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息子お休み期間にもらったギフト①ドロドロから湧いた希望(お金と私)

このnoteは、私自身が、前に進むために書いています。

扉、開いちゃった

ずっと、私の頭に、渦巻いていた悩み。
「お金どうしよ・・・」

私はお金の扱い方がド下手だ。
お金をいただいてもすぐにどこかへ消えていってしまうし。
以前より収入も増えているのに、未来の自分に託したクレカ払いも増えている。
なぜだ?
ずっとなぜか分からなかったし、どうすれば改善するのかも、分からなかった。

でも、扉、開いちゃった。

水曜日から手足口病のため、こども園をお休みしている息子。
金曜の朝、看病のため寝不足の頭で、ぼーーっと洗い物していたときに、ふっと気がついてしまったのだ。

「お金にネガティブなイメージがついているのでは?」

目の前の状況をこねくり回しても、何も状況が変わらないのだとしたら、潜在意識の方に何か、あるのでは?と感じたのだ。

お金が好きなのに、嫌い?なぜ?

貧乏になるマネースクリプトに「金銭忌避」というのがある。
金銭忌避とは…お金を嫌うためお金から遠ざかってしまう傾向。お金が貯まりにくく、過剰支出をしがち。

私は、自分はこれだと思ったのだ。

実は「金銭忌避」自体は、前から知っていた。
でも、私は、すでに克服したものと思い込んでいた。
1月に診断テストをしたけれど、お金はほしいし、好きだから、嫌ってなどいないと思ったのだろう。

ここがおかしいところ。

お金が好きなはずなのに、なぜ遠ざかるのか、金銭忌避に当てはまってしまうのか?

そこから、掘って、掘って、掘った。

息子が、お昼寝をしているときや、テレビを見ているときに、夢中になって、ノートを書いた。

未来を変えるには、もう、それしかないと思った。
おそらく、お金に対して向き合ったのは、生まれてから、これがはじめてだった。

「お金に対するネガティブなイメージはどこからくるのか?」を探る

金銭忌避の傾向がある人は、お金に対してネガティブなイメージがあるという。
私もきっと持っている。だからそれはどこからくるのか?

そこで、掘り当てたものは「罪悪感・無力感・恥」だった。

染み込んだ罪悪感

「罪悪感」
このキーワードには、すでに心当たりがあった。

専門学校と大学院時代のことだ。
私は大学を卒業してから、専門学校と大学院に進んだ。
就職をしたくなかった、というか社会に出るのが怖かったためだろう。(この辺の話は割愛する)

学費は、親が払っていた。

当時、人生を彷徨い、メンタルに不調をきたしていた私は、やめたいやめたいと思いながら、学校に行っていた。
親は「一度決めたことは最後まで」派なので、やめることは許されなかった。

親からの仕送りを見るたびに、「親が一生懸命働いて稼いだお金をドブに捨てている」「私はなんて最低な人間なんだ。ごめんなさい。」「すねかじり、寄生虫…」と心のなかで繰り返していた。

仕送りがなければ生きていけないけれど、「私なんかにくれなくていい」と、心の中では矛盾した感情が渦巻いていたのだ。

お金にこの時の罪悪感がこびりついていて、早く手放したくて、だからお金をもらっても、すぐに使ってしまっていたんだろう。
(手放したかったのは、苦しかった思い出や心の痛みだったのに、お金を手放していたということなんだね)

また、お金をもらうとき(給料振り込み・旦那からの生活費)に、「助かった…」に加えて「自分なんかがもらって…」と、心の中で言っていること、これも実はおかしいことではないか、と気づいたのだ。

無力感

無力感が植え付けられたのは、結婚してからだろう。
私は、結婚して、旦那の実家に住むことになった。当初は二世帯住宅だと聞いていたのに、ふたをあけたら同居だったのだ。

ただでさえ、コミュ障で、自分のまわりに壁をつくり、自分のパーソナル空間を死守するタイプの人間が、同居なんて、ありえなかった。

でも、すでにお腹の中には第一子がいた。
それに、それにだ、この家を出たいと何度言っても、旦那は聞き入れない。

それどころか、あるとき私にこんな言葉を放った。

お前は、働けない。社会に出たことがないし。どうせ仕事も続かない。

呪いだった。

自分の人生は、他人が決める。
絶望した。
ベランダから、遠くの山々をみながら、私はこの絶海の孤島で死んでいくんだと思った。

お金があれば、出ていけるのに…でも、私は稼ぐ能力がない…

それから、何年も。
子どものために、生きていた。
子どもには私が必要、というただその一点のみが、私を生かしていた。

旦那には逆らえない。
生活費に関しても「お前は使いすぎだ、あったらすべて使ってしまう」「お前にはお金の管理を任せられない」「俺がいくらもっているかは伝えられない」と罵倒される。

