哲学はなぜ必要なのか。

最近よく「哲学が必要な時代」という声が多く聞こえるようになってきた気がします。

その主な要因としてIT技術の発展によって、自動化が進み、そんな中で「人間は何をやるべきなのか」という問題意識が高まり、そんな中で哲学にフォーカスが当てられているのだと思います。

では、そもそも哲学とは何なんでしょうか。

実は明確に統一された定義はなく、しかも時代の変遷とともに使われ方も変わってきている状態ですので、多くの人が「哲学って結局何を勉強するの?」と感じてしまうと思います。

調べればきりがないですね。そんな中で上記記事で苫野 一徳さんがおっしゃってることが哲学への誤解も解きながら、哲学のイメージを共有する分かりやすい表現だと感じました。

よく、哲学は答えのない問題をただぐるぐる考えているだけだと言われることがある。でもそれはただの誤りだ。すぐれた哲学者たちは、前の時代の哲学者たちの思考を受け継ぎ、そしてそれを確実に推し進め深めてきたのだ。
 答えのない問題を考えることこそが哲学だ、ともよく言われる。でも、それもやっぱり誤りだ。少なくとも、それは哲学の半分しか言い当てていない。
 残り半分の、もっと大事な哲学の本質がある。
 それは、その問題をとことん考え、そしてちゃんと“答え抜く”ことだ。
 何度も言うように、それは決して絶対の正解なんかじゃない。でも、それでもなお、哲学は、できるだけだれもが納得できるような“共通了解”を見出そうと探究をつづけてきたのだ。

 この連載は、そんな哲学の、いわば“奥義”とも言うべき思考法をお伝えするものだ。
 どうすれば物事の本質を見抜くことができるのか? 絶対の正解のない問題に、なおだれもが納得できる“答え”を、どうすれば見つけ出していくことができるのか?
 その考え方の奥義を、これから存分に論じていくことにしたいと思う。

哲学は一般的に「答えのない問題を考える事」と思いやすいと思いますし、私も実際にそのように考えていた時期もありました。しかしよくよく考えてみると「答えのない問題」とは何で、「答えの出る問題」とは何のでしょうか。

ソクラテスはまずは自分の無知を自覚したところから考えを出発しなさいと言いました。それこそ賢者であると。

イヌマエル・カントは、まず答えを探求する前に人間の理性の限界を鮮明にさせ、哲学を行う上での共通土台を構築しました。考えるべき問いと考えるべきでない問いとは何か、その境界線はどこからどのように引かれるのか。

これからの時代は答えがない時代であり、答えが移り変わり続ける時代に突入します。そんな時代に必要な事は、その状況全体を洞察し、答え・方向性を自ら出し続けることが出来る力だと思います。それは自分の人生の舵取りをする力であり、時代という荒波を洞察する力です。

私はその力こそが本来人間に備わっており、そして人間が最も養うべき力であり、人間が生きるという事ではないだろうかと思います。

自分とは、人間とは、現実とは、社会とは、生きるとは…

産業革命が起こり便利になりすぎてしまったがゆえに、人間としての本来の生き方を見失てしまっている現代社会。だからこそ多くの困難と出会い、それを突破することで人間本来の可能性を開花させることが出来るのだと感じます。

私はそんな可能性を開花させる力が、哲学にはあると思うのです。

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