見出し画像

#18日目:32小節の人生

「エリック・クラプトン~12小節の人生~」を観た。本国:イギリスでは先立って2017年に公開されていたが、日本での公開予定がなかなか決まらずヤキモキしながらも1年遅れてようやく日本でも公開されることになり、とても楽しみにしていた。

クラプトン自身が、生い立ちから現在に至るまでの波乱万丈の人生をアーカイブ映像や写真・関係者の言葉とともに語るということで、劇場内にはクラプトンの音楽をリアルタイムで体感してきたブルーズ・ファンのおじさんやギター(ミュージック)・フリークと思しきあんちゃんで満員御礼だった。

大まかなあらすじはクラプトンの自伝を読んでいたので観る前から分かっていたし、真新しい衝撃的な事実のようなものは無かった。ただ、アンプラグドでのグラミー受賞については(プレゼンターのJB&ボニー・レイットの心から祝福している表情も相まって)繰り返しDVDで観てきたはずの演奏シーンからあらためて前向きなフィーリングと、明確なアティチュードをスクリーンから感じることができたのは驚きだった。

ブルーズを知らないままにギターを手にして、ロックンロールや他のポピュラー音楽をやるなんて馬鹿げてる

これはキース・リチャーズの言葉だが、クラプトンは(ロックンロールやポピュラー音楽との橋渡しなんて見向きもせずに)骨の髄までブルーズを探求し続けている。最新作のクリスマス・アルバムだってそうだ。ロバート・ジョンソンをはじめとする偉大な先人達や、ジミ・ヘンドリックスのような同じ時代で世界を変えてしまった同志の魂を背負い、いつまでもブルーズを感じるためにギターを弾いている。
※その血脈がデレク・トラックスやジョン・メイヤー、ゲイリー・クラークJr.をはじめとした面々によってアイデンティファイされながらも、現代でも受け継がれているのは大変素晴らしいことだと思う。

閑話休題。

ちょうどこの映画を観終わった頃に、今回のアドベントカレンダーのお誘いをいただき、鑑賞後に内に灯ったこの感情・この体験と同じ読後感を持つ一冊について書こうと思った。以下は(企画趣旨にそぐわないが)誰かに薦める意図は特になく、あくまで自身の記録として残す。

<内容紹介>
和田誠が描くミュージシャンの肖像に、村上春樹がエッセイを添えたジャズ名鑑。ともに十代でジャズに出会い、数多くの名演奏を聴きこんできた二人が選びに選んだのは、マニアを唸らせ、入門者を暖かく迎えるよりすぐりのラインアップ。著者(村上)が所蔵するLPジャケットの貴重な写真も満載! 単行本二冊を収録し、あらたにボーナス・トラック三篇を加えた増補決定版。

私は21歳で新卒入社した会社を早々に辞めてしまい、1年近く片手間にアルバイトをしながら「これからどうしようかなぁ」とぼんやり考えながら、毎日実家から車で30分かけて小さな図書館に通っていた。これまで読書なんてこれっぽっちもしてこなかったのに(してこなかったから?)、それを機に読書にのめりこむようになり、無職であることの不安を棚に上げながらも、とにかく大量の物語を浴びるように読んだ。

有名大学や大手企業で頑張る同級生の存在を気にしながらも、ほとんど誰とも会うことなく過ごしていた当時の自分に、村上春樹の小説はニック・ドレイクやエリオット・スミス、ジェフ・バックリィのアルバムをじっくり聴き終えたような感覚を与えてくれた。僕と鼠。カティ・サークにサンドイッチ。井戸に素敵な女の子。その文体は時にヴァン・モリソンにも、トム・ウェイツにも、スガシカオにだってなった。音楽鑑賞と同じ感覚で頁をめくることが出来るのは当時も今も村上春樹だけ。J・アーヴィングもP・オースターもカズオ・イシグロも、他の大好きな作家であってもこの感覚は得られない。共感が得られるかは分からないのだけれど。

そんな毎日の中でも相も変わらずロックやブルーズを聴いてばかりの当時の自分には、ジャズは難しく退屈な音楽だった。誰かに薦められるがままにキース・ジャレットを聴いても、神様:クラプトンが飛ぶ鳥を落とす勢いのウィントン・マルサリスと共演してもその気持ちは変わることはなかった。

そんな一介のギターミュージック・ファンでしかない私に、ひと回り年齢が上の同僚が貸してくれたビル・エヴァンス「サンデー・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」「ワルツ・フォー・デビー」そして「ポートレート・イン・ジャズ」が自分にとって初めてといえるジャズ体験になった。演奏に込められた一音一音がそこにある苦悩を浄化しながらも、内面にしっかりとした体温を感じることができた。それはアンプを通して聞こえてくるファズやディストーションのかかったEやAのギター・リフとは全く性質の異なるものだった。

「(書籍の方の)ポートレート・イン・ジャズ」に話を戻すと、何度この本を読んでも、ここに書かれているミュージシャンやその音楽を、よくぞまぁここまで文章で表現できるものだと驚いてしまうし、事実、自分はここに書かれている通りの感情で音楽を聞いていたことに驚いてしまう。(と、同著のイラストを描かれた和田誠もあとがきにそのまま書いていた)

ベイカーの作り出す音楽には、この人の音色とフレーズでなくては伝えることのできない胸の疼きがあり、心象風景があった。彼はそれをごく自然に空気として吸い込み、息吹として外に吐き出していくことができた。

今回も記事を書くにあたって再読した中で、上記引用したチェット・ベイカー、セロニアス・モンク、ビル・エヴァンス、リー・モーガン…他にも多くのミュージシャンについての文章は(ギター・ミュージックほどの大層なものではない)自分のジャズ遍歴と相まって新しい発見や多くの共感があった。この本にはジャズという音楽に対する深い造詣に根ざしたリスペクトや愛情がある。

冒頭に紹介した映画のラストシーン:クロスロード・ギター・フェスティバルでB.B.キングがクラプトンへ贈った言葉がある。ここで語られたキングの「遺言」は、その12小節のフォーマットにおいて革新を起こし、通じ合い、その歴史を創ってきた人間だけが通じ合える重さや熱、質量がある。そしてそれは、村上春樹の同著においても同様のものが感じられる。

May I live forever.
But may you live forever and a day. 

今回の映画鑑賞や再読を通して、10-20代の頃とは異なる幾つかの感情を自覚することができたのは、自分自身がブルーズやジャズという音楽に対する理解が進んだこともあるだろうし、あるいは結婚して娘ができたことや、仕事を通じて形成されている価値観に依るところもあると思う。何度読んでも、観ても、聞いても、心が揺さぶられているあたり、大切にしているものが昔と変わっていないのだなと感じるのだけど、それでも新しい発見があるということは良くも悪くも人生の頁が移り変わっているのだと思う。

いいなと思ったら応援しよう!