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周りから排除される恐怖とどう向き合うのか。

日本特有のものなのか、人間という存在がそういうものなのかは定かではないですが、私はいつも集団から排除される恐怖心と戦ってきた気がします。

それは家族に始まり、親戚、近所、小学校、中学校、高校、大学、クラスメート、部活、友人、・・・。

この恐怖心をとても明確に整理してくれているのがミシェル・フーコーの「視線の内面化」です。

看守が実際には存在しないにも関わらず、常に誰かに見られているという意識が内在化され、嫌でも規律を守り服従せざる負えなくなるシステム・パノプティコン。

パノプティコンは権力を自動的なものにし、権力を没個人化する

「誰かに見られているかもしれない」
「誰かにこう思われているかもしれない」

このように他人の視線を自分の内側に作ることを「視線の内在化」と呼んでいます。

そして他人の視線が自分の精神に移植されれば、自分の行う全ての行動に自動的にブレーキがかかってしまい、それがずっと続けば自分の中に埋め込まれた他人の視線と自分の視線が同質化してしまい、やがて自分が持つ純粋な眼差しが消滅してしまいます。

つまりパノプティコンは、人間の内面に他人の視線を移植する装置であるとも言えるのです。

まさに私は、そんな自分が持つ純粋な眼差しが消滅してしまった人間でもありました。

「みんなが不快に思わないだろうか」
「みんなに嫌われないだろうか」
「みんなに攻撃されないだろうか」

事実確認は一切しないままに、自らの内側に架空の「みんなの視線」を構築し、その視線の基準に沿ってこうどうすることを、自ら強いていました。そしてそこに背けば、集団から排除され、孤立し、罰を受けるものだと思っていました。

それは家庭で言えば躾でしょうし、地域で言えば村八分のようなもの。学校で言えば先生からの吊し上げですし、同級生からはいじめという形のイメージです。

そして一度そのポジションに落ちてしまえば、そこから抜け出すことはとても困難であり、ほぼ不可能に近いように感じていました。

そこでまだ自身の純粋な眼差しが育っており、自ら考える力があれば違ったのかもしれませんが、私の場合はそれが育つ前段階から他人の視線を重要視してしまう状況にもありましたので、それはより強固であった気がします。

ですから私の生きる基準・生きる目的は「他人の視線から外れずに、いかにその中で問題なく過ごすことが出来るのか」でしかありませんでした。ですので自身の視線はほとんどと言っていいほどありませんでしたし、他人の目線と異なる自分の視線は徹底して排除するようになりました。

なぜならその、他人の視線と異なってしまう自分の視線こそが、自分が酷い目に合ってしまう・不幸になってしまう最大の原因だと整理していたからです。

このように私は「いかに他人の視線と一致して生きることが出来るのか」を追求しながら生きてきました。

それで何とか自身の感情を押し殺して、ストレスを抱えながら、なんとか大学まで進学し、いざ社会へ進出し、これまで通り他人の視線に沿いながら、問題なく過ごしていこうとしていました。

しかし少しづつ社会人という生き方を見ていった時に、これまでの延長線上では進むことの出来ない壁にぶち当たってしまいました。

まず1つ目に、社会が持っている視線が私が想像していた以上に厳しかったということでした。

私はそれまでの学生生活で、勉強・スポーツ・・・など何とかそこそこの状態で通過することが出来ました。そして他人との調和も、環境に恵まれてきたこともあり、何とか乗り切ることが出来ました。

しかしいざ社会を見てみるれば、まず何よりも「成果第一主義」であり、そこに沿っているかどうかだけが、その人間が容認されるかどうかの基準点・視線であると痛感しました。

別の表現をすれば、想像していた以上に寛容さがなく、学生生活ですらぎりぎり調和を保ってきた私にとって、その幅がより狭く細く厳しくなる環境に飛び込むことはこれまで以上に辛く厳しい道程が待っていることが容易に想像できました。

そしてこれまで以上に簡単に切り捨てられてしまう環境で正気を保っていられるのか自信がありませんでした。

そして2つ目は、社会そのものの不安定さを感じたことでした。

もし私が社会に飛び込み、そこに基準に沿うことが出来ず、そこからドロップ・アウトしてしまったとしても、社会全体のバックアップシステムが安定であり、安心できるものであれば私は社会に入ることに抵抗値もなかった気がします。

