰かのせいでもなく、社会のせいでもない。ただ知らないことによって生まれた問題でしかなかった。私たち人類は放たれた弓矢のように、どこから来て、どこに行くのかも知らないままに、生きてきたのだった。

そしてそれはプラトンの洞窟の比喩のように、洞窟の外に出て、そこから今ここを認識できるようになること・知ることだけだった。

人生とはこんなにも力を抜いて生きていいものだったのか。世界はこんなに広かったのか。人生とはこんなにも楽しいものであったのか。人生で始めて、そんなことを心から想うことが出来た。

誰もが全てを分かって生きる時代

私たち人類は、人間として生きている。自分を生きている。現実を生きている。考えて生きている。

しかしよくよく考えてみて欲しい。人間とは何であろうか。自分とは何であろうか。現実とは何であろうか。考えとは何であろうか。生きるとは何であろうか。

私たちはそれをよく知らない。

そしてそれらに対する答えを得るために、宗教や哲学、学問が発達してきた。しかし未だにそれらは全人類の共通土台になるような真の答えを導き出せていない。

人工知能の進化によって、人間の存在意義が問われている現代社会において、全人類が共有可能な答えが必要不可欠であることは間違いない。

そして私は「誰もが全てを分かって生きる時代」が到来することを確信し、今回の人生で向き合うべき課題が決まった。

私たち世代の責任

私たち世代は、どんな課題解決に取り組んで、次の世代にバトンを渡さなければならないのだろうか。

気候変動、少子高齢化、心の問題、戦争・紛争、AIの問題…など、解決しなければならない課題は山積みだ。そしてそれらの問題は複雑に絡み合っており、簡単に解決できるものでもない。

グローバル化・IT化によって全世界がつながったいま、これらの問題は全世界が協力しあってこれらの課題解決に望まなければならない。しかし未だに人類は争い続けている。なぜなのか。

それは「共有土台の不在」によって起こっている。

国家、民族、宗教、イデオロギー、人種…私たち人類は様々な違いを持ち、それによって争い続けている。つまり全人類がひとつになって協力し合うためには、これらの概念を包括するより深い、それら全てを疎通可能にする概念が必要だ。

それによって始めて人類は、ひとつの共同体となり、人類全体が抱える課題解決に取り組むことが出来る。そんな全ての概念・知識・学問を疎通可能にする「世界基軸教育」こそ、今の時代に最も必要である。

教育が変わることで人間が変わる。人間が変わることで社会が変わる。

そんな一番根底からの変化によって、全く新たな人類文明を誕生させることこそ、私たち世代の責任であると思っている。

私はそのために今は認識技術の講師として、その全く新しい概念を多くの人たちに共有している。そんな概念・変化・生き方を多くの方々と共有し、共にこれからの時代を作っていきたい。

いいなと思ったら応援しよう!