『哲学とは』"知のインフラ"整備事業
京都大学の出口康夫教授のインタビュー記事で書かれている哲学に対する言及がとても分かりやすかったです。
哲学とは「人間が作った概念」
出口教授はその質問に対して、知的な公共事業と答えるようにしているそうです。
例えば、人権や正義という言葉がありますね。現在では、人権は守らなければいけないという考えが社会に広く共有されています。では、人権という言葉が昔からあったかというと、そうではありません。誰かが思いついて、言葉を与えて、様々な内実を与えて、なぜ守らなければいけないかという理屈を考えてきた。要するに、これは自然物ではなく、あくまで人間がつくってきた一定の「ものの考え方」で、言い換えると「概念」なんです。
ハラリ教授の「虚構」の概念とも近い気がします。
知のインフラ整備事業
ここの文章がとてもイメージしやすく、哲学がいかに社会の発展に寄与してきたのかが伺えます。
僕たちは、社会生活を営む際に、いろいろな概念を共有することで、社会の仕組みをつくっています。このように、社会活動に組み込まれている概念をつくり、伝え、新しい意味を与え、現代に適したかたちに組み替えていく……。これが哲学のひとつの役割だと思います。そのことで、社会を支え、よりよいものに変革していくのです。だから、哲学は「知的な公共事業」だと考えています。別の言い方をすると「知のインフラ」整備事業。
いまでは人権なんて当たり前の言葉ですね。でも、昔はそもそも人権という考え自体がなく、いまよりもひどい人権侵害がまかり通っていた。人権という概念が社会で広く共有されているからこそ、ある程度人権が守られているという側面がある。
そうした意味で、哲学が扱う概念は水道の水に似ています。蛇口を捻れば水が出てくることは、すごいこととは思わないし、目新しいものではないかもしれない。けれどもそれがないと、僕たちの日常生活は、一日として成り立たない。水道やガスは、目に見えるインフラですが、哲学が扱うのは、社会を支える概念装置という、目には見えないインフラです。
現在、哲学には、私的な問題意識を前面に出した「わたし探し」のようなイメージもつきまとっています。でも哲学は、知的な共同作業によって社会基盤としてのインフラを支え、よりよいものに変革していくという、見逃しがちだけれど重要な役割も担っているのです。
ものの考え方の共有
そして更に人類のチームプレーへの貢献についても言及されています。
知的公共事業としての哲学がないと人類は生き残れません。人類の身体能力はたかが知れています。するどい牙も爪もないし、取り立てて足が速いわけでもない。では、どうやって生き残ってきたかというと、言葉を用いて複雑な概念を共有し、チームワークで狩りをしてきたからです。「ものの考え方の共有」は、人類にとって決定的に重要なサバイバルの戦略。それを学問として、高度に組織的・専門的に押し進めているのが哲学なのです。概念装置の洗練と共有という、広い意味での哲学的活動がなければ人類は生き残れないと、僕は考えています。
専門性を超えた大局観の提供する
そして更に哲学は専門を超えた「見通しのよさ」を提供する役割も担っているといいます。この辺りはノジェスさんが完全学問を提案している価値ともすごく繋がりますね。
哲学は、学問の専門分化が進むなかで、社会に対して、専門を超えた「見通しのよさ」を提供するという役割も担っています。例えば、現代では、物理学はさまざまな分野に分かれています。各分野の専門家は、自分の専門のことで手一杯で、なかなか他の分野まで手がまわらないのが実情です。ましてや、遠くはなれた人文系の学問のことについて、まとまった知識を持つことは困難。結果として、専門家は、個々の分野を超えた大局観を持てなくなります。しかし、僕たちは日々の暮らしを送るなかで、ないしは社会のあり方を考えるなかで、大局観を持った選択をしなければならない場面に必ず出くわします。
哲学は、飛び離れた複数の学問の分野に目を配り、見通しのよさを確保する「領域横断的な知」という側面を、本来持っています。このような領域横断知としての真価を発揮して、選択を迫られている個々人や社会に、見通しのよい大局観を提供することも、哲学が果たすべき重要な役割です。
哲学は、抽象的な学問です。日常生活において、「抽象的」という言葉は、しばしばネガティブな意味合いを込めて使われがちです。でも、抽象的であるとは、広い適応範囲を持っているということを意味します。逆に言えば、抽象的なレベルで考えることで、僕たちは、目先の事実にこだわることなく、広い視野で物事を考えることができるのです。具体的な事柄についての知識をしっかり持った上で、抽象の領域に飛んで、見通しのよい絵を描く。それが哲学知のひとつのあり方なのです。
いやー分かりやすい。
今の時代に必要な哲学とは
ここまでを通して哲学の用途を整理すると、「”概念”を道具に問題を解決する」ことだと感じました。
では今の時代は、どんな概念によって、どんな問題を解決する必要があるでしょうか。
コロナパンデミックに始まり、地球温暖化、人工知能、超格差社会、デジタル独裁主義、情報過剰、シンギュラリティ…
現代社会は科学の力によって多くの問題を解決したと同時に、更に多くの問題を生み出してきました。情報技術の発展により、人類は初めて自分たち以上の知能を持つ存在と出会う可能性まで示唆され、自分たちの拠り所である地球すらも自分たちの手で破壊しかねない状況にまで来ています。
こんな状況に対して私は、今までの延長線上では解決は不可能だと思っています。つまり天動説から地動説に移行したように、神の概念が中心だったところから力の概念へ移行したように、大きなパラダイムシフトが必要だと思っています。
それが私はこれまで哲学の先人たちが、指し示した究極の答えを一部の人間だけではなく、誰もが共有できるようにすることだと思っています。
ソクラテスの無知の知、プラトンのイデア、アリストテレスの不動の動者、カントのもの自体、ニーチェの力への意志…
そうすることで出口教授がおっしゃるように、誰もが大局観を獲得し、広い視野で物事を洞察し、よりよい選択をし続けることが可能になると思います。
今私たちに必要なことは、目先だけに囚われることではなく、広く深く高く物事を思案できる概念だと思います。
これまで人類は目先のことばかりを優先し、結果的に自分たちに不利益になる選択ばかりをしてきてしまいました。だからいま私たちは多くの危機的状況に出会っています。
そんな中で究極の答えを誰もが獲得し、誰もが大局観を持つことが出来る、そんな哲学が必要だと思います。
私はそれが令和哲学者のノジェスさんであり、彼が26年前に発見した0=∞=1であり、26年かけて体系化した日本発の哲学・令和哲学であり、認識技術であり、完全学問であると確信しています。
ぜひ一人でも多くの人がこの概念に出会い、現在出会っている多くの問題を解決する一助になれたら嬉しいです。
↓ノジェスが体系化した完全学問の紹介動画
↓ノジェスさんの紹介動画