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何かを失い続けている気がする毎日に、からまり続ける脳みそをほどくのは、結局書くことしかないだろう
気づけば、noteの更新頻度があいている。
言い訳をすると、寒波と風邪でスローダウンしていたのだ。
だけど、完全に習慣が消えていっている。
その間、急速に私の脳みそは絡まり、日増しに結び目がキツくなる。
メガネは曇り、幸せに気づかなくなるだけでなく、どこを目指して歩いていたのかさえ、忘れてしまった。
どうしてか、満たされない。
陰鬱な気持ちになる。寒さや風邪の余波もあるけれど、朝起きるのが辛くなったのは、気持ちのせいもあるだろう。
子どもたちの声やテレビの音が、騒音に感じ、夕方〜夜はイヤホンを両耳に突っ込むようになった。
ひとり静かに、ゆっくり過ごしたい。。。そう思うようになった。
そんな心の一方で、平日が4日しかなく、仕事もこなさねばならず、前々から入れていた予定もあり、思うように時間が、使えぬまま、また土日に突入した。
近況報告はこれくらいにして、note毎日投稿をしない間に、失ったものが見えてきたので、それを深堀りして整理したいと思う。
申し遅れたが、12月〜1月上旬まで、私はnote毎日投稿に挑戦していた。
39日くらい続いただろうか?でも、ちょっと別件からメンタルにきてしまい、好きな時に投稿するスタイルに戻してみた。
結果はどうか…
…この約1ヶ月で、正直どんどん下り坂になっている気分なのだ。
たしかに、毎日投稿はきつい。
やめる理由を挙げればキリがないだろう。
だけど、続けていた時期に得ていた、推進力や幸福感はなんだったのだろう?
毎日投稿しないことで失ったものは、
・自分自身を大切にすること
・日常の幸せに気づくアンテナ
・書く体力
この3つだ。以下で掘る。
自分自身を大切にすること
まるで濁流にのまれたかのように、恐ろしい勢いで自己肯定感が下がっている。
自分で、自分を認められないのだ。
それと相関してか、完璧主義指数も上がっているように感じる。
あらゆる「投稿ボタン」が押しにくくなった。
コメントをいったん書いて、消すことも何度かあった。
油断するとハマる沼
私は、幼い頃から完璧主義で、繕いがちな人間だ。
周りから変な目でみられないように、よく見られるように…と、気にしてきた。
だから、気づけばハードルを上げてしまう。
このままじゃダメだ・・・って。
そして勝手に恥ずかしくなって、勝手に追い込まれて、勝手に沼にぶすぶすとはまり込んでいく・・。
渦中にいるときは必死なのだ。
そして、「こんな自分、人様に見せられない」「申し訳ない」などまで、堕ちるときもある。(自意識過剰がフィーバー状態)
繕っている自分は、好きではない。
ぜんぜん、心地よくない。
だからこそ、毎日投稿は、いいトレーニングになっていた。
未完成な自分を認められること
note毎日投稿をすることで得られる大きなものに
「未完成な自分を許せること」があると思う。
当たり前だが、調子のいい日もあれば、悪い日もある。
未完成でいい、プロセスでいい。
まだ何も決まってなくていい。
宙ぶらりんでいい。
周りに宣言するような大きな何かを達成したり、
大きな決定をしたりしなくていい。
未完成で荒削りのまま「投稿」ボタンを押せる強さ。
偽りのなさ、飾りのなさ。
まるでやすりをかけてない、いままさに削り出された仏像のよう。
そんな文章を人目に晒す。
それがいいのかもしれない。
心の中を書きつけたnoteは、ときに、投稿ボタンを押したあと、ものすごくソワソワして、スマホを何度も確認してしまうこともある。
胃のあたりがザワザワしてドロドロしてきて、「公開して大丈夫だったかな?」なんて思うこともある。
けれど、投稿して大丈夫じゃなかったことは、いままで一度もない。
未完成でいい。
これは、救いだ。
心がどんなにもじゃもじゃしていても、「ああ、自分の文章読んでもらって申し訳ない。お目汚しだ、時間泥棒だ、公開してごめんなさい!」って思っても、
それでいいんだ。
公開していい。
読んで後悔するかどうかは、読んだ人の問題。
公開しろ、後悔するな。
(オヤジギャグ?)
日常の幸せに気づくアンテナ
日常を、毎日を慈しむ心も、失われてきている。
アンテナが鈍っている。
メガネが曇って曇って、足もとにある「何か」につまづいて転びそうだ。
淡々と続いているかのような、日常、毎日。
これほど尊いものはない。
そんなこと、わかっている。
わかっているのに、実感できなくなっている。
口を開けてエサを待っているヒナみたいなマインド(受動マインド)が侵食してきていることに気がつき、ハッとする。
もう、そんな自分からは卒業したと思っていたのに。
無意識に「ネタないかな〜」とか考えていた?
家庭のことにも、悪いところに目がいくようになった。
いいところが、見えなくなった。
それは、自分に対しても同じで、自己批判が顔を出す。
「これは、よくないと実証済みじゃないか?」と自分対話がはじまる。
責められた自分は「でも、だって」と言い訳を繰り返す。
これはよくない、よくないぞ。
負のループを断ち切らねば。
改めて振り返ると、
毎日投稿をしていたら、なにせ毎日投稿しなきゃないから、いやでも、目の前のことからネタだそうとする。
日常の機微に敏感になれる。
ふだんスルーするような、何気ない一言から大海が広がったり、恐ろしいほどの気づきにつながったりする。
そういえば、毎日投稿をしていた12月は、とてもいろんなことが鮮明に見えていた気がする。
どんどん、ぼやける日常。
それくらい脳みそがもやもやしている。
なんだこれ。
書く体力
いわずもがな。書く体力。
いや、書き切る体力と言った方がいい。
今週は、一体、何文字書けたんだろう・・?
4つ目以降を加えるとするならば
4つ目を付け加えるとすれば、「今日もできた!」「ひとつ増えた!」という達成感。モチベーション維持に大事だとされる「進んでいる感覚」。
noteからの「おめでとう」のパワーは強い。
5つ目は、つながっている感覚。
読んでくれるみんなのいいねも、うれしい。
繋がっている感覚、孤独じゃないって感覚。
みんな悩んでいるし、みんな歩いているし、そんなゆるいつながり。
みんなの記事の一覧と、自分の記事。
ちょっとした同志感?
皮肉とまとめ
だからといって、noteを毎日投稿すれば、全てが解決するだなんて思っていない。
毎日投稿にすがろうなんて思っていない。
いったん絡まった脳みそをほどきたいし、凝り固まっていく思考をほぐしたい。
自分の周りに、また造りはじめてしまった壁を、再び壊したい。
春に向けて、もう少し、身軽になれたらなぁ。
そんな、願いを込めて。