見出し画像

脳死は誰もが一度考えるべき、、東野圭吾人魚の眠る家から学ぶこと

脳死というものが死んでいるのか、生きているのか、そんな事を主観的に考えさせられました。
私自身がもし死んでしまった場合や脳死をした場合、心臓など体の一部を移植に使って下さいという意思表示カードを持っています。
意識もなく、考えることも目を覚ますこともないのだったら、生きていける可能性のある人に使っていただきたいと思っていました。
ただそれは自分の大切な人と話し合った訳でもなく、自分だけの意思表示でした。

脳死というものがどういう事なのか、周りや残された人の葛藤や苦しみを自分自身に置き換え大切な人がそうなった場合、本当に人の為になるのだったらと喜んで提供できるだろうか。
ましてや自分の子供が、身体は温かくただ寝ているだけの様子であっても。

自分が登場人物のどの立場に置かれても、辛い立場として生きていく事を余儀なくされ、その中でどのように生きていくか…
最愛の娘が寝たきりになってしまった両親
少し目を離したが故に姪を事故に追いやってしまった祖母と妹
それを支える様々な人たちの心情
脳死は死んでいると考える人たちの心情

私は脳死というものは死んでいるものと考えてきましたし、だからこそ意思表示カードも今でも持っています。
ただ、自分の考えを押し付ける事はやめようと思います。
人が生きているかどうかという事は、第三者が決めていいものではなく、事故にあってしまった人と周りの繋がりや気持ちがあって、辛い判断をしないといけないのも結局はその周りの人たちなのだと。

ただ目を覚ましてほしい。動いて瞬きをしてほしい、声を発してほしい。
純粋にその人を大切に思うからこそ、可能性が0でも諦めきれない気持ち。
脳死というものを理解して、命の架け橋のなれる事を選択できる気持ち。
その二つの思考が葛藤する母と、割り切ろうと考える父。
機械漬けになっていく子供をみて、人間ではなくなっていくと感じる人。
母の喜ぶ顔が見たい一心で仕事に取り組む専門医さん。
罪悪感を抱えながら、大切な孫を看病する祖母の気持ちも…
どの気持ちを取っても、人の心があり共感できるところがある。

移植提供ができれば助かる命もあるだろうし、可能性をつなぐ架け橋にもなる事でもある。

とても素敵な事で、とても勇気のいる事で、とても大事な事だからこそ私は私自身だけではなく、大切な人としっかり話し合いをする事が大事だなと思えました。
考えたくもありませんが、大切な人がそうなった時も同様に。

私の命以上に、大切な人の命は重いという事に気づかせてくれました。
この本に感謝です。

amazon audibleで本を「聴く」↓


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?