子どもが大きくなるにつれ、出費も増えていたので「足りなかったら言いや」と。言うくせに「足りない」というと「そんなに使ったの?信じられへん」とも言われた。

失敗して、これ以上、自由を失うのではないか、と怖くて、お金の話を旦那とすることを避けるようになった。

私はお金を稼げない人間である。
私はお金をまともに使えない。人間に問題があるから。

そんな呪いがかかっていた。

一応、旦那をフォローすると、私の方にも問題があったことは否めない。
自分の頭で考えることがなく、なんでも決断を人任せにしていたし、家が嫌だと全否定し、義家族の悪口を言っていた。
自分の判断基準がないものだから、周りがいいと言ったものを買うなど、今思えば無駄な使い方をしている面もあった。
私は、あまりに無知で、あまりに弱かったのだ。

恥と恐怖

そして、恥。
私の両親は、二人とも教師で、勤勉で、まじめ。近所に住む祖父母も元県の職員と教師。
お金は、使う時は使う方で、長期休みの旅に家族旅行へ行くし、持ち物も全て新品。学校の集金なども、一括で払うタイプだった。

なに不自由なく育った。
お金の話を家族ですることはなかったのもあるが、借金をしたとか、もめたとか、足りないなどと言った話は聞いたことがなかった。

まじめな優等生タイプだった私も、お正月にもらったお年玉は、郵便局に行って貯金をしていた。

もともと完璧主義の傾向があった私。

両親は完璧(に見えた)。それに対してダメな自分。
そこから生じた劣等感や恥。
この歳になってもまだ自立していない、旦那に依存している。
うまく家計管理のできない自分に、家計管理が得意な主婦のイメージとのギャップ。
家計簿に記しても”支出”全てが、自分を批判しているように思えたのだろう。

恥ずべき存在。だからそれを隠そうとした。
私は自立している、そんなフリをしていた。

お金に関しては失敗してはいけないと思っていたんだ。
お金に関して完璧でなければならないのに、できない自分は恥ずかしい存在だ。
隠しておかなければという無意識があった。
向き合うことから逃げ続けたゆえに、いつしかなにも見えなくなっていた。

過去の自分を慰める

以上、自分のなかを掘って、掘って掘ってみると、どろっとしたドス黒いものが出てきた。

・お金に対してついた、罪悪感と申し訳なさのイメージ。
・自分はお金を稼げない人間だ、お金をうまく使えない人間だという無力感。
・お金に関して失敗している恥ずかしい自分を隠しておかねばという恐怖。

そんな思い込みが、苦しい思い出とともに、心の奥の奥の深いところで、渦巻いていた。

文字にしてみて、はじめて気づいた。
こうやって書いてみると、それは思い込みだ、愚かな考え方だと、今ならわかる部分もある。

ただ、それ以上に
文字に苦しみが滲み出ていた。
だから
「苦しかったね、よく頑張ったね」
と、過去の自分に声をかけた。

どこからか、涙があふれた。

傷ついていたんだ。周りの言葉もあったけれど、大部分において、自分で自分をかなり傷つけていた。
苦しくて封印していた、目を背けていた。自分はちゃんとできるって思い込もうとしていた。

でも、事実は嘘をつかない。
現実で不都合が生じているなら、そこには何かしらの原因がある。

人は時に、見たくないものが見えなくなる。
見ないようにしているうちに、本当に見えなくなるんだ。

数年前から、自分を変えようと挑戦してきて、自分の力で稼ぐこともできるようになってきたし、自分の頭で考えること、自分の人生の舵取りをすることにも慣れてきた。

いまの自分なら、この問題を解決できる、と思ったから、向き合えたんだと思う。

ようやく、掘り当てられた。
ドス黒くて、どろどろしていた思い出や感情を見つけられたら、同じ場所から、希望の光が少しずつ湧いてきているのが見えた。

ギフトをありがとう

付け加えると、ここまでこれたのは、子どもたちの存在のおかげだな。とも思った。
4人の子どもが、私を生かしてくれて、5年あいて生まれた5人目の子が、たくさんの出会いや気づきを、まるでシャワーのように与えてくれている。

末っ子が手足口病にかかり、こども園を休んだ3日間(+土日)で、なんだか人生が変わりそう。
君はまた、すごいギフトを私にくれたもんだね。


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