一度レールから外れてしまっても、安心して暮らせる。いつでも自身の安定の道を取り戻すことが出来る。そんな安心感です。

しかし私は社会にはそんな余裕はないように感じました。

そもそも現在、安定・最先端・優秀と言われているような人たちですら、生き残ることが出来るか分からないような状況であり、そもそも日本という国家そのものも安定して運営できていない状況であり、そもそも私たちが暮らす社会という基盤ですら、そこまで安定を保っていけるのか不明瞭な状況であるように感じました。

しかも将来起こりうる可能性のある社会秩序の不安定に本気で取り組み、その改善を志す人も一切見えず、そこに対する希望を感じることは出来ませんでした。

みな、思い思いの行動をするだけで、そこに一致団結して勝算のある全体プランを構築し、そこに全体を向かうようにリーダーシップを発揮し、そこに取り組もうとする人もいませんでした。

私は現代社会はそのように一人ひとりが思い思いの行動をしているだけで、乗り切れるほど甘いものではないように感じていました。もちろんやらないよりはマシだと思いますが、それらの行動は砂漠の砂を一粒一粒拾いながら砂漠化を食い止めようとしているだけのように感じました。

大きくはそんな2つの要因が重なり、私はこれまで自身が行ってきた「他人の視線」を基準として生きることの限界を大きく痛感することとなりました。その基準のまま生きることは、沈没することがわかっている船にわざわざ自ら搭乗するようなものでした。

そんな状況に追い込まれ様々な葛藤もあり、これまでの「他人の視線」を基準とした生き方ではなく、何か違った基準を自らの内に設定する必要性を痛感し、大学を休学し、その「何か」を探し始めました。

休学自体もこれまでの私の基準点からすればとても勇気のいることでしたが、周りの方々の支えもあり何とか選択することが出来ました。

そして海外への滞在を始め、たくさんの本を読み、たくさんの人に聞いて周り、何とかその新しい基準を構築したく、探して、探して、探し回りました。

ただ様々なことを知れば知るほどその答えを見つけることは不可能に近いようにも感じましたが、そんな時に令和哲学者のノジェスさんと出会い、全く新たな視線から全体像が整理され、これまで知りたくて知りたくて知りたくて探し続けた内容を得ることが出来ました。

「どうすれば他人の視線から自由になることができるのか」
「どうすれば自分の視線を手に入れることができるのか」
「どうすれば自分と他人の視線を調和させながら、All-win可能な意思決定ができるのか」

そして私はやっと他人の視線から開放され、自分の視線の育て方を理解することが出来ました。そして

なんで自分がこのようになってしまったのか。
なんで社会がこのようになってしまったのか。
なんで人たちがこのようになってしまったのか。

ということをやーっと理解することが出来、今の時代に取り組まなければならないことが鮮明に理解できるようになりました。

今は時代の過渡期です。イギリスを起因とした大量生産大量消費の社会モデルが限界を迎えてしまい、この影響で多くの人たちの心が悲鳴を上げてしまっており、その最たるものが日本の若者自殺率の異様な高さであると思います。

若者は未来に希望がなければ生きることが出来ません。今の社会モデルの延長線上には希望がないことを多くの若者が自分の命と引換えに切に訴えているように感じてなりません。

それは全世界で起こっており、2017年時点で世界のうつ病患者は3億人を超えています。私はこれらはやはり現代の社会システムが、現代人にマッチしていない証であると思います。

だから私たちは社会システムそのものを変化させなければならないと思います。現代社会を構築している土台のプレートそのものを変えなければならないと思っています。

それはシンギュラリティによって科学の終焉が叫ばれているのであれば、科学の次の何かが必要であることを意味していると思います。

そしてそれは哲学であり、心であり、精神であり、人間の内面であり、意識であると確信しています。

認識対象を開発するのが科学であれば、認識主体を開発する時代へ突入しなければ、人類はもう物質的な豊かさだけでは生きていくことが不可能になってしまっているように感じます。

そして私はそんな新時代は世界で最も希望がない国とも言われるこの日本から始めると思っています。

全ての変革は絶望から始まります。現在の延長線上に希望がまったくないからこそ、全く異なる次元から始めることが可能になります。

私はそんな全く新しい共同体モデルをこの日本から構築していきたいと思っていますし、それは私たち世代がそんなビジョンに向かって一致団結することで可能であると思っています。

より生きやすく、住みやすく、豊かさを享受できる未来をこれからの世代に残していくために。

一人でも多くの方とこの未来を構築していきたいと思っています。

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